Diary Only japanese
最新のDiary
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
2024-09-12
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
過去のDiary

2024年11月

2024年10月

2024年09月

2024年08月

2024年07月

2024年06月

2024年05月

2024年04月

2024年01月

2023年12月

2023年11月

2023年10月

2023年09月

2023年08月

2023年06月

2023年04月

2023年03月

2023年02月

2023年01月

2022年12月

2022年11月

2022年10月

2022年09月

2022年08月

2022年07月

2022年06月

2022年05月

2022年04月

2022年03月

2022年02月

2022年01月

2021年12月

2021年11月

2021年10月

2021年09月

2021年08月

2021年07月

2021年06月

2021年05月

2021年04月

2021年03月

2021年02月

2021年01月

2020年12月

2020年11月

2020年10月

2020年09月

2020年08月

2020年07月

2020年06月

2020年05月

2020年04月

2020年03月

2020年02月

2020年01月

2019年12月

2019年11月

2019年10月

2019年09月

2019年08月

2019年07月

2019年06月

2019年05月

2019年04月

2019年03月

2019年02月

2019年01月

2018年12月

2018年11月

2018年10月

2018年09月

2018年08月

2018年07月

2018年06月

2018年05月

2018年04月

2018年03月

2018年02月

2018年01月

2017年12月

2017年11月

2017年10月

2017年09月

2017年08月

2017年07月

2017年06月

2017年05月

2017年04月

2017年03月

2017年02月

2017年01月

2016年12月

2016年11月

2016年10月

2016年09月

2016年08月

2016年07月

2016年06月

2016年05月

2016年04月

2016年03月

2016年02月

2016年01月

2015年12月

2015年11月

2015年10月

2015年09月

2015年08月

2015年07月

2015年06月

2015年05月

2015年04月

2015年03月

2015年02月

2015年01月

2014年12月

2014年11月

2014年10月

2014年09月

2014年08月

2014年07月

2014年06月

2014年05月

2014年04月

2014年03月

2014年02月

2014年01月

2013年12月

2013年11月

2013年10月

2013年09月

2013年08月

2013年07月

2013年06月

2013年05月

2013年04月

2013年03月

2013年02月

2013年01月

2012年12月

2012年11月

2012年10月

2012年09月

2012年08月

2012年07月

2012年06月

2012年05月

2012年04月

2012年03月

2012年02月

2012年01月

2011年12月

2011年11月

2011年10月

2011年09月

2011年08月

2011年07月

2011年06月

2011年05月

2011年04月

2011年03月

2011年02月

2011年01月

2010年12月

2010年11月

2010年10月

2010年09月

2010年08月

2010年07月

2010年06月

2010年05月

2010年04月

2010年03月

2010年02月

2010年01月

2009年12月

2009年11月

2009年10月

2009年09月

2009年08月

2009年07月

2009年06月

2009年05月

2009年04月

2009年03月

2009年02月

2009年01月

2008年12月

2008年11月

2008年10月

2008年09月

2008年08月

2008年07月

2008年06月

2008年05月

2008年04月

2008年03月

2008年02月

2008年01月

2007年12月

2007年11月

2007年10月

2007年09月

2007年08月

2007年07月

2007年06月

2007年05月

2007年04月

2007年03月

2007年02月

2007年01月

2006年12月

2006年11月

2006年10月

2006年09月

2006年08月

2006年07月

2006年06月

2006年05月

2006年04月

2006年03月

2006年02月

2006年01月

2005年12月

プロレースの世界(その2)
ロードレース自体がビジネスなら、プロチームはもう企業みたいなものである。
もちろん、情熱を持って選手を育てている人はいっぱいいる。
だけど、お金の話になると、これは全く別になっている。
「プロになりたいのだったら、金を払え」くらい言う人はざらにいる。

金を払うというのはどういうことか。
今、選手の最低年俸というのは、各国の車連の枠を離れてUCIが定めている。
よかろう。その選手には賃金は支払われる。
ただし、入る前にスポンサーを見つけて、あるいは自分で作って、その賃金以上の金を持ってこい、ということだ。
こうしてプロになる選手はたくさんいるし、それで成長していく選手もいる。
また、そこまでしたくないということで、アマにとどまる選手もいっぱいいる。
先日、空港からレース会場にいっしょにいったメカニックは優秀なアマだったけど(日本の国際レースでも優勝している)、後者を選んだと言っていた。
僕はミラノにいるけど、自分の周辺の選手でそうやってプロになったり、あるいは現役を続けているのは少なくないし、監督になるのにですら同じ例がある。

それから、某チームの監督をやっているAは、世界選手権でチームの選手を優勝させた立役者の一人だった。
ところが、次の年にどこのチームとも契約できなかった。
彼は新聞に
「ノーギャラだったら走らせてやるというオファーだったらいくつも来た」と語ったものだから、プロ車連のボスが「あってはならない話」だと怒っていたが、そんなのは建前であって、自転車界では普通にある話なのである。
これはまだプロツールが出来る前の話なので、当時は本当にノーギャラだったかもしれない。
また、今だったらギャラは支払われても、それ以上にチームに金を持っていかなければならない訳だから、事実上はノーギャラである。
しかも、これはドーピングとは違って、なんら規則に反することはなく、ちゃんと合法的なのである。

それから先日、日本にイベントがあったのだけど、来る選手が直前でキャンセルとなった。
探ってみると、どうやら、選手に直接行くはずのギャラがチームに入ることになってしまい、選手がそれだったら行かない言ったらしいのだ。
代わりに来た選手も同じ待遇、つまり彼のギャラはチームマネージャーの懐に入った訳である。

そして、忘れられないことがある。
ある世界チャンピオンがチームと契約したにもかかわらず、そのチームにスター選手が急遽入って来たために契約が破棄されて、チームマネージャーを訴えた事件だ。90年代のことだ。
そのことについて、自転車の歴史に残る大スターと食事しながら聞いたところ、彼はこう言ったのだ。
「で、その世界チャンピオンがどれほどの実力よ」と。
たしかに、成績から言えば、あとから入って来た選手の方が上で有名だった。
契約がどれほどのものよ....ということである。
当時は本当にこういう世界だったのだ。

こうすると、チームマネージャーは社長さんである。
小さなチームだと、来年の継続はまったく見えない自転車操業、青息吐息というのも数多いが、有名チームのマネージャーの稼ぎは、相当なものである。
モンテカルロに住んでます、フェラーリに乗っています、というのもいる。

持ち駒、つまり良い選手を抱えているチームマネージャーが、
「この選手をレースに出すから、条件を良くして欲しい」とオーガナイザーに交渉するくらいは、誰でも考えるだろう。

プロスポーツの世界に同じ例はたくさんある。
ビジネスという観点から見れば、普通のことなのかもしれない。
とにかく、プロの自転車の世界は、運動会ではないということだ。

(明日に続く)
« prev | next »