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やっぱりパンターニ
やっぱりパンターニ
YouTubeでパンターニの映像を見ていたら、突然若き日の自分が出て来てびっくりしました。
http://www.youtube.com/watch?v=R5qjasrJtzk
2012年のジェイスポーツの壁掛けカレンダーにあるパンターニも、この映像に出てくるモルティローロのステージで撮ったものです。

最近、日本で自転車を始めた人は、もしかするとパンターニのことを知らないのかもしれません。ときどきびっくりします。
だけど、自分は日本にどんなプロ野球チームがあるのかも知らないので、まあそんなものでしょう。
パンターニが走っていたときには思わなかったのですが、彼が亡くなり、そして今の自転車競技を見ていると、やっぱりパンターニがいちばん自転車の人気を盛り上げたのかなって...。
先日、同時代に走っていたチポッリーニが言っていました。
「俺、パンターニのファンだったんだ」って。

えっ、チポッリーニを知らないって! うーん、どうしよう。
これが今どきのファン
iPhoneにSkypeが入っているから、今は24時間オンライン状態。
ジョギングしているときにイタリアの自転車メーカーから連絡が。
「今、走っている」と言ったら、
「じゃあ、帰宅したら連絡くれ」と。

風呂からあがって連絡をすると、彼の職場の若い女性が写真をプレゼントしてくれないかと言っているのだという。
それは昔かなり名の通った選手で、今はチームマネージャーとなっている。
さっそく写真を送ると
「○○○○○の写真だよ」という返事が。
よく見ると、息子の名前だ。
彼もお父さんのところで走る現役のプロだけど、力はない。
俺も1週間ほど練習したら勝てるかも(笑)。
だけどイケメンである。
つまり、自転車選手も足よりマスクということですな。


我が青春のパネットーネ
我が青春のパネットーネ
1985年、大学をまだ卒業していないにもかかわらず、卒業証書を友達に取りに行ってもらうことにして、2月にイタリアに渡りました。
行き先も分からず、一言もイタリア語が出来なかったのですが、1週間ほどでミラノ郊外に風呂のないボロボロの住まいを見つけました。
 秋に帰国したのですが、イタリアでの生活を当時発行されていたニューサイクリングという月刊誌から頼まれて書いたところ、思いがけず好評で、13ヶ月間に渡って連載されました。
 その連載の出足はたしか、
「搭乗した大韓航空の飛行機は時々大きく揺れ、大学を卒業していないまま出国した僕は物理的にも社会的にも不安定な状態だった」という内容で、名文として自転車ファンの記憶にとどまることになりました(笑)。
 ある日、辻堂の自転車屋さんに行ったところ、偶然ターザンの副編集長に出会い「君の連載を読むためだけにニューサイクリングを買っているよ。今度、なにか原稿を頼むかもしれない」と声をかけていただいたのです。
 また、キリンビール主催の「あなただけのビールのおいしい飲み方」に応募して入選して本に掲載されたことも自信になりました。それは、のちにデルトンゴ、GIS、スーパーメルカーティ・ブリアンツォーリらのチームに入った近所の仲間たちといっしょに自転車に乗りに行き、途中でビールのオレンジジュース割りを教えられて実においしかったという内容でした。
 これが、雑誌の仕事をやるきっかけなのですが、今回の話はイタリアのパネットーネです。前書きがすっかり長くなりました(笑)。

