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新城もうちょっとで優勝なんだけど
新城もうちょっとで優勝なんだけど
昨日も新城ががんばってくれたけど、やっぱりあのチェーン脱落が決定的なダメージだった。
必至に追いついて、逃げ集団復帰直後にまたアタックした。
本人は電話で「前に行かなければ勝てない展開だった」と言っていたが、その場にいて見ていた自分としては、モレノの出方を伺いながらもうちょっと待って脚をためた方が良かったと思う。
いずれにせよ、実力的には区間優勝の可能性がもう見えている。あとは展開と運次第だろう。
これから17ステージ
今日、トレントの定宿で一泊し、明日のブレシアのステージ終了後に家に戻る。
そこで洗濯機を3回か4回回し、すぐにツール・ド・フランスに持って行く服を鞄に詰める。
ジロ終了後、すぐに日本に戻るため、もうツールの用意をしていくのだ。
これがジロっす
これがジロっす
新城がスタートで
「今大会3日目の晴れですよ!」とうれしそうに言っていたのに、モンテグラッパでは見事に雨。
まあ、たいして濡れなかったけど、ゆっくり目に下りて来た。
そしたら下りでニバリが抜け出してた。
ゴール10km手前でその独走を撮ろう待ったら、オートバイの後ろに付こうとしてきた。
左に寄れば左、右に寄れば右を走る。
風よけになってはいけないので、写真を撮らずにまた前に行ったのだけど、レースディレクターのアロッキオ(今年はヴェーニがティレーノ〜アドリアティコ前に持病の心臓病を発病したために、ティレーノ〜アドリアティコ以降はアロッキオがレースディレクターをやっている)に呼ばれて
「なにやってんだよ、カッツォ」と言われた。
「おれだって選手の風よけにならないように撮ってんだぜ」と言って、横にいたチポッリーニに
「俺の言っていることと、アロッキオの言っていることと、どっちが正しい?」と聞くと、当然この日本人を指差す。
それどころか、
「ニバリを引いてやれよ」とのゼスチャーまで(笑)。まあ、アロッキオも笑っている。

ところが写真の電送を終わって、プレスルームから退散しようとしているときに、プレス担当者が来て
「おまえレースでなにかしでかした?アロッキオが怒っているぜ」と言ってくるではないか!
「ああ、ニバリが俺のオートバイの後ろに付いて来ただけだよ」と言ったら、カメラマン全員がどっと笑った。
「砂田がレースをめちゃくちゃにした〜!」
「新城だったら、もっと引いただろ!」との声も(笑)。
帰り際、外でAP通信のカメラマンは
「ニバリが付いて来ただけ…。あの言葉はかっこ良かった!」とまだ笑っている。

アロッキオは数日前、レース無線で
「砂田はレースディレクターのクルマまで来なさい」と言ったらしい。
言ったらしいというのは、僕らはバールでコーヒーを飲んでいたから知らなかったのだ。
そのあと、副のレースディレクターが
「アロッキオが呼んでいたよ」というのでプロトンを追い抜いてクルマまで行ったら、あとからプレスルームで説教したいと言う。
ミラノ〜サンレモで俺とレキップが今度違反行為をやったら、レースから除外だと言った男だから、ついにけんかする日が来たかと思ったら
「かぶっているヘルメットがかっこいいから、俺と息子に用意してくれないか」だって。

みなさん、今日の第14ステージはニバリやバッソの活躍だけがあったわけではありません。
舞台裏ではこうした、血と涙のどろどろの人間模様があるわけです。
まあ、ジロは疲れるよ。楽しいけどね。
勉強させてもらってます
今、泊まっているのはティレーノ〜アドリアティコで毎年宿泊している定宿。
ホテルの人とも顔なじみ。
海沿いにあって、清潔で、食事もおいしいのだけど、無線LANが壊れていて、ケーブル接続をしにレセプションまで行かなくてはいけないのが難点。

