2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
2024-09-12
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
練習は2列
自転車が盛んな国はたくさんあるけど、いろんな面でその頂点にあるのはイタリアとフランス、ベルギーだろう。
たしかにサイクリストの数は圧倒的に多い。
ただ、ミラノやパリのような大都市で見かけることはめったにない。東京並みに車が走っているわけで、そんなところで自転車の練習は危険すぎる。
ガゼッタ紙の自転車部門のチーフはミラノの中央に住んでいるが、その息子は小学生くらいで自転車を始めた。だけど中心部にクラブはないし、僕が住んでいた郊外にあるクラブに入ったものの、通うのも大変だし、家の周りで練習もできないということでやめてしまった。
それに都会で自転車文化に触れることはほぼ不可能である。店にしろクラブにしろレースにしろ、あるのは郊外なのだ。
日本からミラノやパリに観光に行き、あわよくば自転車の文化に触れられればという希望を持っている人はけっこう多いのだが、まず期待はずれとなる。
都会の練習環境を打開するのは、家の中でできるローラーかもしれない。
最近はコンピューターをつけて疑似体験しながらトレーニングすることも可能になり、大きな可能性を秘めていると思う。
ただ、ロードレースは体力だけではない。走行のスキルも求められることを忘れてはならない。
ある国のナショナルチームの監督に聞いたのだけど、プロ選手の中にもハンドルさばきが下手な選手はいるという。
「だから私はあの選手を代表に選ばないんだ」とも教えてくれた。
ちなみにその選手はジロの山岳TTで優勝している。
また元日本代表選手と先日話をしたのだけど、大学で初めてロードバイクに乗って大会を目指すような人には、閉鎖されたサーキットなどで2列になって走る練習が必要だろうという。
2列でちゃんと走ることができなければ、集団内の走行はまず無理だ。
海外では2列でトレーニングすることが当たり前なのだが、日本では非常に難しい。
このことも日本からなかなか選手が出てこない理由の一つになっている。
だけど日本には競技場が数多くある。
そこではみんなが1列でトレーニングしているが、6日間レースのウオーミングアップなどは2列が普通だ。ああしたことも是非見習ったらよいのではないだろうか?
たしかにサイクリストの数は圧倒的に多い。
ただ、ミラノやパリのような大都市で見かけることはめったにない。東京並みに車が走っているわけで、そんなところで自転車の練習は危険すぎる。
ガゼッタ紙の自転車部門のチーフはミラノの中央に住んでいるが、その息子は小学生くらいで自転車を始めた。だけど中心部にクラブはないし、僕が住んでいた郊外にあるクラブに入ったものの、通うのも大変だし、家の周りで練習もできないということでやめてしまった。
それに都会で自転車文化に触れることはほぼ不可能である。店にしろクラブにしろレースにしろ、あるのは郊外なのだ。
日本からミラノやパリに観光に行き、あわよくば自転車の文化に触れられればという希望を持っている人はけっこう多いのだが、まず期待はずれとなる。
都会の練習環境を打開するのは、家の中でできるローラーかもしれない。
最近はコンピューターをつけて疑似体験しながらトレーニングすることも可能になり、大きな可能性を秘めていると思う。
ただ、ロードレースは体力だけではない。走行のスキルも求められることを忘れてはならない。
ある国のナショナルチームの監督に聞いたのだけど、プロ選手の中にもハンドルさばきが下手な選手はいるという。
「だから私はあの選手を代表に選ばないんだ」とも教えてくれた。
ちなみにその選手はジロの山岳TTで優勝している。
また元日本代表選手と先日話をしたのだけど、大学で初めてロードバイクに乗って大会を目指すような人には、閉鎖されたサーキットなどで2列になって走る練習が必要だろうという。
2列でちゃんと走ることができなければ、集団内の走行はまず無理だ。
海外では2列でトレーニングすることが当たり前なのだが、日本では非常に難しい。
このことも日本からなかなか選手が出てこない理由の一つになっている。
だけど日本には競技場が数多くある。
そこではみんなが1列でトレーニングしているが、6日間レースのウオーミングアップなどは2列が普通だ。ああしたことも是非見習ったらよいのではないだろうか?
ジャパンカップのカレンダー発売
レベッリン死去
今朝、ニュースを見たらレベッリンがトラックにはねられて亡くなったことを知り、ショックを受けた。
右のスカルポーニと同じ運命をたどってしまった。
アマチュア時代からイタリアを代表する選手として活躍し、50歳を過ぎた今日まで選手を続けてきた。
一度彼からメッセージをもらったことがある。それはアメリカのウエブに書かれていた記事への抗議で、僕の写真が使われていたので、こっちに来たのだ。
そうしたことからも分かるように、とても真摯に自転車に向かっていた。
この写真を掲載したらすぐにコリエーレ•デッラ・セーラから電話があって写真のこと、両者のことをいろいろ聞かれた。イタリアでも大騒ぎになっている。
改めて合掌。
右のスカルポーニと同じ運命をたどってしまった。
アマチュア時代からイタリアを代表する選手として活躍し、50歳を過ぎた今日まで選手を続けてきた。
一度彼からメッセージをもらったことがある。それはアメリカのウエブに書かれていた記事への抗議で、僕の写真が使われていたので、こっちに来たのだ。
そうしたことからも分かるように、とても真摯に自転車に向かっていた。
この写真を掲載したらすぐにコリエーレ•デッラ・セーラから電話があって写真のこと、両者のことをいろいろ聞かれた。イタリアでも大騒ぎになっている。
改めて合掌。