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イスタンブールからミラノへ移動(現在パリの空港)
イスタンブールからミラノへ移動(現在パリの空港)
昨日でツアー・オブ・ターキーは全部終了し、今日、フランス人グループといっしょにパリに移動。
そこから単独でミラノに行く。

今回、良くオーガナイズされたレースだったけど、やっぱり連休は例年のように日本に戻って、今週末からのジロに備えたかったなあ。


今、パリのシャルルドゴール空港で、ミラノ行きの飛行機を待っています。
イスタンブールでパリ行きの飛行機に乗ったら、僕の座席に人が座っているではありませんか。
半券を見せたら、その人も半券を見せてくれて、同じ番号だということが分かりました。

ステュワーデスさんに伝えると、
「とりあえずどこかに座ってください、今、地上職員に問い合わせをしています」とのこと。
とりあえず空いているところに座ったら、そこは国際自転車競技ジャーナリスト協会の会長をやっているジルの席で、フランス語で「ファック!」みたいなことを言います。なので、他に移りました。
でもそこにも人が来て、いちばん後ろの席に連れて行かれたのですが、そこにもフランスの選手がやって来て、とうとう僕の座席がありません。

何年か前のブエルタ終了後、マドリードからミラノまでのフライトでも同じことがありました。
そのときは、とりあえずスチュワーデスさんが座る反対向きの席に座らされたのですが、真ん前がカデル・エヴァンスでした。
そのうち、僕はビジネスクラスに連れて行かれたのですが、「カデルはそこにいてね!」と言ってサヨサラしたのです。
あのときの記憶がよみがえって来たのですが…、ハイ、案の定ビジネスクラスでした。
全員が席に着いたエコノミークラスから、重たいカメラバッグを持ってビジネスクラスに移る自分の背中に、視線が突き刺さっていました。

降りるとき、チクリッシモのメインジャーナリストであるジャンフランソワから
「おい、エコノミーを追い出されて、可哀想だったな。シャンパンはおいしかったかい?」と皮肉が。

ああ、ジェラシーってやだ、やだ…(笑)。


カメラのストラップが切れた!
カメラのストラップが切れた!
昨日、レース中にカメラのストラップが切れた。
肩からぶら下げていたのだけど、切れたときに、違和感を感じたのでストラップを握りしめたおかげで、カメラの落下は免れた。
キヤノン純正のものではなく、ニューヨークで購入したものを使っていた。
それはドンケのもので、中間に金属の輪がついていて、そこでストラップの取り外しができるのだけど、その金属を止めている革が切れたのだ。
うーん、初めての経験で驚いた。

昔、ツール・ド・フランスでカメラを落として、一発で修理不能となったことがある。
もっとひどい衝撃でも大丈夫だったこともあるから、これは運次第だ。
オートバイからアスファルトに落としたといえば、昔、ミラノ〜サンレモでビチスポルトのフォトグラファーがやはりストラップが切れて、集団の前に落としたのを見たことがある。
伝説の事件である。
僕ももうちょっとで、トルコで伝説を作るところだった。

今日、明日でレースは終わりだから、とりあえず300mm・F2.8のレンズのストラップで代用することに。
第5ステージ終了
第5ステージ終了
強い日差し。まだ肌が慣れていないから、水ぶくれが出来そう。日焼け止めを塗っていても、顔がひりひりする。

スタートで、ペタッキが一人だけ、50mほど先のビルの陰で待っていた。
「あれ、スタートより前に出ているから、失格だな」と冗談で言うと、笑っていた。
そのあと、ジロに出ないでツールに出る....などの話をしていたけど、スタートの2分ほど前になると、やっぱりスタートラインについた。
やっぱり小心者だなあ(笑)。

このレースは選手が無線機をつけてはいけないから、混乱している。
スタート直後、アスタナの監督をやっているシェーファーが横に来て、「ヴィノクロフを呼んで来てくれ」という。
無線機廃止には基本的に賛成だけど、パシリは初めてだったよ(笑)。

