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ミラノから
怒濤の世界選でした。
とにかく今年は毎日がレースで、タイムトライアルとロードの間の休養日がなかったため、ハードでした。
しかも、パソコンのディスプレイがまっ暗で使えず、古いものを使っているために、めちゃくちゃ遅い。仕事もなかなかはかどりません。
メールをいただいてもなかなか返事が書けません。ここにお詫び申し上げます。

今日は日本のテレビとの仕事があります。
明日・明後日は写真の整理と原稿書き、そして金曜日からメキシコです。
メキシコからイタリアに戻ってきたらロンバルディーア、それからパリに行ってツール・ド・フランスのプレゼンテーションに出席。翌日に日本に戻ります。
ヴァレーゼから
昨日の午前中はけっこう強い雨が降って、すごく寒くなったけど、午後から天気がよくなった。
そして今日もいい天気で、秋の気配がする。
昨日、ヴァレーゼで自転車関係の日本の方と食事したけど、やっぱりイタリアはおいしい。どこに入ってもはずれが滅多にない。

ところが、イタリアをエンジョイできるのはあと10日ほどだけ。
実は来週後半からメキシコのブエルタ・ア・チワワに行くことになったのだ。
メキシコはたしか5年前に一度行っている。
タコスでイタリアの未練をカバーできるだろうか。
マドリード空港から
最終ステージが終わってからプレスルームで仕事したけど、無線LANが遅く、しまいには切れてしまった。
新聞社や通信社の連中は、毎年プレスルームになるこのホテルの回線状況が良くないことを覚えていて、ちゃんとモバイルカードを使ってやっていた。
僕はホテルから送ろうとしたけど、そこは無線LAN(こっちではwifi=ウイフィーと呼ばれています)がなく、しかもドアが壊れて部屋に30分は入れないという惨事が夜11時に起きた。

今日月曜日のマドリードは雨。レンタカーを返却し、今、空港でこれを書いている。
これからミラノに飛び、そこから直接世界選の会場であるヴァレーゼに行き、受付をやってから家に戻る予定。
明日から世界選が始まる。
今年・そして来年のメンドリズィオ(スイス)は自宅から通える。
毎日、毎日、生きています
ジロやツール期間中は「寝る」「食べる」以外は全部仕事という異常事態。
これに比べれば、ブエルタはかなり楽。
そもそも、レースだってこの2つから見れば、スペインのローカルレースといった感じだ。
もっとも、そこがいいんだけどね。

だけど、今が「いつ」で自分が「どこにいる」のか、ほとんどわかっていない。
つまり、毎日毎日を生きていくのに精一杯なのだ。見るのは明日のコースマップだけで、あさってのものを見ることはない。

それから、僕の仕事でおかしなことが一つ。
とりあえず、取材にいくら使ったかは記録している。
そして普通の会社だったら、経費がかかりすぎれば、なんとか押さえようとする。
ところが僕の場合は、「かかるものはかかるから、どうしようもない」と思っているので、対策はない。
20年間、本当にこれでやってきた。
これでどうにか回っているのだから、とりあえず利益は出ているのだと思う。
このブエルタで経費がいくらかかったのか、そしていくらの収益が上がるのかなどはほとんど分からない。
分かってしまうと、逆になかなかこの仕事はできないというか、いい仕事はできまへん。
スペインから
昨日のレースはプロトンの進行速度が遅く、ゴールしたのがだいたい夜7時。表彰式が7時半終了、プレスルームでの仕事が8時半まで。
ホテル到着が9時。夕食が9時半。
で、リクイガスと同じホテルだったので、中野と12時までバーにいた。
スペインにいると、なんでも遅くなります。
残念
競輪選手の内田慶君が競走中に落車死したことをニュースで知って驚いた。
追い抜き選手として日本代表になっていた。ワールドカップや世界選、それに一昨年のアジア大会など、これまで何度も撮影している。
まだ若かっただけに、本当に残念。
スペインから御冥福をお祈りしています。
ブルゴスから
今日のガゼッタは2ページに渡ってアームストロングのことで、ブエルタの記事はコラム程度。すっかりアームストロングに振り回されている。