 1985年、イタリアで毎日、昼と夜に近所の食堂に行ってました。オーナーの老夫婦はものすごく親切で、この二人がいなければ、今の自分は存在しません。食堂は繁盛していて、特にお昼は労働者たちで溢れ帰っていました。給仕を待ちきれないので、勝手に厨房に入って料理を取ってくる客が列を作っていました。誰かが「軍隊のセルフサービスと同じ」と笑っていました。
 一方、夜は独身の男数人だけが毎日来ていて、この老夫婦を囲んでいっしょにご飯を食べていました。
 僕は秋に日本に戻り、そしてクリスマスにこの老夫婦に電話しました。1985年当時の国際電話はまだ3分で3〜4千円したと思います。今みたいに、簡単に国際電話を掛けられる時代ではありませんでした。
 そのとき、「イタリアで食べたパネットーネが懐かしいよ」と言ったら、夜集まっていた独身連中と老夫婦が金を出し合って、日本まで2個航空便で送ってくれたのです。郵送料だけで2万円ほどかかっていました。
 当時、日本でパネットーネは入手出来ず、この味には感激しました。パネットーネは日持ちするのですが、春に全プロ選手権が富山で行われ、これを市内のホテルに宿泊されていた大阪のフレーム職人の長澤さんに差し入れしたところ、「富山のこんな田舎でパネットーネが食べられるなんで99.9%ない話だ」と感激してくださいました。長澤さんは中野さんの世界選10連覇にメカニックとして同行されたのはあまりに有名ですが、デローザでよく働いた日本人としても有名で、本場で何かを残すという意味で僕がずっと目標にし、尊敬してきた人でもありました。
 今は1個5ユーロほどで購入出来るパネットーネは昔、もっと高いものでした。イタリアはこれまでずっと一貫してインフレの国なのですが、値段が下がった数少ないものの一つがこのパネットーネなのです。日本からあの老夫婦にかけた国際電話もまた近年急激に価格が下がったものの一つですが、そうしたことも思い出につながっています。

 毎年、12月にイタリアに渡るのは、仕事や挨拶もあるのですが、実はこのパネットーネを買うためでもあるのです。もしかすると、今は日本でも手に入るものなのかもしれないですが、僕にとってパネットーネはいろんな思い出が詰まった味であり、イタリアで買うことに意味があるわけです。

 これまで自転車の写真集を5冊、またその他を含めると8冊の本を出しました。今後、出す予定はないのですが、もしチャンスがあるならば、こうした思い出、取材エピソードをまとめたいとは思っています。
 去年、別の内容の本を書くことを打診されて断ったのですが、いつかこの内容で書く機会があればやってみたいと思っています。そのときはきっと、「搭乗した大韓航空の飛行機は時々大きく揺れ、大学を卒業していないまま出国した僕は物理的にも社会的にも不安定な状態だった」だと思いますが(笑)。

 写真は昨日から降った雪が積もった庭をバックに縁側で撮ったパネットーン(ミラノ弁)です。


90年代が懐かしいわい
90年代が懐かしいわい
世間では師走ということで、忙しくなっているようです。
僕も毎朝念入りに掃除をしているけれど(掃除が趣味と思われるくらいにきれい好きなんです。持論は<掃除が出来ないやつは仕事もできない。>イタリアの自転車工房めぐりで叩き込まれました)、一年で唯一のんびり出来る時期です。

だけど、ある程度は仕事してます。
その一つは原稿書き。
日本の自転車雑誌は、すぐにカメラマンに文章を書かせたがります。
ヨーロッパではあり得ない話ですし、特に今はデジタル処理に追われていて、文章を書いている時間なんてあるわけがないのです。
だから、もし写真を撮って文章も書いている人がいたならば、相当売れていない人です(あっ、自分のことだっ)。
まあ現状、日本では僕がプロ選手といちばん接していて、しかもそれが圧倒的長時間なわけで、だからこうして書いているという...。

今、iPhoneに録音したチポッリーニのインタビューのテープ起こしをやっています。
たとえば、
「僕には有名なトークショーだの、カルチャー番組だの、テレビや催し物に招待される機会があった。だけど、今は自転車選手にそうした注目なんかありゃしない。上の人に仕切られていて、その上の人にはこうした志なんてない」なんて言うところ、そういえば最近、ミス・イタリアの審査に自転車選手が出ていないなあ。
ブーニョが全盛期のときはやったし、そのあと、キャプーチにその座を奪われ、日本に来ていたブーニョがぶつぶつ言っていたのを思い出しました。