途中の山は絶景だった。
逃げている選手たちですら、息をぜいぜいさせながらも海を見ているし、多くの監督は、チームカーの中から携帯電話を出して写真を撮りながら運転している。
「いいの撮れたかい?」とジュリアーニ(ファルネーゼの監督)に言うと、ニヤニヤしていた。
トルコ1周第3ステージ終了
トルコ1周第3ステージ終了
1台オートバイをあてがわれ、これを毎日使っていいことになった。これがスタートの10分前!
しかし、運転手は自転車レースが分かっていないトルコの人だから、レクチャーするのに疲れるというか、もう最初からあきらめた。離婚歴3回の人だし(関係ないけど)。

そしてレースは大会始まって以来の山岳ステージ。
とても厳しいコースだ。
問題はその後。
ホテルについたら、フロントには長蛇の列が。
チームといっしょに泊まるのは、これだから嫌なのだ。
しかもレストランは夜の9時まで。
メカニックやマッサーたちは食べられるわけがない(しかも、なかなかおいしいのだ、これが!)
そして無線LANはアクセス集中で超スロー。

まあ、でもこのレースのやり方が飲み込めて来た。

ところでチームカーはルノー・クリオ。
ボディが多少長めのタイプを使っているとはいえ、こんな小さなクルマでもチームカーが作れるのだと感心した。
やっぱり、キャリアがいいんだね。プロチームが使う6台積みのやつがしっかりついているから。
今日はトルコ一周・第3ステージ
今日はトルコ一周・第3ステージ
パスもガイドブックももらっていないのだけど、これから第3ステージに行くところす。
どうやら、大会いちばんの山岳ステージらしい。
去年はオートバイを1台、全ステージにあてがうから来ないかというお誘いだったのだけど、僕は日本に帰国する方を選んだので、臨時アシスタント・フォトグラファーに行ってもらった。
今年は大会の人気が出たのか、1台のオートバイを3人でシェアしろというではないか。
「えっ、ミラノ〜サンレモもヘント〜ウェヴェルヘムもツール・デ・フランドルもアムステル・ゴールドレースもフレーシュ・ワロンヌもリエージュ〜バストーニュ〜リエージュも、レースでオートバイに乗っている僕がシェア?」と言うと、先方の態度は急に軟化。
でも、絶対的に台数が足りないので、しかたがない。
まあ、今日の山岳ステージはオートバイから撮れることになったが、さて、どんなドライバーなんだろう。

写真はホテルのバルコニーからの眺め。チームのスタッフがスタートの準備をしています。けっこう山国なんですね。

トルコに到着
パリからの飛行機がいきなり1時間遅れ。
おかげで、昨日のレースの写真を全部整理し、締め切りが迫っているオーストラリアの雑誌にも送ることが出来た。

その分、イスタンブールについてからの接続便が心配だったけど、それも1時間遅れだったのでよかった。
しかし、空港職員といい、ラウンジの受付といい、まったく愛想が無くて、やる気ゼロ。
アリタリアのスチュワーデスを彷彿させてくれて、ちょっと懐かしかった。

イスタンブール空港で、ブリュッセル発組2人と合流。さらにタイプ1の監督をやっているポデンツァーナもいっしょだった。
現役のときはイタリア選手権2連勝、ツール区間、ジロでマリア・ローザを着たこともある強豪で、晩年はパンターニのアシストを務めた。
英語が出来ないのに、よくアメリカのチームの監督をできるものだと感心しているが、空港からの送迎バスの中で楽しく過ごせた。

今はトルコの東の町アンタルヤにいるが、ホテルは5つ星。
しかも、10時まではバーも無料という!
そのバーで、
「あれっ、ヴィノクロフに似ている奴がいるなあ」と思って見たら、にこっと笑ったのでやっぱり本人だった。
良い選手がきているんだなあ。これにもびっくり。


リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ終了
今日はオートバイから1,000カット以上撮ったけど、プレスルームで仕事したのはわずか1時間。アップロードできたのはわずか15枚ほど。
それから350kmパリ方向に走り、シャルルドゴール空港の30km手前のホテルに宿泊。
明日は11時半のフライトでトルコに向かう。

