2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
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2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
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2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
ログローニョから
昨日は途中で写真を撮ってから高速道路でゴールに向かった。
ちょうど食料補給を終えたチームのクルマもいっしょだったけど、みんな150kmを超えるスピードで行くところ、僕だけ安全運転で120kmくらいで行ったら、なんと出口で僕だけが閉鎖にひっかかってしまった。
中央分離帯の芝を走ってなんとかすり抜けたけど、ふだんはオートバイでオンコースを走ってばかりだから、クルマでの取材の要領がうまくつかめない。
ところでルチャーノ・パヴァロッティが亡くなった。
イタリアを代表する有名人だから、当然トップニュース。
90年前半のイタリアでは、自転車競技の中継のオープニングはこのパヴァロッティの歌だった。
声を張り上げる最高の盛り上がりの部分は、100kmを超えるようなスピードで下りていく選手で、脚の回転がちょうど声とマッチしてガーッと回るところで、あんなカッコいいオープニングは後にも先にも見ていない。
そのあと、アドリアーノ・デザン(これまた亡くなってしまったが、有名な自転車専門のアナウンサー)が「ボンジョールノ・スィニョーレ・エ・スィニョーリ…」と極端な巻き舌で始めるのが恒例で、あの頃のブーニョやキャプーチ、インドゥラインらで熱かった自転車競技が懐かしい。
私は今日46歳になりました。自転車と関わって30年、仕事にして19年。いつかはこんな旅芸人みたいな仕事を辞めなくちゃいけないけど、それがいつ来るのやらさっぱり分かりません。
(写真はメールでもらったカードです)
ちょうど食料補給を終えたチームのクルマもいっしょだったけど、みんな150kmを超えるスピードで行くところ、僕だけ安全運転で120kmくらいで行ったら、なんと出口で僕だけが閉鎖にひっかかってしまった。
中央分離帯の芝を走ってなんとかすり抜けたけど、ふだんはオートバイでオンコースを走ってばかりだから、クルマでの取材の要領がうまくつかめない。
ところでルチャーノ・パヴァロッティが亡くなった。
イタリアを代表する有名人だから、当然トップニュース。
90年前半のイタリアでは、自転車競技の中継のオープニングはこのパヴァロッティの歌だった。
声を張り上げる最高の盛り上がりの部分は、100kmを超えるようなスピードで下りていく選手で、脚の回転がちょうど声とマッチしてガーッと回るところで、あんなカッコいいオープニングは後にも先にも見ていない。
そのあと、アドリアーノ・デザン(これまた亡くなってしまったが、有名な自転車専門のアナウンサー)が「ボンジョールノ・スィニョーレ・エ・スィニョーリ…」と極端な巻き舌で始めるのが恒例で、あの頃のブーニョやキャプーチ、インドゥラインらで熱かった自転車競技が懐かしい。
私は今日46歳になりました。自転車と関わって30年、仕事にして19年。いつかはこんな旅芸人みたいな仕事を辞めなくちゃいけないけど、それがいつ来るのやらさっぱり分かりません。
(写真はメールでもらったカードです)