2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
1985年のイタリア その1
自分の自転車競技に対する知識や経験は、やっぱりイタリアで身につけたと言えます。
そんなこともあり、イタリアに渡った最初の年である1985年の写真を少しずつお見せしようかと思っています。
これは1985年のアマチュアの最高カテゴリーのイタリア選手権です。
優勝したのは、オスカル・ペッリコーニ。アマではたしかこれを含めて2度イタリアチャンピオンになっていて、その後プロに進み、さらに引退後はアモーレ・エ・ヴィータの監督をやってました。
しかし、アマチュアのレースでもすごい観客です。
チームカーだって、たしか100台以上はあったと思います。
イタリア全土から選手が集まって来るのですが、たとえ1人しか出ていないチームでもサポートーを出す権利があったのだと思います。少なくとも当時は。
チームカーの走っていないロードレースというのは、僕の中ではレースじゃないんです。
このあたり、日本のレースはぜひ見習ってほしいものです。
1985年の日本といえば、ロードレースでもお釜ヘルメットをかぶらされ、国体のスタートは朝6時でした。チームカーなど、存在すらしません。今でもまともに走らせてもらえないのですから。
かたやイタリアではアマのレースでもあたりまえにチームカーがコースを走り、沿道は観客で溢れ、プロレースのような状況だったわけです。
そんなこともあり、イタリアに渡った最初の年である1985年の写真を少しずつお見せしようかと思っています。
これは1985年のアマチュアの最高カテゴリーのイタリア選手権です。
優勝したのは、オスカル・ペッリコーニ。アマではたしかこれを含めて2度イタリアチャンピオンになっていて、その後プロに進み、さらに引退後はアモーレ・エ・ヴィータの監督をやってました。
しかし、アマチュアのレースでもすごい観客です。
チームカーだって、たしか100台以上はあったと思います。
イタリア全土から選手が集まって来るのですが、たとえ1人しか出ていないチームでもサポートーを出す権利があったのだと思います。少なくとも当時は。
チームカーの走っていないロードレースというのは、僕の中ではレースじゃないんです。
このあたり、日本のレースはぜひ見習ってほしいものです。
1985年の日本といえば、ロードレースでもお釜ヘルメットをかぶらされ、国体のスタートは朝6時でした。チームカーなど、存在すらしません。今でもまともに走らせてもらえないのですから。
かたやイタリアではアマのレースでもあたりまえにチームカーがコースを走り、沿道は観客で溢れ、プロレースのような状況だったわけです。