2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
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2024-10-18
東京での写真展
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2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
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2024-09-12
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
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ツアー・オブ・オマーンの長い1日
第5ステージはいちばん重要なステージだった。
この日は朝9時45分にテント前に集合のはずだった。
時間通りに行くといつも早すぎるので、若干遅れて行った。ほんの3分ほど。
ところがなぜかこの日は時間通り、もしかすると予定時間を早めて出発したような感じで、僕はおいてきぼりをくらった。
そこにちょうど、アルフォンソ・デヴォルフがいた。1980年にロンバルディーアを、1981年にサンレモを取った元強豪選手である。このカタールとオマーンのレースでは、エディ・メルクスの運転手を務めている。
アルフォンソがエディに頼んでくれたおかげで、僕は2人が乗るレースディレクターカーでスタートに向かった。
エディはクルマの中で1980年代にインドの方で行われたラリーにトヨタ・カローラで出場し、クルマは転覆するは、飛行機の座席はないわの、まさに冒険ラリーを経験したことを長々と流暢なイタリア語で話してくれた。
スタートに向かう途中からすごい砂嵐が吹き荒れた。エディも僕もオマーンの大会を全部カバーしているが(今年で6回目)、こんな砂嵐は初めてだった。
スタートに着くと、すでに到着していたコミッセールがコースの短縮を決定した。
そしてまもなくコンボイを作って新たなスタートに向かった。そこは、今日の勝負所となる峠の登り口だった。
当初は峠2回往復のところを、短縮した分を追加して3往復することに決定した。そしてまずは峠を一回ニュートラリゼーションで上って下ることになった。
そこで僕は山頂で待つことにした。山頂は、今年のジェイスポーツの1月、2月の写真を撮ったところで、下りは100kmを超えるスピードが出る。
僕はまず、今日のウォーミングアップみたいな感じで、そのジェイスポーツのカレンダーと全く同じところに立って写真を撮った。そして選手たちがすごいスピードで下っていくのを見届けた後、オートバイで後を追った。
ところが不思議なことが起きてきた。バルディアーニの選手が4人もパンクして立ち止まっているのだが、なんか様子が変なのだ。普通のパンクではないとは思った。
下り終わった時、カンチェッラーラがレースディレクターのペシューのクルマに寄ってなにか抗議している。そして間もなく集団はストップし、ストライキが始まった。
選手の言い分は
「気温が高く、タイヤがパンクしやすくなっている。すでに4人もパンクした。このハイスピードが出るコースはとても危険だから、レースできない」というものだった。
これに対し、主催者側のエディ・メルクスは
「他のレースと同じ気象条件。レースの中断は認められない」と言う。
選手の代表はいつもカンチェッラーラで、マペイ時代のチームメートで普段も仲の良いポッツァートなど、強い選手の多くが続行反対のように見えた。
アシストクラスはこういうとき、自分の立場をわきまえてまったく発言しないし、できる雰囲気でもない。
ただ、メルクスのところにバルベルデが行き、
「自分はレース続行に賛成」と言った。バルベルデが言うということは、少なくともモビスター勢の総意でもある。
また、ヴァンガードレンがポッツァートと意見を戦わせていたところを見ると、彼もまた続行賛成に見えた。
このように、選手でも意見が分かれていた。
そのうち、メルクスが声を荒げ、
「走りたくない選手はすぐにどいてくれ。走る選手は今からスタートだ」と興奮してまくし立てた。
ブアニとオフレドが
「もしここで走らなくても、明日のステージは走れますか?」と聞くと、メルクスは
「No!」と一蹴した。
さらに、地元の大会運営委員が
「こんなんじゃ、もうオマーンで大会はできない」と激怒した。
これに対しカンチェッラーラは
「オマーンの国や人、大会をリスペクトはするが、自転車よりも命の方が大事だ」と主張を曲げなかった。
結局、ステージはキャンセルとなった。
メルクスの表情は、それはそれは怖かった。
自転車界の神様の意見が通らなかったのである。
メルクスのことを悪く言う人はこれまで自分の人生で聞いたことは一度もないし、実際メルクスが選手を怒鳴ると、だれもが口をつぐんだ。
僕は今回の事件でいくつかのことを思った。
1つはなぜバルディアーニだけが立て続けに4人もパンクしたかだ。いや、パンクではなく、車輪からタイヤが外れたのかもしれない。実際、ランプレの名メカニックのペンゴが車輪を持って状態を見せに来たのだけど、糊が柔らかくなってタイヤが手で簡単にはがせることができた。
いずれにしても、バルディアーニのタイヤか糊に問題があったことはたしかだ。
そして猛暑での100キロ越えのダウンヒルができないというなら、真夏のツール・ド・フランスのトゥールマレのあのおそろしいダウンヒルはなぜ中止にならないのだろう。あそこも100キロは出るし、道はここよりもずっと凸凹している。ご存知、夏のツールはアスファルトが溶けるくらいに気温も上がる。
結局のところ、選手がバルディアーニ勢のパンクを見て、かなりの恐怖感をいだいたということだろう。
しかし、普段仲の良いメルクスとカンチェッラーラが意見を戦わせたのはすごかった。メルクスは自転車界の神様で、人間的にも非常に良くできた人。
一方、カンチェッラーラは選手のリーダー的存在である。
明日から、また二人はいつもの仲に戻るのだろうか。それとも亀裂が入ったのだろうか?
また、この大会で非常に重要な今日の峠が、今後除外されるかもしれないだろう。そうなると、大会としてどうなのだろうか?
