2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
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2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
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2024-10-18
東京での写真展
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2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
アッシジの思いで
ride誌から「急に日本からのアクセスが増えて何事かと思い、お前のホームページの読めない日記を見たらリンクが貼ってあった...」と連絡がきた。
やっぱり僕の日記はファンに影響力があるなあ(笑)。
今、アッシジにいます。イタリア風に言うとアッスィーズィなんですけどね。
僕の思い出の土地でもあります。
1985年に初めてイタリアに来たとき、日本から自転車1台を持ってきました。
イタリアのレースを走ってみたかったのです。
だけど、イタリア車連 の発行するライセンスがなくては走れないことがわかり、これに悩まされました。
そこでペルージャ大学の外人コースに入学することにしたのですが、近くに住まなくては入学できないと言われました。
そのとき、たまたま日本語が出来るイタリア人の神父さんと日本の学生がそこにいたので、わけを話すと、その神父さんは
「その日本人の住んでいるペルージャの住所で登録してもいい。だけど、家賃は数ヶ月分は払ってほしい」と言われたので、約10万円ほどその場で渡しました。
僕はそのあと、せっかくミラノから電車に乗ってペルージャまで来たのだから、アッシジで観光してからまたミラノまで帰ることにしたのです。
そうしたら、その神父さんと学生が、アッシジのバールでお茶を飲んでいるところにまた出くわしたのです。
そして「君に住所を貸したけど、お金までとるのは悪いから全額返金します」と言われたのです。
もしアッシジに行かず、そしてそこで出くわさなかったら、この話はきっとなかったことでしょう。
なんか、奇跡的な出来事でした。さすが聖地!
帰り、電車の中で寝過ごしてしまい、住まいにいちばん近いモンツァの駅についたのは夜中でした。
もう家までのバスは無く、7、8kmの道を走っていたら、気のいいお兄ちゃんが
「俺のモトリーノ(ペダル付きの原付)の後ろに乗りなよ」と、家まで送ってくれたのです。
そしてしばらくしてから、1年間有効のイタリア車連のライセンスが来ました。
今でも20代前半の、イタリアで必死になって生きていたあのころの生活をよく思い出します。
僕はそのとき、将来自転車がらみの仕事をするとは夢にも思っていなかったので、結果的にはあの糞まみれの生活(笑)が、今につながっているだと思います。
写真は昨日見たアッシジでの夕日。今日のステージは255kmと長い!
やっぱり僕の日記はファンに影響力があるなあ(笑)。
今、アッシジにいます。イタリア風に言うとアッスィーズィなんですけどね。
僕の思い出の土地でもあります。
1985年に初めてイタリアに来たとき、日本から自転車1台を持ってきました。
イタリアのレースを走ってみたかったのです。
だけど、イタリア車連 の発行するライセンスがなくては走れないことがわかり、これに悩まされました。
そこでペルージャ大学の外人コースに入学することにしたのですが、近くに住まなくては入学できないと言われました。
そのとき、たまたま日本語が出来るイタリア人の神父さんと日本の学生がそこにいたので、わけを話すと、その神父さんは
「その日本人の住んでいるペルージャの住所で登録してもいい。だけど、家賃は数ヶ月分は払ってほしい」と言われたので、約10万円ほどその場で渡しました。
僕はそのあと、せっかくミラノから電車に乗ってペルージャまで来たのだから、アッシジで観光してからまたミラノまで帰ることにしたのです。
そうしたら、その神父さんと学生が、アッシジのバールでお茶を飲んでいるところにまた出くわしたのです。
そして「君に住所を貸したけど、お金までとるのは悪いから全額返金します」と言われたのです。
もしアッシジに行かず、そしてそこで出くわさなかったら、この話はきっとなかったことでしょう。
なんか、奇跡的な出来事でした。さすが聖地!
帰り、電車の中で寝過ごしてしまい、住まいにいちばん近いモンツァの駅についたのは夜中でした。
もう家までのバスは無く、7、8kmの道を走っていたら、気のいいお兄ちゃんが
「俺のモトリーノ(ペダル付きの原付)の後ろに乗りなよ」と、家まで送ってくれたのです。
そしてしばらくしてから、1年間有効のイタリア車連のライセンスが来ました。
今でも20代前半の、イタリアで必死になって生きていたあのころの生活をよく思い出します。
僕はそのとき、将来自転車がらみの仕事をするとは夢にも思っていなかったので、結果的にはあの糞まみれの生活(笑)が、今につながっているだと思います。
写真は昨日見たアッシジでの夕日。今日のステージは255kmと長い!