今週はずっとフランスの腕利きジャーナリストといっしょに宿泊しているけど、食事やクルマでの移動のときに、情報を交換し合った。
僕みたいに二十年以上プロトンの中にいる人間ですら、優秀なジャーナリストからは教わることが多いわけで、こうした仕事をやりたいと思うなら、まずはそういう人たちの元で自転車のことを教わることが大事だということを痛感した。

せっかく海外の大きなレースに行ったとしても、友人同士が固まっていたならば、楽しい旅になるかもしれないけれど、身に付くものは生まれないと思う。
とはいえ、師匠と仰ぐにあたっては報道関係者ならば誰でもいいというわけではなく、「優秀な」という形容詞のつく人から教わるべきだ。
なんでもそうだと思うけど、自転車競技の道を極めて行くのは、こうした人間関係の形成を含めて、大変なことだ。
歴史的な第11ステージ
昨日のステージ、もう雨は降らないだろうと思って高をくくって行ったら、途中から雷雨。おまけに雹まで降った。
服装もヘルメットも軽装備で、まあ自分の長年の取材経験でも指折りの辛さ。
選手たちも、こっちも大変な日だった。
ミラーから雨で見えなくなったサングラスを手渡され、セーム革で拭いてあげた。レース中にこれをやったのは十年以上前のチポッリーニ以来2度目。

しかもレース展開は前例のない妙なことに。
あらゆる面で歴史に残る日となった。
こうした現場にいられて、幸せではあるが。

スタートに行くまでクルマで120km。
レースはオートバイで260km。
レース終了後はホテルまでオートバイで70km。
合計450km走り、そして残りは写真整理。
寒さと疲労でもうエネルギーが残っていないような1日だった。
これより第11ステージ
ようやく雨が降らず、太陽が顔を見せた。
でも、気温は低めだ。
昨日のゴールから20kmほどのところにあるルーヴォ・ディ・プーリアという古い町に泊まっている。
ジロでなければまず来ないようなところなんだけど、石(石灰岩?)でできた道路や町など、雰囲気は抜群にいい。
だけど、レースで行っても駆け足で通り過ぎるだけ。
この仕事をやめたら、最初に家族旅行したいのは、なんといっても今いるプーリアなどの南イタリアだ。
日本のガイドブックなどに名前も載っていないのに、びっくりすくらい素晴らしい町並みを持つ地域がいまだにたくさんあるのだ。
それに食事もすごくおいしく、そして安い。
イタリアほど地域性が豊かな国を他には知らない。
これから、100km以上走って第11ステージのスタートに向かう。
眠い
眠い
連日、写真整理に追われているけど、第7ステージのものはまだ終わっていない。今日は4時前に起きて仕事を開始。睡眠時間は4時間。

昨日のステージのスタートは久しぶりに陽が射したこともあって、眠たくて、眠たくて。
オートバイの上でうとうとしていると、後ろから「スナーダ!!!」と言われてどきっとすると、エヴァンスだった。
なにか用かと思ったら、ただ単にチャオがいいたかったらしい。
もう、安眠を妨害しないで欲しいよ。

