2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
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2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
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2024-10-18
東京での写真展
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2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
ジロのチーム発表について
ドイツのネタップが選ばれた代わりにイタリアのアックア・エ・サポーネが選ばれないというこの事態に、けっこうな衝撃が伝わっている。
ガルゼッリは引退をほのめかしているし、アックア・エ・サポーネのパトロンは自転車からの撤退も臭わせている。
年末にジロの本部に行ってきたことはこの日記でもお知らせしたけど、実はそのとき僕はレースがビジネスであることを思い知らされていた。
わずか30分ほどの間のいろんな話は、金がベースになっている部分が少なからずあったから。
もちろん、それは僕だって十分に知っていたけど、今回のチーム選択はそれが明確に出たと言えるだろう。
ガルゼッリはこれまでジロに大きなものを与えてきた。
1999年にはジロをとっているけど、いちばん忘れられないのは2003年のジロ・デル・トレンティーノである。
2002年のジロで薬物が検出されて失格(当時の規則ではAサンプルが陽性となっても、Bサンプルの結果が出るまで走ることができたためにガルゾは走り続け、そしてBサンプルも陽性となった時点で失格となった。僕の知る限り、規則はガルゼッリのこの一件で変わり、Aサンプルが陽性の時点で失格となった。ただ当時は明確な規則ではなく、イタリアプロ車連の申し合わせだった気がする)ガルゾはこれで9ヶ月の出場停止となった。
だけど、翌年のジロ・デル・トレンティーノで区間優勝を飾って復帰。あのとき、仕事を終えてホテルのレストランに行ったら彼が食事をしていて、目でお互いに挨拶をしたときのあの表情が忘れられない。
そのあと、僕にもお祝いのスパークリングワインが振る舞われた。
こういうと、ドーピングを肯定していると思われるかもしれないけど、そうではない。ここで言いたいのは、いつもプロトンにいると情が移るというのか(といってもひいき選手はまったくいないのだが)、復帰してくる選手を決して冷めた目で見ることができないのである。
写真は2003年のジロ・デル・トレンティーノ第1ステージでシモーニを破ったガルゼッリ。復帰1勝目だった。
ガルゼッリは引退をほのめかしているし、アックア・エ・サポーネのパトロンは自転車からの撤退も臭わせている。
年末にジロの本部に行ってきたことはこの日記でもお知らせしたけど、実はそのとき僕はレースがビジネスであることを思い知らされていた。
わずか30分ほどの間のいろんな話は、金がベースになっている部分が少なからずあったから。
もちろん、それは僕だって十分に知っていたけど、今回のチーム選択はそれが明確に出たと言えるだろう。
ガルゼッリはこれまでジロに大きなものを与えてきた。
1999年にはジロをとっているけど、いちばん忘れられないのは2003年のジロ・デル・トレンティーノである。
2002年のジロで薬物が検出されて失格(当時の規則ではAサンプルが陽性となっても、Bサンプルの結果が出るまで走ることができたためにガルゾは走り続け、そしてBサンプルも陽性となった時点で失格となった。僕の知る限り、規則はガルゼッリのこの一件で変わり、Aサンプルが陽性の時点で失格となった。ただ当時は明確な規則ではなく、イタリアプロ車連の申し合わせだった気がする)ガルゾはこれで9ヶ月の出場停止となった。
だけど、翌年のジロ・デル・トレンティーノで区間優勝を飾って復帰。あのとき、仕事を終えてホテルのレストランに行ったら彼が食事をしていて、目でお互いに挨拶をしたときのあの表情が忘れられない。
そのあと、僕にもお祝いのスパークリングワインが振る舞われた。
こういうと、ドーピングを肯定していると思われるかもしれないけど、そうではない。ここで言いたいのは、いつもプロトンにいると情が移るというのか(といってもひいき選手はまったくいないのだが)、復帰してくる選手を決して冷めた目で見ることができないのである。
写真は2003年のジロ・デル・トレンティーノ第1ステージでシモーニを破ったガルゼッリ。復帰1勝目だった。