今日は朝ご飯なし、昼ご飯なし、夜はサンドイッチ一個。写真の残りは明日の飛行機の中で整理するけど、飛行機の中での仕事は嫌い。
ビール飲んで映画見ていきたいよ。
明日はリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ
明日はリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ
明日はリエージュ〜バストーニュ〜リエージュです。
18時からのカメラマン会議が終わりました。
左の2枚がオートバイに貼るステッカー、そして右がベルギー独自の通行証?
この紙がないと、オートバイもクルマもコースを走ることが出来ません。
僕がこの仕事を始めた23年前から既にありました。
デザインもまったく変わっていません。
チームのクルマも貼ります。
昔、ヘント〜ウェヴェルヘムでオートバイに貼らずに走っていたら、すぐにレースから除外すると警告を受けたことがあります。
月曜日からトルコに
月曜日からトルコに
本当はあと1日デュッセルドルフに滞在する予定だったのだけど、今日、ベルギーのラナケンに戻ることにした。
日曜日のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュが終わったらパリに向かって、月曜日にトルコに行くのだけど、仲の良いアメリカのヴェロニュースのアンディはブリュッセルから行くという。

モナコに住んでいたファラーやレイジンの家にもアンディといっしょに行った。
ちなみにそこには今、レンショーが住んでいて、彼を自宅訪問したとき、
「あれっ、ここに来たことある。前はファラーとレイジンが住んでいたよね」と聞いたら、
「レイジンのものだけど、借りているのさ」と言っていた。

本当はリエージュ〜バストーニュ〜リエージュを取材していると、もうトルコ一周は始まっていて、第2ステージまで取材できないのだが、何人かは遅れていくのだ。
ただし、みんなブリュッセル出発というのを僕は知らなくて、パリから行くのは僕だけみたい。
レンタカーの都合でパリにしてもらったのだけど、ちょっと寂しいなあ。

トルコ一周のホテルはすごく良いというのは、これまで行った記者や選手から聞いているが、
「アルコールもホテルで無料で飲める」というのを聞かされて驚いた。
情報源は土井(笑)。
やはり初めて行くというアンディもこの情報を得ていて、フレーシュ・ワロンヌのスタートで、二人で顔を見合わせてニヤリとした。

写真は2006年にモンテカルロで撮影したファラーとレイジン。ファラーはまだ全然有名じゃなかった。レイジンはこの直後にレースで大事故に遭い、命をとりとめたが、選手をやめた。だから、この取材はヴェロニュースに掲載されなかった...。
中休みで、デュッセルドルフにいます
フレーシュ・ワロンヌが終わり、次のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュまで、ドイツのデュッセルドルフにいます。
最近まで競輪の出先機関があったのですが、一回用事があって来たのがやみつきになり、北のクラシック後半戦の中休みのとき、毎年2日くらいは滞在します。
この地方独特のあの水っぽい黒ビールも大好きです。

しかし、昨日のフレーシュ・ワロンヌの写真整理も全部は終わっていないのですが、海外の雑誌との英語でのやり取り、値段の交渉になると、苦手 x2で、いつのまにかFacebookに没頭してる自分がいます...。
チクリッシモ No.28  4月20日(金)発売のお知らせ
チクリッシモ No.28  4月20日(金)発売のお知らせ
ミラノ〜サンレモからパリ〜ルーベまでをレポートする“春のクラシック号”が4月20日(金)に発売されます。
巻頭特集は「欧州で活躍する日本人プロ選手」。別府史之、宮澤崇史、新城幸也、土井雪広の近況と今年に懸ける意気込みをお届けします。
もう一つの特集は「雨の自転車レース〜雨は強い男たちの味方だ!」。6つの視点から雨のレースに迫ります。
好評をいただいているインタビュー記事は、シーズン序盤絶好調のサイモン・ゲランスと復活を果たしたアレハンドロ・バルベルデ。
5月5日に開幕する「ジロ・デ・イタリア直前ガイド」、ツール・デ・フランドルで取材した「石畳の激坂に挑んだバイク徹底解剖」も掲載。
明日はフレーシュ・ワロンヌ
明日はフレーシュ・ワロンヌ
天気予報を見ると、フレーシュ・ワロンヌもリエージュ〜バストーニュ〜リエージュも雨。
ベルギーの冷たい雨を想像しただけで、身体が震えそうだ。