今の自転車界のスターってだれですか?
帰国しました
雪が降って泥だらけのナミュール(ベルギー)のシクロクロスを取材。
そして、ツール・デ・フランドルのオーガナイザーのところに行ったあとに、フランクフルトまで約400kmを走りました。
今回のチケットはANAのエコノミークラスだったけど、行きも帰りもビジネスクラスにアップグレードされるという幸運が!(去年のこの時期の欧州往復も、行き帰り共にアップグレードされています)。
最近導入されたANAのフルフラットになる新型機材のシートは本当に素晴らしいです。成田に着く直前まで熟睡できました。

おかげで時差ぼけもほとんどないのです。
だけど、3年前にジャパンカップで来日し、今はアックア・エ・サポーネで走っているプローニの姉さんが亡くなったという訃報が。
ずっと白血病で闘病生活を送っていたのです。本人も今年の国内選手権で6カ所骨折するという落車をしたのですが...。
それから、来春の地中海一周が財政難で中止というニュースも。

チームカーの規定
チームカーの規定
リクイガスのチームカーがこれまでのフィアットからシトロエンに変わるということをチーム関係者から聞いた。
車高が規定をオーバーしていることを指摘されたからだと言う。
しかもそれがわずか5mm!
この稀に見る大不況の中、UCI様はスポンサーをかえることの大変さよりも、杓子定規にルールを最優先するらしい。
そういえば昨年のジロでラジオシャックのクルマの車高が規定をオーバーしているのではないかと言われ、審判が計っていた。
これを当時の監督のエキモフとアゼヴェド、さらに審判からも写真を撮って送ってくれと頼まれた。
結果は規定内だったのだけど、リクイガスのその人が言うには
「あいつら、タイヤの空気を抜いたんじゃないのかなあ」と疑っていた(笑)。

ロードレースではこのチームカーが非常に大事で宣伝の役割も果たしている。
だから、どのチームも手抜きなく仕上げている。
日本のロードレースはチームカーが走らない限り、その未来はないと断言出来る。
ちなみにイタリアではこのチームカーのことをアッミラーリア、それから大会受付のことをプンツォナトゥーラ、ロードブックのことをガリバルディなどと言うけど、イタリアでもそれは自転車関係者しか分からない専門用語である。
なにげない用語にも100年の歴史と伝統が反映しているのである。
ミラノでチポッリーニと会う
ミラノでチポッリーニと会う
チポッリーニの取材でミラノの運河に行って来た。
当初、スキー場で会うという話だったが、雪不足で中止。しかし、昨夜積もったので、本人はこの取材を終えた後に愛車のアウディ・A8 (当然最高グレードのやつ)で山に行く。

僕らの仲は11月に修善寺で行われたトラックパーティーで急速に深まり、今回も実に興味深い話を1時間半に渡って展開してくれた。
僕は1990年から世界選を取材しているけど、これまでの世界チャンピオンで本当にカリスマ性があったのはブーニョ(1991,1992)、アームストロング(1993)、ムセーウ(1996)、チポッリーニ(2002)、ベッティーニ(2006,2007)の5人だけ。
どの年の世界チャンピオンも力はあるけど、カリスマ性となると話は別で、ましてカヴェンディッシュをはじめとする近年のチャンピオンたちは、チポッリーニの足下にも及ばない。発するオーラがまるで違う。

今日の取材は来年のチクリッシモに連載予定です。
で、落ち合った場所はジーズンメーカーだったのだけど、さっそくものすごく足の長いモデルの女性が「チャオ、マリオ!」と寄ってきました。さすが大スター!
久しぶりに自転車屋へ
ここ数日、イタリアは名物のストライキが連発していて、昨日はガゼッタ紙も出なかったが、今日は交通機関が止まる。