普段の撮影はオートバイからなので、クルマでの撮影は要領を得ない。
食料補給地点からチームのマッサージ師たちのクルマと走ったが、ずっと150キロから200キロで走るから(高速道路じゃないところも!)、もうくたくた。二度とあいつらといっしょに走るまいと思った。
と同時に、昔、自分もクルマで撮影していたときはこういうことを毎日やっていたのだと振り返る。なんてバカなことをしていたもんだと思った。

ゴール写真を撮り終えてから、通りに停めておいたクルマに戻ると、窓ガラスが全開。「うわっ、また泥棒に壊されたか」と思ったが、自分の閉め忘れだった。
心身ともに疲れていたせいだ。
中に高額な機材からパンツまで身の回り品一式が入っていたが、幸い何もとられてなかった。

取材現場にはいろんなトラブルだとか、苦労がつきものだ。
不肖カメラマンの宮嶋茂樹さんも、現場を知らないでどうのこうのいうやつが大嫌いだと書かれていたけど、その気持ちはとてもよく分かる(あの人の本は面白いので、何冊か持っています。滝で身動きが取れなくなって、大きなレンズを滝壺に捨てた話なんか忘れられない。目立つ人だからどうこう言う人が多いかもしれないけど、じゃあ取材現場に行く苦労をいったいどれだけの人が知っているのだろう?)。
例えば、同じ取材する側にマナーを心得ない人間がいてやりきれなくなることなんて、外部からはまったく見えないだろう。
サラゴサから100km離れた田舎の温泉から
昨日のステージのゴールと今日のステージのスタートは200kmくらい離れていて、写真電送後に100kmほど移動。途中、雷がひどく、ビビりながら運転していた。
予約してあったホテルについてみると、そこは大きな温泉ホテルで、客は本当にお年寄りたちだけ。
平均年齢は軽く70歳を超えているだろう。
でも、スペインのホテルはどこも清潔で、多くのところはインターネットが無料。ここでコンピューターを持ち歩いている客はおそらく僕一人だろう。

昨日のゴールのサラゴサは今、万博をやっていて、ホテルがどこもバカ高いのでここまで移動してきたのだ。
サラゴサを抜けるときに、カーナビに載っていない道ができていて、しかも万博会場に紛れ込んでしまった。

夜中は土砂降りの雨。
朝起きて、「さあ今日はオートバイに乗っているカメラマンたちは大変だぞ」と、ほくそ笑みながら外を見ると、あれっ、快晴だよ。

昨日、エスカルティンがホテルのオーナーと書きましたが、彼彼はそこのイメージマン(日本語でなんて書いていいかいつも悩む。ようするに看板役)なのだそうだ。
サビニャニゴから
昨日のステージの表彰式にエスカルティンが来ていた。このへんの出身らしく、町中の自転車屋の中にも彼がケルメで走っていたときのポスターが貼られていた。
去年から見ると太っていて、すっかりホテルのオーナーって感じだ。

一方、朝のスペインのニュースで、昨日のステージのゴールスプリントの映像の後、アームストロングの現役復帰のニュースをやっていた。
しかし、どのチームから参戦するのだろう???
たとえ、どっかがとってくれたとしても、どういうチーム編成にするのか。
彼をキャプテンに据えると、みんな今からアシスト?
そもそも、ジャンマリールブランと仲違いして引退しているし。
体力的にたとえやれたとしても、そういった環境の部分でちょっと無理じゃないかと思う。
プラ・デ・ベレの麓から
昨日のステージはツールでおなじみのプラ・デ・ベレに行ったけど、今はその麓のホテルにいる。今シーズンいっぱいで解散になるクレディ・アグリコルと同じホテルにいる。今回ローチェの息子(お父さんが偉大だったから、名前じゃなくて息子と呼ばれるのがちょっとかわいそうだな。姓でフランス語読みのロッシュと呼ばれることも多い)が強いのにちょっと驚いている。

