2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
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2024-10-18
東京での写真展
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2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
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2024-09-12
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
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1年前はチポッリーニがアームストロング状態だった
夜、フジテレビ開局50年歌番組を見ていた。
僕は1985年からイタリアに行くようになったので、流行歌が断片的にしか頭に残っていないのだけど、それだからかよけいに哀愁の念が強いのか、もう面白くてずっと見ていた。
マリオ・チポッリーニと音楽の話をしていて、「とくにこれといった歌手はいないけど、でもインプレッションの強いものには惹かれる。それはサッカーのプレーもいっしょで、ひいきチームはないけど、良いプレーには見入ってしまう」とのこと。僕の音楽観もサッカー観もまったくこれ。
マリオで思い出したけど、ちょうど1年前くらいかな、現役復帰するというので、そりゃあ今のアームストロング状態だった。
ロサンゼルスに行っているときにガゼッタから呼び出されて、「サンタモニカで、明日ロックレーシングと契約するから、写真を撮れ」と。
今の自転車部門のチーフからタクシー代200ドル渡され、「明日サンタモニカで待っている」と。もう強引というか、強制というか...。
翌日、マリオと朝食をとりながら、記者はインタビュー、僕はとりあえずその写真を撮る。そのあと、彼は弁護士といっしょにロック社の社長と交渉すること1時間。記者はホテルに戻り、原稿書き。僕はロケハンを終え、ずっと外で待っていた。
ようやく出て来たマリオは「もう時間がないから撮影はなし」と。
僕はパニックとなった。ホテルに戻っていた記者の怒りのシーンが脳裏に浮かぶ。
説得しても、「もう空港に行くから時間がない」
そこで、撮れるものは撮って、ガゼッタ編集部に送って掲載されたのがこの写真。
タイトルは「チポッリーニ、サンタモニカの道路でスプリント!」
今思うと、交渉は物別れだったのだ。
カリフォルニア一周をロックレーシングで走ったけど、結局ギャラは1円もらえず、そして選手復帰の夢はそこで消えた。
今度、本か写真集でも出したときに、この辺のことまた書きます。
(横断歩道を走って渡るマリオ。ぼくもいっしょに走りながら撮った。もうなんでもいいから撮らなくてはならなかった)
僕は1985年からイタリアに行くようになったので、流行歌が断片的にしか頭に残っていないのだけど、それだからかよけいに哀愁の念が強いのか、もう面白くてずっと見ていた。
マリオ・チポッリーニと音楽の話をしていて、「とくにこれといった歌手はいないけど、でもインプレッションの強いものには惹かれる。それはサッカーのプレーもいっしょで、ひいきチームはないけど、良いプレーには見入ってしまう」とのこと。僕の音楽観もサッカー観もまったくこれ。
マリオで思い出したけど、ちょうど1年前くらいかな、現役復帰するというので、そりゃあ今のアームストロング状態だった。
ロサンゼルスに行っているときにガゼッタから呼び出されて、「サンタモニカで、明日ロックレーシングと契約するから、写真を撮れ」と。
今の自転車部門のチーフからタクシー代200ドル渡され、「明日サンタモニカで待っている」と。もう強引というか、強制というか...。
翌日、マリオと朝食をとりながら、記者はインタビュー、僕はとりあえずその写真を撮る。そのあと、彼は弁護士といっしょにロック社の社長と交渉すること1時間。記者はホテルに戻り、原稿書き。僕はロケハンを終え、ずっと外で待っていた。
ようやく出て来たマリオは「もう時間がないから撮影はなし」と。
僕はパニックとなった。ホテルに戻っていた記者の怒りのシーンが脳裏に浮かぶ。
説得しても、「もう空港に行くから時間がない」
そこで、撮れるものは撮って、ガゼッタ編集部に送って掲載されたのがこの写真。
タイトルは「チポッリーニ、サンタモニカの道路でスプリント!」
今思うと、交渉は物別れだったのだ。
カリフォルニア一周をロックレーシングで走ったけど、結局ギャラは1円もらえず、そして選手復帰の夢はそこで消えた。
今度、本か写真集でも出したときに、この辺のことまた書きます。
(横断歩道を走って渡るマリオ。ぼくもいっしょに走りながら撮った。もうなんでもいいから撮らなくてはならなかった)