とにかく、イタリアの財政赤字の原因の一つは、労働組合が強いこと。
なにかあると、すぐにストライキなのである。
数年前のジロのミラノのステージで選手たちがストライキをやったのも、こういう国の背景もあるのだ。
だけどあのストライキは許せなかった。
一方、日本で「アームカバーをしちゃいかん」などとわけの分からない審判が来ることがあるらしく、僕は選手や監督たちに「なんでストライキをしないのよ?」とけしかけるけど、やったことは一度もないらしい。

それからイタリアの財政を悪くしているものに、世界的に有名な年金がある。
イタリアの街のいたるところにあるバールは、朝からお酒を飲んでトランプをやっているおじいさんたちで溢れかえっているのだけど、みんな年金生活者である。
だけど、こういうおっさんたちが、自転車ファンなのも事実。
昨日、久しぶりに行きつけの自転車屋にいったら、案の定、年金のおっさんたちのサロンと化していた。これまた僕が最初にイタリアに来た26年前とまったく変わっていない。
よく飛行機でいっしょになるBMCのドクターもこの店の客なのだけど、おっさんたちがドクターに
「なにか特別に効く薬をくれ」と言ったら、
「よし、期限が切れるやつがいっぱいあるから、それを全部やるよ」と返しているうちに、みんなレースでいい成績をとってしまい、誰かもらったんだな.....というジョークで大笑いし、夕方に帰宅した。
自転車屋に行っても自転車を眺めたことはなく、自分にとっては話をしにいくところとなっている。
イタリアの自転車界のこんなところが素敵です。
ガゼッタ訪問
ガゼッタ訪問
昨日はミラノで昔の仕事仲間と昼食をとり、そのあとRCS(ガゼッタ)を訪問。
写真は、ジロのレースディレクター、マウロ・ヴェーニです。
レース中は我らオートバイに乗るフォトグラファーを相手に血圧が上がりっ放しの彼も(実際、心臓を悪くして何度も入院している)、ジェイスポーツのカレンダーとクラシックの写真集をとても喜んでくれました。
そして、さっそく来年のジロについて意見を求められたので、改善点を言ったところ、これからすぐに検討してくれるそうです。
ベルギーのレースでは、僕はまだお客さんなのだけど、ことRCSのレースになると、ガゼッタ・ファミリーの一員なのです。

しかし....帰りにレンタカーのフィアット・パンダがパンク。
真っ暗な中で、タイヤ交換を強いられました。
しかも、そのときに分かったのですが、タイヤはほとんど溝がないほどすり減っていたのです。
ヴァ・ファン.......ああ、こういう下品な言葉はもうやめよっと。

ヴァ・ファン・クーロな日
1985年、初めてイタリアに来たとき、言葉は一言もできなかった。何も勉強してこなかったのだ。
しばらくして、最初に覚えたのは数字だった。
その次にジャンクな罵り言葉だった。自転車選手に囲まれていたのだから、当然の成り行きである。
ヴァ・ファン・クーロはその中でポピュラーなものの一つ(?)なのだけど、昨日・今日でこれを何度連発したか分からない。
まあ、愚痴を聞いてください。

今回のレンタカーはいちばん安いフィアット・パンダを借りたのだけど、空港からバスで連れて行かれたのは名もないレンタカー屋。恐ろしくなって、フル・インシュランスをお願いし、結局高ついてしまった。安物買いの銭失いとはこのことである。
1st ヴァ・ファン・クーロ

ブレーキをかけると異音が発生するそのパンダを1時間運転して、ブレーシアまでパーティーに行って来た。
とりあえず順調に終わり、深夜に帰宅。
さっそく今朝から写真整理を始めようとした。
今回持参したのは今年購入したばかりのMacBook Air。サブのパソコンのつもりだったけど、前のモデルからかなり性能がよくなっていて、メインとしても使えるくらいになっている驚きの改良版だ。
ただ、カードリーダーを持参していていないので、USBコードをカメラに接続して画像を取り入れようとした。
ついでにキヤノンのサイトを見ると、ユーティリティソフトがアップデートされている。画像を取り込む前に、アップデートしたら、なんとそれが起動しない。
よくみると、OS 10.7には対応していないのだ。
かくして、撮った画像を取り込めなくなってしまった。
こうなると、カードリーダーを買うしかない。
2nd ヴァ・ファン・クーロ

