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マルク・ヴァンランデゲムの急逝
初めて仕事での付き合いが始まったのは1996年のヘント〜ウェヴェルヘムだった。
ベルギーチャンピオンのウィルフリート・ネリッセンがコーナーを曲がりきれずに路肩の木の柵に激突。
脛の骨が飛び出るという大事故で、僕がその写真を撮ったことから始まった。
ツール・ド・フランスでもチポッリーニを破っていたベルギーチャンピオンのネリッセンの事故の衝撃は大きく、ゴールは騒然としていた。
当時ヘットヴォルクの記者だったヴァンランデゲムはすぐに僕を捕まえ、フィルムの現像所に急がせた。
翌日のヘットヴォルクの第1ページ目は僕の写真だった。

その後、クラシックレースでプレス担当となり、毎年しょっちゅう顔を合わせていた。
いっしょに食事をしたこともあったし、日本のプレスからの取材申請でどう対応していいのか、相談の電話を受けたこともある。
今は、ベルギーの国営通信のコラボレート・ジャーナリストになっていて、僕もここに写真を送っていることから、さらに親近感は高まった。
今年のトルコ一周でも、彼が記事、僕が写真だった。

つい2、3日前、世界選会場でいつものようにイタリア語で挨拶したばかりだった。
彼は英語、フランス語、オランダ語、そしてイタリア語も流暢に話した。
残念な知らせに驚いている。
日本チームのジャージ
日本チームのジャージが目立たなくて、写真撮るのにかなり苦労してます。
集団の中にいるのが全然分かりません。
イタリア、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア、オランダ、スペイン...強い国のジャージというのは一目で分かる色とデザイン。
日本は色とデザインを変えてほしいです。
フォイクトのアワーレコード
これまでアワーレコードに対し、ある種の尊敬は持っていた。
1990年に前橋と宇都宮で世界選手権が行われるにあたり、日本国内でアシスタント・コミッセール養成の講習会が行わた。
僕は赤坂のホテルに泊まったりしてこれを受けて資格を取ったのだけど、そのときの先生(どこの国の人だったかは忘れた)は
「アワーレコードは、自転車競技において最大に尊重される記録の一つ」と言われたのを強烈に覚えている。

その後、いくつもの挑戦に立ち会い、写真に撮ってきた。
イギリスのボードマンは、スーパーマンスタイルで1996年に驚異的な56km台を記録した。
ところがそのあと規則が変わってトラディショナルなトラック用自転車の使用のみとなり、2000年にボードマンが49km台を出した。

ところが今回のフォイクトのアワーレコードなんだけど、再び規則が変わって、ディスクホイールやTTハンドルが認められているのだ。あのトラディショナルな自転車の使用の決定が再び覆っている。
いったい、何度規則を変えるのだろう。
フランチェスコ・モゼールは今回の記録に、「規則の変更があまりにふざけている」とはっきり言っている。
まったくその通り。
一回、規則を変えたのだから、そのまま続けるべきではなかったのか?

とにかく、カンチェッラーラかマルティン、ウィギンスあたりが挑戦してあらたにゼロから出発しない限り、アワーレコードの価値はなくなってしまうだろう。
エチャバリと偶然会った
エチャバリと偶然会った
90年代、スペインにスーパーチーム「バネスト」があった。
インドゥライン、デルガド、オラノ、ヒメネスなどのチャンピオンを出した。
そのときの監督、今で言うチームマネージャーはホセミゲール・エチャバリだった。
今日、ホテルの食堂に行ったら、一人でパソコンの新聞を見ながら朝ご飯を食べているではないか!
びっくりしてすぐに声をかけた。
僕がこの仕事を始めた頃、イタリアのフェレッティ、フランスのギマール、オランダのポスト、そしてこのスペインのエチャバリがそれぞれの国を代表する監督だったと思う。
今は完全に自転車から離れており、スペインでのピナレッロの輸入の仕事もやめている。
ただ、先日ジョヴァンニ・ピナレッロの葬儀でイタリアには行ってきたという。

