2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
ガゼッタの巨星、リーノ・ネグリ他界
昔、ツール・ド・ランカウイでイタリアのスプリンター・クワランタの落車の写真を撮っていなかったことから、ガゼッタの仕事で来ていたリッロというベテラン新聞記者から怒鳴りつけられ、ホテルまで行って写真を撮らせてもらったことがある。
これは、自分にとってかなり薬になった出来事だった。
リッロはローマのイル・メッサッジェーロ紙の記者だったのだが、ティレーノ〜アドリアティコを創始したことでも知られている。だから定年退職した後も、ガゼッタの臨時記者という肩書きで、ランカウイに来ていたのだ。
上から怒鳴られるのは嫌だけど、仕事を覚えたいのなら、やっぱり必要である。しかも、それが一流の記者からだったら、逆にありがたい話である。
一昨日、ガゼッタで自転車部門のトップを永く務めて来たリーノ・ネグリが87歳で他界した。
僕がこの仕事を始めた頃は、今年までジロを仕切っていたゾメニャーンや、今かなり上のポストにいるベルゴンズィらはネグリの下で働いていた。なにしろネグリの経験したジロは42回、ツールが39回!
僕は著書を何冊も持っているし、それに彼の書いた新聞記事のスクラップを大量に保管しているけど、しゃべったことは一度もない。
去年もコルナーゴのクリスマスのミサに来ていたけど、僕にとっては手の届かない存在だった。
レキップのピエール・シャニーとガゼッタのリーノ・ネグリ。
憧れの存在だった。
これは、自分にとってかなり薬になった出来事だった。
リッロはローマのイル・メッサッジェーロ紙の記者だったのだが、ティレーノ〜アドリアティコを創始したことでも知られている。だから定年退職した後も、ガゼッタの臨時記者という肩書きで、ランカウイに来ていたのだ。
上から怒鳴られるのは嫌だけど、仕事を覚えたいのなら、やっぱり必要である。しかも、それが一流の記者からだったら、逆にありがたい話である。
一昨日、ガゼッタで自転車部門のトップを永く務めて来たリーノ・ネグリが87歳で他界した。
僕がこの仕事を始めた頃は、今年までジロを仕切っていたゾメニャーンや、今かなり上のポストにいるベルゴンズィらはネグリの下で働いていた。なにしろネグリの経験したジロは42回、ツールが39回!
僕は著書を何冊も持っているし、それに彼の書いた新聞記事のスクラップを大量に保管しているけど、しゃべったことは一度もない。
去年もコルナーゴのクリスマスのミサに来ていたけど、僕にとっては手の届かない存在だった。
レキップのピエール・シャニーとガゼッタのリーノ・ネグリ。
憧れの存在だった。