あいにく今日は日曜日。最近、ようやく日曜日営業のお店も増えて来たイタリアだか、それでも店を探すとなるとかなり難しい。
インターネットで調べてみると、近くの大型スーパーマーケットが今日に限り特別オープンしていることが分かった。
そこでパネットーネを買い足しつつも、15ユーロの知らないブランドのものを買う。
家に帰ってさっそくそれを使ってみるとが、コンパクトフラッシュが入らないではないか。
無理に入れようとしたら、中に無数ある針金状のものの1本が曲がってしまった。
無料交換してもらいに、再びスーパーへ。
3rd ヴァ・ファン・クーロ

壊れた製品を持っていったら、すんなり交換してくれたけど、すでに昼を過ぎている。
ああ、こんな無駄な時間を過ごすためにイタリアに来たのではないのに...。
急いで家に帰り、コンパクトフラッシュを挿入すると、また入らない。
力を加えると、今度は中のプラスチックの部分が欠けてしまった。
なんだよ、このdigicomという製品は。恐怖のチャイナ・クオリティー、あまりにひど過ぎる。
4th ヴァ・ファン・クーロ

本日3度目のスーパー詣で。
係の人は疑い深い目でこの日本人を見るのもしかたがない。
だけど、おれは何も悪いことはしていない。この製品が悪いのだ。
今度はさらに安い9ユーロの中国製を購入し、差額はビールを買ってチャラ。
すでに時計は1時を回っている。
なんで、こんなカードリーダーぐらいのもので、走りまわる必要があるのか、もう泣きたい気持ち。

この国にいると、ホント、エネルギーを使う。
ダイエットしたいあなたは、イタリアに住むべき。
だけど、もとと言えば、キヤノンが悪いんだよね。天下のキヤノンが。早く10.7に対応したEOS Utilityを出してくださいよ。


ミラノ到着
ミラノ到着
先日受けた健康診断の結果が極めて良かったせいもあり、飛行機の中で大好きなシャンパンをがぶがぶ飲んでミラノに到着。
今晩、ブレーシアで選手が集まるパーティーに招待されているのですが、開始が夜8時半と遅く、時差ぼけ真っ最中の自分には辛いものがあります。
なので、自炊したお昼ご飯で赤ワインを2合ほど飲みました。
これから昼寝します。
この国にいると、お昼にどれだけお酒を飲んでも罪悪感はまったくありません。

明後日、チポッリーニの家に行こうと思っていたら、本人から電話があって、木曜日にミラノで用事があるとのこと。
結果、ミラノで取材出来ることに。
ますます、落ち着いて昼酒が飲めました。

働くの好きですが
働くの好きですが
今日、主だったクライアントに来シーズンの撮影スケジュールを送りました。
ミラノ郊外、カンビアーゴにある某自転車メーカーから
「えっ、トロフェオ・ライグエリアは行かないのかよ?」というジョークが飛んできました。
ど・こ・ま・で・お・れ・を・は・た・ら・か・せ・る・ん・だ・よ。(ここはロボットの声です)
もうすぐイタリアに出発
バルタリのDVDを全部見る。最高に面白かった。
コッピとの関係は、ライバル意識に加え、ビアンキ対レニャーノという自転車メーカーの競争がかなり影響したことを知った。

チポッリーニのスキーの件、スキー場にはまだほとんど雪がないのだが、降っていっしょに滑ることになってもいいように、準備だけはしておく。
イタリアの家にもいちおう用具が一式あるので心配ないが。
もしかしてスキー持参?
来週からイタリアに行くのだけど、いくつか取材があって、その一つがチポッリーニ宅訪問。
でもさっきメールがきて
「おい、ドロミテのスキー場でいっしょに滑った後でやらないか」って。
マジかよ...。
イタリアのレンタカーって、基本、スノータイヤはいてないんだよね。