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昨日の山岳ステージ
昨日の山岳ステージ、無線でレースのニュートラリゼーションを言った、言わないで問題になっている。
そもそも、レースのニュートラリゼーションというのは、スポーツとしてあっていいいのだろうか?
勝負の場に休憩?僕は笑っちゃいますね。

もちろん、去年のミラノ〜サンレモのように、予期しない降雪などの場合には、必要だとは思う。
だけど昨日はスタート時にすでにガヴィアやステルヴィオが大変なことになることは誰の目にも明らかだった。
スカイの監督チョーニに
「チーム間のなにかしらの連帯した動きはないのかい...」と聞くと、
「いや、今のところ...」と口が重い。
でもランプレのマネージャー・ブレントは、
「自転車ほど安全性を無視した競技はないね。なんとかオーガナイザーに言ってやるよ」と足早に歩いていった。

結論は、ジロのオーガナイザーのレベルの低さ、これに尽きる。
まとまらない内部組織、声の大きい者が上に立つ構造、巨額の赤字体質...。
ツール・ド・フランスとは大人と子供の差、もう恥ずかしいです。
明日はオローパがゴール
明日はオローパがゴール
2001年のジロの第17ステージはサンレモがスタート&ゴールだった。
この日の夜、警察が選手の宿舎を突然訪れ、薬物捜査を始めた。
調査は深夜まで続いたため、これに抗議した選手が翌日ホテルでミーティングを開き、ここで大会を中止にするかどうかという会議を開いた。
僕は会議室の前で朝から夕方まで立ち、ときどき開くドアから写真を撮った。
ジロ史上に残る、ドーピング事件の一つである。
ちなみに、大会が中止されそうになったのは、これが最初で最後だった。

昨日、僕はブラのホテルに泊まった。
例のサンレモのステージの翌日、僕が夕べ泊まったホテルも選手を受け入れたという。
ところが、ホテルの主人が今朝コーヒーをサービスしてくれながら当時のことを語ってくれたのだが、その2日前に警察がこのホテルを訪れ、全部屋の火災報知器に盗聴器を仕込んで選手の会話を盗聴したと言う。
僕はこういう時代をフォトグラファーとしてやってきた。
こういうエピソードを聞くと、歴史の中で撮ってきたと言う思いで、こみ上げてくるものがある。
この感情は、あまり分かってもらえないと思う。

明日はオローパがゴール。
1999年にパンターニがチェーンを外して遅れたにもかかわらず、先行する選手をごぼう抜きにした伝説のレースをやったところである。
あの日の興奮度、観客の熱狂度は今でも忘れることができない。
それから数日後、マドンナ・ディ・カンピリオでパンターニのヘマトクリット値が基準を超えて失格となった。

写真は2001年のサンレモの選手のストライキ。ジロが中止されるかどうかの瀬戸際で臨時ニュースにもなった。
これから第10ステージ
今日はすごくいい天気で、なんだか暑くなりそう。
これから第10ステージのスタートに行きます。
今年の大会はアイルランド、しかも通常の22日間よりもさらに1日長いのです。
その初日よりもさらに2日間も先に現地に入ったこともあり、大会自体がすごく長く感じています。
もう後半に来たのかと思っていたら、まだちょうど半分ですね。

1月から今日までずっと転戦が続いていて、ジロが終わったらすぐに日本に帰ります。
ツール・ド・フランスの準備をしながらも、ちょっとゆっくりしたいです。
すでに家族とオフの旅行はどこに行くか話し合っています。
今日は休養日
今日は休養日。
といっても、写真の整理、ちょっとした原稿書き、さらに洗濯、機材の手入れなど、やることは山積みです。

ジェイスポーツのサイトで、自分が撮った壁紙がダウンロードできます。
http://www.jsports.co.jp/web_member/wallpaper/
これから第8ステージ
これから第8ステージ
昨日のステージのゴールと、今日のステージのスタートがいっしょという、近年のステージレースではほとんど見られない設定。移動がないので、すごく楽だ。
ジロのプレゼンテーションのとき、2014年のジロは70年代までの大会のように移動を少なくしたと言っていたけど、これは実にありがたい話だ。
でも睡眠時間を削って写真整理に追われており、早く日本に戻ってゆっくりしたいです。
レンズ修理完了
レンズ修理完了
昨日、ダブリンからイタリア本土の南端バーリまでチャーター機で移動したのだけど、バーリのパスポート・コントロールのところでラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト紙の自転車部門チーフから
「今回はお前の写真を使い過ぎてる」と言われました。
実際、毎日掲載されているのですが、今日の同紙にはこの写真がメインフォトとして大きく使われています。