このステージの中止がもしかすると、いろんなところに影響するかもしれない。
ますます疑問は尽きない。
この日は朝9時45分にテント前に集合のはずだった。
時間通りに行くといつも早すぎるので、若干遅れて行った。ほんの3分ほど。
ところがなぜかこの日は時間通り、もしかすると予定時間を早めて出発したような感じで、僕はおいてきぼりをくらった。
そこにちょうど、アルフォンソ・デヴォルフがいた。1980年にロンバルディーアを、1981年にサンレモを取った元強豪選手である。このカタールとオマーンのレースでは、エディ・メルクスの運転手を務めている。
アルフォンソがエディに頼んでくれたおかげで、僕は2人が乗るレースディレクターカーでスタートに向かった。
エディはクルマの中で1980年代にインドの方で行われたラリーにトヨタ・カローラで出場し、クルマは転覆するは、飛行機の座席はないわの、まさに冒険ラリーを経験したことを長々と流暢なイタリア語で話してくれた。
スタートに向かう途中からすごい砂嵐が吹き荒れた。エディも僕もオマーンの大会を全部カバーしているが(今年で6回目)、こんな砂嵐は初めてだった。
スタートに着くと、すでに到着していたコミッセールがコースの短縮を決定した。
そしてまもなくコンボイを作って新たなスタートに向かった。そこは、今日の勝負所となる峠の登り口だった。
当初は峠2回往復のところを、短縮した分を追加して3往復することに決定した。そしてまずは峠を一回ニュートラリゼーションで上って下ることになった。
そこで僕は山頂で待つことにした。山頂は、今年のジェイスポーツの1月、2月の写真を撮ったところで、下りは100kmを超えるスピードが出る。
僕はまず、今日のウォーミングアップみたいな感じで、そのジェイスポーツのカレンダーと全く同じところに立って写真を撮った。そして選手たちがすごいスピードで下っていくのを見届けた後、オートバイで後を追った。
ところが不思議なことが起きてきた。バルディアーニの選手が4人もパンクして立ち止まっているのだが、なんか様子が変なのだ。普通のパンクではないとは思った。
下り終わった時、カンチェッラーラがレースディレクターのペシューのクルマに寄ってなにか抗議している。そして間もなく集団はストップし、ストライキが始まった。
選手の言い分は
「気温が高く、タイヤがパンクしやすくなっている。すでに4人もパンクした。このハイスピードが出るコースはとても危険だから、レースできない」というものだった。
これに対し、主催者側のエディ・メルクスは
「他のレースと同じ気象条件。レースの中断は認められない」と言う。
選手の代表はいつもカンチェッラーラで、マペイ時代のチームメートで普段も仲の良いポッツァートなど、強い選手の多くが続行反対のように見えた。
アシストクラスはこういうとき、自分の立場をわきまえてまったく発言しないし、できる雰囲気でもない。
ただ、メルクスのところにバルベルデが行き、
「自分はレース続行に賛成」と言った。バルベルデが言うということは、少なくともモビスター勢の総意でもある。
また、ヴァンガードレンがポッツァートと意見を戦わせていたところを見ると、彼もまた続行賛成に見えた。
このように、選手でも意見が分かれていた。
そのうち、メルクスが声を荒げ、
「走りたくない選手はすぐにどいてくれ。走る選手は今からスタートだ」と興奮してまくし立てた。
ブアニとオフレドが
「もしここで走らなくても、明日のステージは走れますか?」と聞くと、メルクスは
「No!」と一蹴した。
さらに、地元の大会運営委員が
「こんなんじゃ、もうオマーンで大会はできない」と激怒した。
これに対しカンチェッラーラは
「オマーンの国や人、大会をリスペクトはするが、自転車よりも命の方が大事だ」と主張を曲げなかった。
結局、ステージはキャンセルとなった。
メルクスの表情は、それはそれは怖かった。
自転車界の神様の意見が通らなかったのである。
メルクスのことを悪く言う人はこれまで自分の人生で聞いたことは一度もないし、実際メルクスが選手を怒鳴ると、だれもが口をつぐんだ。
僕は今回の事件でいくつかのことを思った。
1つはなぜバルディアーニだけが立て続けに4人もパンクしたかだ。いや、パンクではなく、車輪からタイヤが外れたのかもしれない。実際、ランプレの名メカニックのペンゴが車輪を持って状態を見せに来たのだけど、糊が柔らかくなってタイヤが手で簡単にはがせることができた。
いずれにしても、バルディアーニのタイヤか糊に問題があったことはたしかだ。
そして猛暑での100キロ越えのダウンヒルができないというなら、真夏のツール・ド・フランスのトゥールマレのあのおそろしいダウンヒルはなぜ中止にならないのだろう。あそこも100キロは出るし、道はここよりもずっと凸凹している。ご存知、夏のツールはアスファルトが溶けるくらいに気温も上がる。
結局のところ、選手がバルディアーニ勢のパンクを見て、かなりの恐怖感をいだいたということだろう。
しかし、普段仲の良いメルクスとカンチェッラーラが意見を戦わせたのはすごかった。メルクスは自転車界の神様で、人間的にも非常に良くできた人。
一方、カンチェッラーラは選手のリーダー的存在である。
明日から、また二人はいつもの仲に戻るのだろうか。それとも亀裂が入ったのだろうか?
また、この大会で非常に重要な今日の峠が、今後除外されるかもしれないだろう。そうなると、大会としてどうなのだろうか?
このステージの中止がもしかすると、いろんなところに影響するかもしれない。
ますます疑問は尽きない。