
ミラノ〜トリノ
昨日、ミラノ〜トリノに行ってきた。
ちょうど20年前の1995年、パンターニはコロンビアでの世界選でオラノ、インドゥラインに次いで3位だった。
当然、ジロ・ディ・ロンバルディーアでは優勝候補だった。
そしてその調整として走ったこのレースで、足を骨折した。
交通規制にあたっていた警察官が、もうレースが終わったものと思い込み、クルマにゴーサインを出したところ、集団から遅れて走っていたパンターニがクルマと正面衝突したのだった。
その日、僕はスタートに行っていたけど自宅に戻ったため、ゴールにはいかなかった。
だから、事故を目撃していない。
昨日プレスルームで仕事をしていたら、隣に座ったのが今ガゼッタで働いていて、一時はメルカトーネでパンターニの監督をやったジャンネッリだった。
当時の事故のことを聞いたら、この日のコースとは違うところだったという。
かつてパンターニにいつもピッタリついていたアシストのマルチェッロ・シボーニを取材した時、
「僕の中でマルコはまだ生きているんだ。だけどお墓に行くと、本当に死んだというのを実感するんだ。だから行くのは最低限にしているんだ」」と言っていた。
写真は昨日のミラノ〜トリノ2015の優勝者、ディエゴ・ローザ。MTB上がり。
ちょうど20年前の1995年、パンターニはコロンビアでの世界選でオラノ、インドゥラインに次いで3位だった。
当然、ジロ・ディ・ロンバルディーアでは優勝候補だった。
そしてその調整として走ったこのレースで、足を骨折した。
交通規制にあたっていた警察官が、もうレースが終わったものと思い込み、クルマにゴーサインを出したところ、集団から遅れて走っていたパンターニがクルマと正面衝突したのだった。
その日、僕はスタートに行っていたけど自宅に戻ったため、ゴールにはいかなかった。
だから、事故を目撃していない。
昨日プレスルームで仕事をしていたら、隣に座ったのが今ガゼッタで働いていて、一時はメルカトーネでパンターニの監督をやったジャンネッリだった。
当時の事故のことを聞いたら、この日のコースとは違うところだったという。
かつてパンターニにいつもピッタリついていたアシストのマルチェッロ・シボーニを取材した時、
「僕の中でマルコはまだ生きているんだ。だけどお墓に行くと、本当に死んだというのを実感するんだ。だから行くのは最低限にしているんだ」」と言っていた。
写真は昨日のミラノ〜トリノ2015の優勝者、ディエゴ・ローザ。MTB上がり。