だけどこれを撮ったときに、70-200mmのレンズのフォーカスリングがオートでは動くものの、マニュアルでは動かないことが分かり、愕然としました。
同業者に相談したところ、ビスを締めることをアドバイスされ、昨日ユーロップカーのメカニックから小さなドライバーを貸してもらって自分でやってみたら直りました。
この70-200mm、たしか2年ほど前に旧型から買い替えたのだけど、性能が格段に良くなっているのに驚かされ、今もレースではいちばん良く使っています。

今日からオートバイに乗って撮影を始めます。自分の本当のジロが今日から始まります。
ダブリン空港から
今朝、ホテルを5時半に出発。
昨日までの連日の雨があがり、今は快晴です。すごい皮肉。
大量のジロ関係者といっしょにチャーター機でイタリアのバーリまで飛びます。ちなみにこのチャーターは有料です。
バーリのステージからオートバイで撮影します。
先日のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュで事故を起こした運転手、いまだに意識が戻らず、早く回復するのを祈りつつ、自分も気をつけようと思ってます。
ロウチの写真
ロウチの写真
アイルランドの選手と言うと、まずショーン・ケリーとスティーヴン・ロウチの名前が挙げられる。
共に同年代に活躍した大選手で、ケリーはクラシックハンター、ロウチはステージレース中心だった。
ロウチは自転車選手としてフランスで開花しているから、フランス語読みでロッシュと呼ばれることも多いが、それでもたとえば今のツール・ド・フランスのラジオツールでは息子のニコラスはロウチと呼ばれている。

僕と仲のいいイタリアのフォトグラファーはiPhoneの中に入っている写真を見せてくれた。
それは普段着姿のロウチを海辺で撮ったものだ。
1987年、彼がジロ・ディ・イタリア、ツール・ド・フランス、そして世界選のトリプルクラウンを達成したときにダブリンの空港で待ち受け、本人に直接交渉したら、ホテルでテレビのインタビューがあるのにもかかわらず、時間を作って彼が撮影場所まで選んでくれたのだと言う。
現役時代はよくチーム間とトラブルを起こしたが、一方で非常に愛された、プロフェッショナル精神の強い選手だった。
息子も性格がいいと聞く。

例えば今、各チームに広報担当者がいるけど、これが報道と選手の間隔を広げている。
というか、ツール・ド・フランスのあの膨大なプレスを前に、必然の成り行きでもあった。
だけど今でも、僕らと仲のいい選手だったら、携帯の番号やメールアドレスの交換はする。
僕の携帯やパソコンも大量の選手の電話番号とアドレスが入っている。

ここにある写真はベルファストでロウチに頼んで撮らせてもらった。
全然問題なく、愛想良くやってくれた。
でも仮に今、コンタドールにこのロウチの現役時代と同じように普段着の撮影を頼むと、きっと大変だよなあとは僕らの結論だった。
オーストラリア選手の歴代マリア・ローザ
オーストラリア選手の歴代マリア・ローザが掲載されています。
懐かしいです。
リッチー・ポートは、すぐに笑うタイプ。新城と同じです(笑い)

http://www.ridemedia.com.au/ride-features/aussies-and-the-giro-ditalias-maglia-rosa/
今、ベルファストのプレスルームにいます
朝のラッシュ時のピークに家からミラノのリナーテ空港に向かった。
イタリアで交通渋滞がいちばんひどいのはミラノだという調査結果があったが、空いていれば30分が、3倍の1時間半かかった。
アイルランドのダブリン行きのカウンターに行くと、ジロの大会関係者がたくさんいた。
ジロ・ディ・イタリアというのはツール・ド・フランスに比べるとオーガナイズは悪いし、規模も小さいのだけど、関係者がみんな顔なじみで、家族みたいな感じ。これは他のレースにはない特徴だ。
なので、ダブリンからベルファストまで彼らのバスに便乗。
「ぜんぜん問題ないよ」と言われたものの、僕が加わって座席が全部埋まるというぎりぎりの状況で、はらはらした。

ところで、リナーテ空港の待合室で大会関係者と昔のことで話が弾んだ。
彼といっしょに1991年のツール・デ・フランドルに行ったことがあるのだけど、当時の世界チャンピオンのルディ・ダーネンス(ご存知、前年の世界選宇都宮大会の優勝者。のちに交通事故で死去)がベルギー・チャンピオンのエディ・プランカールトに車輪を差し出したのを目の前で見たと言う話だ。
僕はツイッターだとかブログだとかにとても疎い人間で、フォトグラファーをやっているせいか、こうした見たり経験したりした話を尊重する。
先日も日本の一般誌の編集長とそういうことで盛り上がったのだけど、バーチャルな世界で完結しているライターがいちばんダメというのが僕らの結論だった。