明日のフレーシュ・ワロンヌのため、今日はシャルルロワで受付。そして18時からカメラマン会議があるけど、形骸化しているので、もううんざり。
といっても、出なければオートバイに乗れないし...。
Amstel COLD Race
Amstel COLD Race
幸い、雨こそ降らなかったけど、寒くて寒くて…。
これがホントのアムステル・コールドレースである。
風邪がまだ治っていないので、レース中は咳が止まらなかった。

結果はひさびさのガスパロットの勝利。そして、ひさびさのイタリア人選手のクラシック制覇である。

しかし、フィリップ・ジルベールはいったいどうしたんだろう?
数日前のガゼッタで、チポッリーニがとても良いことを言っていた。
「莫大な金があるBMCが勝てないのは、鎧を着て身動きできない兵士と似ている」
「フィリップが勝てないのは、冬場が忙しくてちゃんと過ごせなかったか、あるいはこのあと調子が出て来て勝つかのどっちかだろう」

まあ、成金チームが嫌いな僕としては、フィリップの成績こそ残念だけど…、けっこう満足感もある(笑)。
プロレースの世界(その3)
イタリア人はチャット好きが多く、スカイプやFacebookを通して僕のところには毎日来る。
同業者から、「今、ランス復帰の可能性の記事がガゼッタのサイトに出た」というのも、チャットで連絡が来た。

僕ととても仲のいい代理人(代理人についてはチクリッシモ最新号を見てください!)もチャット好きで、もうしょっちゅう来る。
普段から、かけ放題契約の携帯電話を利用し、ずっと選手や監督としゃべりっぱなしなのだけど、そのノリでチャットが来るのだ。
ちょうどそのときも来たので、ランスの復帰について聞くと
「チポッリーニの復帰計画と同じで、ばかげたことだよ」と一笑に付した。

次の日に、ガゼッタ本紙の方で、わざわざピエール・ベルゴンズィが出て来てこれについて書いた。
元々はいっしょにレースを転戦していた。
90年の前橋のトラック世界選でサングラスを無くしたときに相談を受け、落とし物コーナーから引き取って来てあげると、
「砂田、そして日本人の道徳に驚いた」と原稿に書いた奴である(実際、発売された新聞ではそこが削除されていたけど)。
今は出世し、かなり偉くなっているけど、ドーピングなどのデリケートな問題のときには、必ず社を代表する立場で書く。
そして、ランスのトライアスロン参加について大きく取り上げ、自転車への復帰は否定した。

写真の撮影者の名前をすぐに間違える。いつも大げさにあおり立てる…など、うんざりすることもあるけど、僕は彼らの仕事にはいつも一目置いている。
彼らもいまやインターネットで情報を集めているけど、記事にする前に必ず電話をかけて裏を取る。その電話代がいったいいくらかかっているのか、こっちが心配なほどだ。

自転車界で運転手付きのクルマに乗ってくるのはガゼッタとレキップだけ。距離にもよるけど、飛行機はビジネスだし、ホテルも4つ星以上。だけど、その仕事ぶりはやっぱりいつも感心させられる。
僕が今でも新聞をまず読み、いわゆるインターネットサイトの記事をあまり見ないのは、幸か不幸か、彼らの仕事ぶりを見てしまっているからだ。

今回のパリ〜ルーベからの飛行機は、ガゼッタの記者と同じだった。
彼の荷物は、ビジネスクラスのタグが着くから早くターンテーブルに出て来る。
だけど、空港についてすぐに携帯電話が鳴りだした。仕事の話である。
で、僕が荷物を引き取ってクルマの方に向かうと、一足先にタクシーに向かった彼が駆け足で戻って来た。
自分の荷物を受け取ることを忘れていたのである!