イタリアではこのブエルタは世界選のためのレースで、フランスのモンクティエの優勝などはほとんど記事になっていない(レキップからは連日フランス選手の写真の問い合わせがあるけど。シャヴァネルがマイヨ・オロを着て迎えた休養日など、ホテルで休んでいたら「ええ、なにも撮っていないのか!」だって)。ガゼッタに至ってはモンクティエって誰?みたいな感じで、僕がスタートで撮ったクネゴとバッランの写真が使われているくらい。なぜなら、クネゴの世界選出場が微妙な位置にあるからだ。

イタリアではプラッチとロマーニャが2連戦で行われた。これも世界選のメンバーを決めるのに重要だ。
プラッチでパオリーニが勝った。久しぶりに聞く名前だけど、彼もおそらくメンバーに入るだろう。

チポッリーニも先日のガゼッタのインタビューで言っていたけど、自転車界では世界選の方が五輪よりも重要だと。
別に彼が言うまでもなく、本当にそのとおり。
僕は世界選の優勝者の名前を過去30年はソラで言えるけど、五輪は言えないかも。北京で勝ったのは誰だったか…、ああまだ覚えていて安心。
イタリア・レストランに行ってしまった
僕は海外にいるとき、その国の料理以外のものを食べることはめったにない。
イタリアにいるときはイタリア料理、フランスではフランス料理という感じだ。
どうせ移動するのだから、たとえば日本料理を食べるのだったら日本に行ってから食べればいいのだ、自分の場合は。
逆に日本にいるときは、日本食以外のものを食べることはめったにない。すごに海外にいくのだから。
だけど、スペインにいる今、周りにまともなレストランがなくて、しかたなくイタリア・レストランに行った。
で、やっぱりだめだった。特にスパゲッティはもう完全にゆで過ぎ。
僕はイタリアの普通の家庭で、家庭料理を3年間に渡って食べ続けたが、このスパゲッティに関して言うと、ゆで過ぎ、ゆで足りなさを一度も経験していない。あれはすごいと思う。

日本のスパゲッティも最近はかなりおいしくなったけど(行かないといいながらも、イタリア人のアテンドがあると東京や大阪のレストランに当然行く)、ただラーメンを食べるときのようにすすって食べる客が多いのと、給仕人がアルバイトなんかのプロ意識がない人が多いので、自分から行くことは数軒のお店を除いてはない。

ちなみに、宇都宮で世界選手権があった1990年、コックを連れてきたのはベルギーチームとイタリアチームだけだったけど、イタリアはプロの給仕人を3人連れてきた。レストランを作るとき、コックさんだけじゃだめなのだ。
もうちょっとで…
昨日、プレスルームの駐車場に行こうとしているとき、狭い路地の向こうから1台のクルマが猛スピードでやってくる。怖くて右に寄ったら、僕のクルマの直前で急停止。その後ろからやってきたおばさんのクルマが停まれずに追突した。
まともじゃないと思ったけど、案の定、その男は手錠をはめられた。
薬物中毒者だったのかもしれない。
シートベルトしていなかったし、あれにぶつかられたら大変なことになっていた。
緑と黄色はX(ベッティーニ)
緑と黄色はX(ベッティーニ)
レース期間は忙しいので、新聞を読む時間すらないときがあるけど、自分の写真が載っているときには、多少は読むかな。
今日のガゼッタのバルベルデのゴールシーンは僕の撮ったものが使われていたけど、その横にあるベッティーニの日記が面白いことを発見。

昨日の朝、黄色のリーダージャージを着て現れたピッポ・ポッツァートを見て、緑のパンツと色が全然マッチしていないことをベッティーニがひどく笑っていたのだけど(僕のギャラリーにいっしょに撮った写真がある)、そのことを書いていて、「パンツや手袋やシューズも色を合わせるべき。彼のようなおしゃれなやつがあれじゃ、がっかりした。でもひげを剃ったのはよかった」って。

僕もポッツァートのひげを、にあわねえーと思っていた。まるでザブリスキーだ。そもそも、脚の毛を剃る自転車選手にひげは不釣り合いだと思う。
唯一おかしくなかったのはスイスのフロイラー(80年代から90年代前半にかけて活躍したスプリンターで、引退後はフォナックのマネージャーをやったこともあった)だけだと思っている。

写真はひげを剃ってマイヨ・オロを着てきたピッポ。