レース会場に来ても、ウエブサイトやツイッターばかり見ているのがいる。
なんで、テレビの前にかじりついてレースを見て、自分の言葉で展開を書けないのか?
なんでゴールに飛び込んでくる選手を捕まえて話を聞けないのか?
と常々思っている。
これは取材方法の変化だとか、世の中の発達だとか、そういう問題ではなく、ジャーナリズムの本質に関わることだ。
自称ジャーナリストがあまりに多すぎる。
ついに大きな声を出しちゃいました
ついに大きな声を出しちゃいました
ツアー・オブ・ターキーの第6ステージ、最後は上りゴールだったのだけど、久しぶりにレースで人を怒鳴りつけましたよ。
普段から温厚に振る舞おうと心がけているんですけどね(笑)。

僕ら、普段からビッグレースでオートバイに乗っているフォトグラファーというのは、こうした大きなレースに来るコミッセールのほとんどと顔見知りなんです。レースの話もよくするんですよ。今回のチーフコミッセールなどは、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュの例の事故のことが心配で、僕に何度もそのときのことを聞いてきたくらいです、しかもレース中に。
そんなわけで、お互いにどの程度の器量なのか、よく分かり合っていますし、それぞれその道のプロだから、問題が起きることはめったにないのです。

今回のコミッセールの一人は、ツアー・オブ・カタールでチーフを務めた人で、昨年のブエルタもこの人がチーフでした。
なるべくフォトグラファーに仕事させる事を心がけている人で、僕はやりやすいです。
ところがそのクルマの運転手がどうしようもない奴で、たぶん小さいレースしかやったことがないようなのがあてがわれているのか、運転しながら僕らに向かって指示するんですよ。おまけに僕のオートバイに幅寄せしてブロックしだしたのです。
ちゃんと規則通りに動いている自分に対して。僕はこう見えても、レースではちゃんと規則を守るフォトグラファーなんですよ。

いやあ、レースで久しぶりにぶち切れました。
「おめえの仕事はクルマの運転、俺への指示はお前が乗せているコミッセールがやるんだよ」と、顔に指を差して言ってやりました。
そのあと、僕はサイモン・イェーツのアタックを見事に写真に収めたのだけど(笑)、そのときのオートバイの動かし方がちゃんとしているというので、コミッセールは親指を上に突き立てて「Good」とやってました。
レース後に、砂田の行儀が悪いということで、コミュニケでも出るかと思ったのだけど、コミッセールが親指を立てたのを見ると、運転手の行動にあきれかえっていたのかもしれません。

レース中に人の顔を指差して怒鳴ったのは、どうしようもない日本のぼんくらが目も当てられないことをヘント〜ウェヴェルヘムでやったとき以来、2度目です。いや、もっとあるかな(笑)。
まあとにかく、プロの現場に素人が入るとろくなことがありません。
ツアー・オブ・ターキー・第5ステージ終了
ツアー・オブ・ターキー・第5ステージ終了
1月のツール・ダウンアンダー(オーストラリア)から始まり、先日のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ(ベルギー)まで、ほとんどが世界のトップクラスのレースであり、すべてオートバイに乗って撮影してきました。
今回のトルコ一周は、オーガナイザーの御好意で招待していただいているのですが、正直言うと、オートバイのレベルがもうとてつもなく低いし、どこにいってもインターネットが20年前のスピードだし、なんだか落ちぶれた芸能人が地方のどさ回りをやっているような感じがしてます。
一流選手は少なくないのですが、フォトグラファーもジャーナリストも、一流どころはほとんど来てません(笑)。

僕なんかよりもさらにキャリアがあるイタリア人フォトグラファーが一人いて(世界選手権の取材が30回かな)、僕らはとても仲がいいのですが、先日クルマの中でこんな結論に達しました。
「もうお互い、家も建てた。ローンもない。生活は順調だ。家族ともうまくいっている。だから、自転車レースでリスクを冒して大けがしたり、死んだりすることだけは避けよう」って。
その友人、僕の隣で一歩間違えば死ぬようなオートバイ事故をツール・デ・フランドルでやっているんです。そのときは手首がちぎれそうだったのですが、今は普通に戻っています。

僕らはパンターニとチポッリーニの時代、つまり自転車人気が最高のときも最前線でやってきたんです。
だから、なんだか開き直ったと言うか、おやじになったというか…。
そんなわけでプレスルームが町中の食堂の中にあっても、ずっと楽しく仕事してました。
「おねえさーん、紅茶とクッキーもってきて〜」みたいな...(笑)