2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
メッセージ、ありがとうございます。
みなさん、誕生日を祝ってくださって、どうもありがとうございます。
本来ならばメッセージを送ってくださった方々、一人一人にお返事しなくてはならないのですが、この場を借りて失礼します。
今日で52歳になりましたが、自転車レースの取材を生業にしてからちょうど25年が経ちました。ジロもツールも25回、世界選やその他のビッグレースもこの回数に近く、つまりシーズンを通して重要なプロのレースのほぼすべてに足を運んでいます。
こうした仕事はクライアントがあってのことなのですが、その一つがイタリアのカンパニョーロ社です。
ご存知カンパニョーロは自転車の歴史を作って来たパーツメーカーで、僕が自転車に乗り始めた頃は憧れのブランドでしたが、海外の最初のクライアントになってくれたのはこのカンパニョーロなのです。
そしてそれは20年前のことで、1993年のジロのタイムトライアルを走るこのミゲール・インドゥラインの写真をポスターとして使ってくれたのです。
この年のミラノショーでファンたちが奪い合うようにポスターを取って行く姿は今でも忘れられません。
以降、カンパニョーロは毎年なにも言わずに自分の写真を使い続けてくれています。
インドゥラインはツール・ド・フランスに5回、ジロ・ディ・イタリアに2回勝ちましたが、彼を支える人気は戦績もさることながら、その人柄です。
父親としてもチャンピオンだと聞きました。
僕がこれまで見て来た選手の中で誰がいちばん好きかと聞かれれば、やはりミゲールです。最初の海外の仕事を作ってくれた選手でもありますからね(笑)。
彼にサインを入れてもらったそのポスターを、今でも額に入れて飾っています。
いつまでこの仕事を続けるかは分かりません。
この仕事が大好きで天職だと思っていますが、やはり家を空けたり、日本から遠いところで働く大変さが重くのしかかっています。
実は現在取材中のブエルタ・ア・エスパーニャが始まってすぐに、妻のお父さんが他界しました。僕とSkypeで話をした数時間後に亡くなったそうです。葬儀にも行くことが出来ず、ちょっと落ち込みました。何年か前、医者をやっていた従兄弟が急死したときも、レース中でなにもできませんでした。
仕事を放り出して帰るわけにもいかず、そういった意味ではヨーロッパに住んでいるフォトグラファーたちや、単なるフリーランスの人たちとは状況が違うのです。
まあ、日本で自分が主宰する雑誌もありますし、もうちょっとは続けようと思っています。
だけどやめたときには富山で趣味として農業をやり、夜は酒を飲みながらジェイ・スポーツを見ると思います。
そしてトラクターで畑を耕す一方、スポーツカーに乗っているじじいがいたら、僕かもしれません(笑)。
それではみなさん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。 砂田弓弦
本来ならばメッセージを送ってくださった方々、一人一人にお返事しなくてはならないのですが、この場を借りて失礼します。
今日で52歳になりましたが、自転車レースの取材を生業にしてからちょうど25年が経ちました。ジロもツールも25回、世界選やその他のビッグレースもこの回数に近く、つまりシーズンを通して重要なプロのレースのほぼすべてに足を運んでいます。
こうした仕事はクライアントがあってのことなのですが、その一つがイタリアのカンパニョーロ社です。
ご存知カンパニョーロは自転車の歴史を作って来たパーツメーカーで、僕が自転車に乗り始めた頃は憧れのブランドでしたが、海外の最初のクライアントになってくれたのはこのカンパニョーロなのです。
そしてそれは20年前のことで、1993年のジロのタイムトライアルを走るこのミゲール・インドゥラインの写真をポスターとして使ってくれたのです。
この年のミラノショーでファンたちが奪い合うようにポスターを取って行く姿は今でも忘れられません。
以降、カンパニョーロは毎年なにも言わずに自分の写真を使い続けてくれています。
インドゥラインはツール・ド・フランスに5回、ジロ・ディ・イタリアに2回勝ちましたが、彼を支える人気は戦績もさることながら、その人柄です。
父親としてもチャンピオンだと聞きました。
僕がこれまで見て来た選手の中で誰がいちばん好きかと聞かれれば、やはりミゲールです。最初の海外の仕事を作ってくれた選手でもありますからね(笑)。
彼にサインを入れてもらったそのポスターを、今でも額に入れて飾っています。
いつまでこの仕事を続けるかは分かりません。
この仕事が大好きで天職だと思っていますが、やはり家を空けたり、日本から遠いところで働く大変さが重くのしかかっています。
実は現在取材中のブエルタ・ア・エスパーニャが始まってすぐに、妻のお父さんが他界しました。僕とSkypeで話をした数時間後に亡くなったそうです。葬儀にも行くことが出来ず、ちょっと落ち込みました。何年か前、医者をやっていた従兄弟が急死したときも、レース中でなにもできませんでした。
仕事を放り出して帰るわけにもいかず、そういった意味ではヨーロッパに住んでいるフォトグラファーたちや、単なるフリーランスの人たちとは状況が違うのです。
まあ、日本で自分が主宰する雑誌もありますし、もうちょっとは続けようと思っています。
だけどやめたときには富山で趣味として農業をやり、夜は酒を飲みながらジェイ・スポーツを見ると思います。
そしてトラクターで畑を耕す一方、スポーツカーに乗っているじじいがいたら、僕かもしれません(笑)。
それではみなさん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。 砂田弓弦