話はちょっと飛ぶけど、通信社の仕事もこれまた厳しい。グランツールや世界選など、大きなレースで日本選手の写真が日本の新聞やそのサイトに最近良く載っているけど、その多くは僕が撮ったものだ。
ところが、よくあるのは
「初日のレースでゴールした瞬間に電話してほしい」というやつだ。
たとえば、「今、新城がプロローグを走り、そしてゴールしました」と、東京に電話するのだ。
「新城が初日のタイムトライアルを走り、完走した」という記事を書くための証拠とするのである。

今回、ガゼッタはランスのことをあおった。
だけど、金を動かすためにそれを考えた人は、自転車界に少なからずいると思う。
なにしろ、大スターがいないのだ、今の自転車界には。
ボーネンもカンチェッラーラもジルベールも、みんなワンデーレースの選手だ。
やっぱりグランツールの総合も取れる選手じゃないとダメなのだ。
プロレースの世界(その2)
ロードレース自体がビジネスなら、プロチームはもう企業みたいなものである。
もちろん、情熱を持って選手を育てている人はいっぱいいる。
だけど、お金の話になると、これは全く別になっている。
「プロになりたいのだったら、金を払え」くらい言う人はざらにいる。

金を払うというのはどういうことか。
今、選手の最低年俸というのは、各国の車連の枠を離れてUCIが定めている。
よかろう。その選手には賃金は支払われる。
ただし、入る前にスポンサーを見つけて、あるいは自分で作って、その賃金以上の金を持ってこい、ということだ。
こうしてプロになる選手はたくさんいるし、それで成長していく選手もいる。
また、そこまでしたくないということで、アマにとどまる選手もいっぱいいる。
先日、空港からレース会場にいっしょにいったメカニックは優秀なアマだったけど(日本の国際レースでも優勝している)、後者を選んだと言っていた。
僕はミラノにいるけど、自分の周辺の選手でそうやってプロになったり、あるいは現役を続けているのは少なくないし、監督になるのにですら同じ例がある。

それから、某チームの監督をやっているAは、世界選手権でチームの選手を優勝させた立役者の一人だった。
ところが、次の年にどこのチームとも契約できなかった。
彼は新聞に
「ノーギャラだったら走らせてやるというオファーだったらいくつも来た」と語ったものだから、プロ車連のボスが「あってはならない話」だと怒っていたが、そんなのは建前であって、自転車界では普通にある話なのである。
これはまだプロツールが出来る前の話なので、当時は本当にノーギャラだったかもしれない。
また、今だったらギャラは支払われても、それ以上にチームに金を持っていかなければならない訳だから、事実上はノーギャラである。
しかも、これはドーピングとは違って、なんら規則に反することはなく、ちゃんと合法的なのである。

それから先日、日本にイベントがあったのだけど、来る選手が直前でキャンセルとなった。
探ってみると、どうやら、選手に直接行くはずのギャラがチームに入ることになってしまい、選手がそれだったら行かない言ったらしいのだ。
代わりに来た選手も同じ待遇、つまり彼のギャラはチームマネージャーの懐に入った訳である。

そして、忘れられないことがある。
ある世界チャンピオンがチームと契約したにもかかわらず、そのチームにスター選手が急遽入って来たために契約が破棄されて、チームマネージャーを訴えた事件だ。90年代のことだ。
そのことについて、自転車の歴史に残る大スターと食事しながら聞いたところ、彼はこう言ったのだ。
「で、その世界チャンピオンがどれほどの実力よ」と。
たしかに、成績から言えば、あとから入って来た選手の方が上で有名だった。
契約がどれほどのものよ....ということである。
当時は本当にこういう世界だったのだ。

こうすると、チームマネージャーは社長さんである。
小さなチームだと、来年の継続はまったく見えない自転車操業、青息吐息というのも数多いが、有名チームのマネージャーの稼ぎは、相当なものである。
モンテカルロに住んでます、フェラーリに乗っています、というのもいる。

持ち駒、つまり良い選手を抱えているチームマネージャーが、
「この選手をレースに出すから、条件を良くして欲しい」とオーガナイザーに交渉するくらいは、誰でも考えるだろう。