ところが、後半、眠気は一気に吹っ飛んだ。
凄まじい雨が降って来て、道路は冠水状態。
ナポリに近づくと、道路が凸凹だから、もうこうなっちゃうわけね。

夜は昨年も行ったレストランでワインを飲み、おいしいイタリア料理を食べた。
楽しみはこれに尽きる。
雨、雨、雨
1日中、雨。
歯が痛い。
でも、リタイアしない。
スリップ
上りで急にバイクがスリップ。
てっきり路面が濡れているからだと思っていたら、運転手があとから、
「お前、分かんなかったの?リクイガスのクルマに追突されたんだよ」と言う。
おお、もう少しでアスファルトに這いつくばるところだった。
たしかに、横に付いているバッグには跡が残っている。
ザナッタ、ちゃんと運転してくれ。
残念
新城の健闘で、僕がプレスルームで何人ものジャーナリストや関係者から話を聞かれるはめに。
う〜ん、本来のスプリントの脚があれば、今日は勝てたな。残念。ものすごく残念。
記者たちも、「勝てたレースだよ」と言ってくる。
テレビの記者もカメラに向かって「ジャッポネーゼ・アラシーロ」と連発している。
今、プレスルームで写真の電送をしているけど、裏で勝利者のピノーの記者会見をやっている。
「幸也はすごく強かった」とピノーが言っているのが聞こえて来た。ああ、死ぬほど残念。
ミラノに戻る
オランダからクルマで移動し、今日のお昼にミラノの家に着いた。イタリア全土、一週間くらい雨が降りっぱなしだったそうだ。
洗濯機を2回回し、そして明日の用意をしつつも、ツール・ド・フランスに持って行くものも別に分けていて、なんか大忙し。
明日、明後日は家から往復する。
というわけで、ここ数日は家で夕食を食べることができる。今日、スーパーマーケットに行って来たら、緑のアスパラガスが山積みだった。
これと目玉焼きをセットで食べると、ミラノの春を感じるのだ。
第2ステージ終了
みなさん、ジェイスポーツで見ましたか?落車が頻発した昨日の第2ステージ。
オランダは道が狭く、しかも中央分離帯が異常に多いので、ご覧の通りなんですね。
アムステル・ゴールドレースも、ものすごく大変なのです。
しかも、オートバイで歩道をちょっとでも走ると、白バイが飛んで来て「次やったら、レースから除外するからね勧告」を受けるのです。
ベルギーはいいのですが...。
イタリアはどうか。やっぱり同じでレース除外です、昨年から。その第1号が自分です。21年目にしてジロの1区間から初めて閉め出されました。名誉なことですぅ。

ヨーロッパはまた火山の噴火で、飛行機が飛ばなくなりました。
イタリアの空港も閉鎖だったらしいです。
新城から夜に電話をもらって知ったのですが、明日お昼の12時に選手たちが飛行機で移動できるかどうかが発表されるそうです。
飛ばなければ、バスで移動だそうです。
僕はもともとクルマでの移動を予定していたので、心配はありません。

そういえばガゼッタのチーフ記者から新城のいい写真を撮ったら、記事にすると言われました。「なにしろ、日本の選手だからな」とも言われました。
「日本のフォトグラファーの記事はいらんのかい?」と聞いたら
首を横に振られた。
あっ、そう。
しかし、いい写真とはどんなのだろう?
ちょんまげのカツラでもかぶって走ってもらうか?
刀を差してもらうか。
扇子を持ってもらおうかと思ったが、これはセンスがない。
うーん、分からん。
アムステルダムより
夕べは夜の12時まで写真の整理をし、当然終わらないので今朝は5時に起きてまた仕事を開始。
寝不足だけど、まあ、ジロやツールのときは毎日こんな感じっす。
もうそろそろ第2ステージのスタートにいかなくちゃいけないけど、まだ昨日の写真の整理は終わっていない。
しかも、空は今日もどんより。今にも雨が降りそうだ。
ああ、イタリアに戻りたい。
青い空が恋しい。
パリの冬もどんよりとした日が多く、その結果、自殺者が増えるといわれている。
やっぱり、天気のいいところで取材がしたい。
で、イタリアに入ってもし雨だったら...。
いかん、いかん、マイナス思考は。
オランダではクルマでの取材なので、雨の中を走るオートバイ連中に「君たち、こんな雨の中でなにしているの?」と言おう。
となれば、願わくば土砂降りか?
ジロのプレスルームより
昨日、アムステルダムに着いた。
旅は順調。クルマも盗まれずにちゃんとあったしね(本当はちょっとどきどきしていた。なにしろこれまで何度もやられているから。ヨーロッパでの盗難の被害総額はいったいいくらなのか、分かりません)

こっちは雨。ジロはやっぱり快晴じゃないとなあ...。
昨年のツールと同様に今回も通信社に写真を送る重要な仕事もある。
雨にも負けず、時差ぼけにも負けず、よし、いい写真を撮ろう!