芸術の話もできるし、政治家にも顔が利く、監督では珍しいタイプだ。
今の自転車界について僕の率直な感想を述べると、彼もよく同調してくれた。
感激して、いっしょに写真を撮った。
彼も「写真を送ってくれ」と言った。
2015 サイクルカレンダー
2015 サイクルカレンダー
毎年恒例のJ SPORTサイクルカレンダーの予約が始まっています。

http://store.jsports.co.jp/item/SET0011540814001.html
ツール・ド・フランス最終日の写真
こちらにツール・ド・フランス最終日の写真が掲載されています。

http://globe.asahi.com/feature/article/2014090400004.html
誕生日のメッセージ、ありがとうございます
誕生日のメッセージ、ありがとうございます
皆さん、お祝いの言葉をいただきまして、どうもありがとうございます。

昨日で自分の歳はアウターギアの数になりました。
今回、実は大変な事件にやられて大会開始早々、意気消沈したのですが、これで厄が落ちたと思って仕事続けてます。
いつか本にでもして公表したいと思っていますが…。

今の仕事を始めたのは1989年なので、今年で26年目です。
自転車の本場で認められるような写真、それから本場の人に出しても恥ずかしくない雑誌を作るなどの目標を持ってやってきました。
このブエルタ・ア・エスパーニャでもほぼ毎日フランスのレキップ紙に写真が掲載されていますが、この仕事を始めたときには相手にしてもらえなかった自転車の総本山みたいなところで仕事ができていることについて、ちょっと口では言い表せないような満足感もあります。

ただ、レースには情熱を持っているけど、家にいると、そこから抜け出したくない気持ちが年々強くなってきました。
この仕事は良い家庭に恵まれているか、あるいは家庭を持たずにやるか、そのどっちしかありません。
本当に幸いなのですが、自分は前者であって、これも家族に大変感謝してます。なので、家にいたいという気持ちが年齢とともにますます強くなっていくわけです。
これは自転車界で生きている人間にとって宿命みたいなものです。年間200日から250日は外泊が強いられるわけですから。
ツール・ド・フランスを30回取材するとプレートがもらえることや、東京五輪があることもあり、だいたいそのころまで仕事を続けようかなあとぼんやり考えています。

まあとにかく、仕事で手抜きするわけには行きませんし、自転車ファンの期待にも応えなくてはならないと思っていますので、皆様、これからもよろしくお願いします。

スペインのアストゥリアス地方、カンガス・デ・オニスにてリンゴ酒を注ぎながら 
砂田弓弦

桁が違いすぎる
スタートで某有名選手が「ジャパンカップの出場に名前が入っていて、自分も日本に行きたいと思っている」と言う。
僕が「そのあとのクリテリウムも出るのかい?」と聞いたら
「サイタナ(と言った)まで滞在すると、1週間で稼げる金があまりに少ないから行かない。ベルギーのクリテリウムに出る方がずっと良いね」と言う。
僕の頭の中はすぐに電卓がフル稼働した。

思ったけど、これまで10年以上、手取りで確実に1億円は稼いできて、今はまったく根拠のない数字だけど、2億は手取りでもらってるはず。
そんな選手が金勘定かと思ったら、ブエルタが終わって世界選までの間の1週間、なんの仕事もないのでポルトガルにでもいこうかと思っている自分が情けなくなった。

そういうオレも、今朝、写真の値段交渉が決裂してイタリアのメーカーの話を断った。
でも桁が違いすぎる(笑)。
北京一周レース取材断念
ジャパンカップの前に、ロジャースに薬物の入った肉を食べさせた?北京一周にいくつもりだった。
すでにオーガナイザーと宿やオートバイの交渉も済んでいたのだけど、マドリードにある中国大使館でビザを取ることがどうやら難しいということで取材をあきらめ、日本でラジオ出演の依頼を一昨日受けてしまった。
ところが昨日になって僕の場合はビザを取らなくていいという連絡を受けた。
だけど、もう後の祭り。
ラジオ出演に全力を尽くします。