プロスポーツの世界に同じ例はたくさんある。
ビジネスという観点から見れば、普通のことなのかもしれない。
とにかく、プロの自転車の世界は、運動会ではないということだ。

(明日に続く)
プロレースの世界(その1)
僕がホームページで、ランス・アームストロングのブエルタでの復帰?を書いたら、いくつかの反応があった。
元々のニュースの出所が、ヴェロニュースのエープリルフールのいたずらというのも知っていた。
だけど、自転車界で生活している自分にとって、この話があったとしても、おかしくはないと思っている。

自転車の世界、それは僕も魅了されている素晴らしいスポーツなのだけど、一方で生き馬の目を抜くビジネスの世界でもある。
最近で言えば、優勝者が2人もいるアックア・エ・サポーネがジロに招待されず、ドイツの無名チームが選抜されるという事態が起きた。
常識では考えられないことだけでも、だけど、12月にガゼッタの首脳陣と話をしたとき、すでに「どこかの国で放映でもされない限り….」といったような、ビジネスの言葉が飛び交っていた。

レースは、入って来る金が出て行く金を上回らない限り、継続は出来ないのだ。
収入が途絶えてしまってなくなったレースは数知れない。
ビッグレースだけでもチューリヒ選手権、ミディ・リーブル、ジロ・デル・ラツィオ、ミラノ〜トリノ、グランプリ・デ・ナシオン、トロフェオ・バラッキ …スペインではもう数えきれないほどなくなっている。

僕がもしレースのオーガナイザーだったら、パリ〜ルーベを見に来たランスにすぐにコンタクトをとる。
身体の鍛錬を怠っていないのならば、アシスト選手並みには走るだろう。
「ワンデーレースなんだけど、出場フィーは1千万円でどうだい?」

レースに出場フィー…、その辺のクリテリウムならばあるが、UCIの公認レースでは聞いたことがない。
ところが、一度東京に来た大選手が
「俺はもらっていたよ。あれとあれとあれ、それにあれからも…」 
そこにはクラシックレースやグランツールが並んでいた…。
また、数年前にレースのオーガナイザーに、そのレースで優勝経験のある選手が出場しない訳を尋ねたら
「チームが出場フィーを要求して来た」という、あり得ないような話も聞いたことがある。

ランスに1千万払ったとしても、スポンサーや放映権の収入が2千万円増えれば、1千万円の利益が出ることになる。
レースのオーガナイザーだったら、ランスを走らせることを考えるのは、ある意味、普通なのではないだろうか?

(明日に続く)
アルデンヌのあとは初めてトルコに
これまで行った国は、
(ヨーロッパ)
ポルトガル、スペイン、アンドラ、フランス、スイス、モナコ、イタリア、サンマリノ、バチカン、オーストリア、ルクセンブルク、ドイツ、オランダ、ベルギー、イギリス、アイルランド、デンマーク、ノルウェー、スロベニア、クロアチア、チェコ、ポーランド、

(アジア)
カタール、オマーン、マレーシア、シンガポール、韓国、台湾、中国、香港、

(アメリカ)
アメリカ、カナダ、メキシコ、コロンビア、

(その他)
ロシア、オーストラリア

今週からアルデンテじゃなかった、アルデンヌ・クラシック、つまりアムステル・ゴールドレース、フレーシュ・ワロンヌ、そしてリエージュ〜バストーニュ〜リエージュが始まる。そのあとはトルコ一周に行く。初めて行くので、合計は37か国となる予定。40は越えていると思っていたのに、少なかった。もしかすると、行ったことを忘れている国があるのかもしれないが。

で、今、友人から「ランスがブエルタに出るぞ」と連絡が。
げっ。
ニュースを見てみたけど、まだ確定ではないようだ。
だけど、可能性はあるよなあ....。
ボーネンに唖然
ボーネンに唖然
昨日のパリ〜ルーベのボーネンの走りには心底驚かされた。
優勝候補だったかもしれないけど、僕は勝てないと踏んでいた。
いくらなんでも、いい調子がこれほど続くことはないだろうし、あまりに運も良すぎるから。
カンチェッラーラはオートバイに例えられるけど、昨日のボーネンはまさにオートバイ。
今となっては、なぜタイムトライアルが走れないのか不思議なくらい。
スペシャライズドのアメリカ本国のホームページにも、僕が撮った昨日の写真が掲載されています。