と気合いを入れてコースに行こうとすると、また雨が降ってきたよ、Cazzo。
成田より
ヨーロッパはどうやら天気が悪くて寒いらしく、これでスキポール空港に置いてあるクルマの中のビールは変質していないはずと安心。
明日から3週間、睡眠不足と戦いながらの怒濤の3週間が始まる。
6月1日に帰国するけど、そこから22年間分のジロの写真を選び出して、写真集の仕事に取りかかるつもり。
明後日出発
明後日、ジロに向けて出発するのだけど、今いちばん心配なのは、先日購入したビールの状態。
アムステルダムの空港の駐車場にクルマを置いて来たのだけど、屋根がないところなので、直射日光がもろに当たる。
車内の温度が上がって、トランクに積みっぱなしのビールの味が変わるのではないかと案じている。
スペアのカメラやレンズも入っているのだけど、それらの味は変わらないから...。

そのジロのチームプレゼンテーションの場所と時間がようやく発表になった。
わずか数日前の発表は、どたばた劇である。
イタリアならではの有様だ。

ところで今日、ガゼッタから昨年発売されたジロDVD全16巻のうちの1本を初めて開けてみた。
パッケージや広告の写真を僕が担当したので、全巻プレゼントされたのだ。
で、見てみると、やっぱりジロは熱い!
モゼールvsサロンニもそうだけど、やっぱりパンターニの時代がなんといっても僕の思い出だ。
彼の全盛期を全部追いかけることができて、本当に幸せ。
だけどもういないと思うと、恥ずかしいけれど、涙なくして見られない

一方、カリフォルニアでのレースもあって、仕事先のメーカーが広告を打つらしく、連日写真を送っている。
マック、ああパソコンではなく「アンブルゲル」のことね
寒波ニョーロ(ああ、このパソコン)、カンパニョーロのことを「カンパ」という人が多いけれど、本家イタリアでは当然カンパニョーロと呼ばれる。カンパという人はいない。
ところが昨年、ベルナール・イノーと話をしているときに、彼は「カンパ」と言った。
フランス人がカンパと呼ぶことをそのとき初めて知った。
ちなみにフランスでマクドナルドは「マクド」と大阪風に呼ばれる(大阪でマックというと「かっこつけんな」と言われるって本当?)。けっこう日本と共通したものがあるのね。

イタリアでマクドナルドはなんと呼ばれているのか。よく覚えていない。イタリアではハンバーガーよりもずっとおいしいものが多いので、行くことがないからな。
ただし、イタリアの自転車関係者で親のどちらかがアメリカ人のバイリンガルがいるんだけど、
「日本人のあの“マクドナルド”の発音、すげー面白い。お前もできるか」と聞かれ
「マクドナルド」と普通に言ったら、腹を抱えて笑われた。
今度、イタリア人が六本木のことを「ロッポンジ」といったときにはみなさん、笑ってやってください。
温故知新?
イタリアに最初に行ったのは1985年だから、もう25年も前のことだ。
そのときのアパートの大家はイタリア車連の倉庫係の人だった。
だから、なんでもよくくれた。
忘れもしないのは、カンパニョーロのチタンのフリーホイールだ。当時はマニア垂涎のパーツで、高価で手が出ない品だったけど、その人はいっぱい持っていて、「欲しけりゃ持って行っていいぞ」といって、新品を気前よくくれた。
ナショナルチームのウエアだって何枚もくれたけど、ウールでできた長袖なんかは、未だに持っている。
自分はそれほどものもちがいいのだけど、最近は仕事先のパールイズミさんから最新のものを使わせていただいていて(いつもありがとうございます)、今日はパンツをおろした。
最近のパーツでいつも驚かされるのはウエアの進歩だ。
最先端のカーボンの自転車に乗っても、これほどの感動は受けない。まあ、寒いときには20年以上前のウールのウエアを時々下に来ているくらいだから、当たり前かもしれない...。
パールのウエアはプロ選手からの評判も良く、最高の製品という声を何度も聞いた(これは本当で、おせじではありません)。
今日も晴天で、快適な走りができた。