まだ僕はルーベに泊まっているのだけど、これからリールに行き、そしてTGVでシャルルドゴール空港へ。
ミラノに着くのは今日の午後。

明日、パリ〜ルーベに向かいます
夜中に次女が嘔吐し、朝まで何度も続くという事態が発生。
今日、帰国便に搭乗するというのに。
午前中寝ていたけど、ついに熱も出始めた。

僕は前々日に食べた牡蠣で当たったのかと思った。
ただ、普通の病院に連れて行けば、半日は待たされる。
BMCのドクターに相談しようとも考えたけど、レースに行っている可能性が高い。
そこで、隣の人のコネを使って、個人開業医ですぐに看てもらえる手配を整えた。
そうしたら、今流行しているインフルエンザだと言う。
そういえば、パリ〜ニースでも何人かの選手がこれにやられたようだ。

マルペンサまで送っていったけど、このままいっしょに日本に帰ってしまいたい気分だった。
でも明日はパリ〜ルーベの受付。朝4時に起床し、リナーテからパリの空港に向かう。

夕方、オランダのジャーナリストが、ベルギーのGP・レスコーでカメラマンと衝突した選手のチーム・サクソがお見舞いしたいけど、怪我した日本人女性カメラマンの連絡先が分からないと言って来た。
日本人カメラマンだったのかと思ってびっくりしたけど、イギリスということが分かり、そして僕も良く知らない人だった。
パリ〜ルーベは雨?
パリ〜ルーベは雨?
昨日、ガゼッタから電話があって、
「おまえ今、メルボルン(トラックの世界選会場)にいるんだよな?」と聞かれた。
今年は開催時期がいつもより遅く、パリ〜ルーベと重なっているために、行かないと別の記者に言っていたのに、そういう情報はまったく伝わっていないらしい。
昨日のガゼッタは僕の写真を2枚使ってスクラッチ出場のヴィヴィアーニへの期待をあおっていたのだけど、今日の見出しはなんと
「最下位!」

さて、週末の気になるパリ〜ルーベ。
天気予報は雨の確率50%。
風邪がまだ治りきっていない僕は、すでに気持ちが滅入っている。

(2時間後)
あれっ、最新の天気予報だと、曇りで、雨の確率30%になっている。いずれにしても、気温が最高11度とかなり低め。冬物で装備だな。
アラン
アラン
昨日、ジェノヴァとサンレモの間にある町サヴォーナを歩いていたら、街角にアランの自転車がありました。
素人さんの所有なのでしょうが、このフレームはアルミという素材が実際のレースに使われだしたときの先駆者でした。
そして、肩に担ぐために軽量化がもっとも大事なシクロクロスでは、圧倒的なシェアがありました。世界選手権では、半分以上がこのアランだったと思います。
僕も昔、日本で購入したことがありました。
しかし、こんな手入れがされていない自転車に成り下がってしまって...。
「サドルは水平につけろ」と注意したかったです。
グロッキーです
グロッキーです
ツール・デ・フランドルで風邪をひいてしまい、久しぶりに薬に頼る毎日。
あのクラシックに精も根も尽き果てた。

自分でよくグランツール3つをカバーしているものだと思う。
今日も朝4時半に起きて写真整理を始め、ようやく終わったのだけど、グランツールでは3週間毎日がこうだ。
グロッキー状態の今、自分のタフさがちょっと信じられない。
ツール・デ・フランドル終了
ゴールからの電車が遅れ、さらに電車の中で喧嘩が起きて止まり、空港にはぎりぎりついた。
ランプレの監督ダミアーニはバールですでにビールを飲んでいた。

マルペンサ空港からクルマを飛ばして家まで通常1時間のところを35分。
着いたのは夜中11時半。
とにかく、時間に追われての仕事でくたくた。
しかも風邪をひいた。
クラシックは辛い。
明日はずっと写真の整理だ。