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ドーハから
ドーハから
ツアー・オブ・カタールの取材でドーハに到着。
大阪からの夜の便はほぼ満席で、修業のような移動だった。
飛行機はエコノミークラスで辛いけど、プレスのホテルはリッツカールトン。
昨年はフォーシーズンズだったが、いずれも一泊5万円はする高級ホテルだ。
天気はアジア大会の時よりもずっと良く、半袖で十分。
今日はメルクスのチャリティー・サイクリングがあり、明日からレース。
初日はチームタイムトライアルだ。
残念なのは、ヘリでの撮影ができなくなったこと。用意できたヘリのサイズが小さいのが原因。
それから審判長は、世界選マドリード大会の審判長だったフランス人。僕のオートバイでの撮影にいちゃもんをつけた人だ(そのとき、別の審判から「こんなルールを守るフォトグラファーは見たことがない」と言われたのに!)。まあ、それでもにこやかに挨拶をしあった。
それから、ドーハからマレーシアに行くチケットがまだホテルに届いていない。
大会が終わるまで、ちゃんと届くのだろうか。
(写真はチャリティー・サイクリングでのメルクス)
帰国
ツール・ダウン・アンダーの最終日の夜は、恒例のパーティーがあった。
ただ今年は外の仮設テントの中ではなく、ヒルトンホテルの宴会場だった。
僕はプレスルームで写真を電送し終えた後に行ったものだからすでに始まっていた。
どこに座ろうかと思って歩いていたら、ジャーナリスト軍団に捕まった。
フランスのロイターとAFP、チクリッシモにも寄稿してくれているフランスのQ、それからベルギーのヘットニューズブラッドら、自転車界の重鎮ばかりが集まっている。
インターネットで情報が飛び交っている昨今だけど、その情報の発信源はこうした通信社だとか、大手の新聞社が多く、彼らの知識や語学力(数カ国語は当たり前)は本当にたいしたものだ。
で、僕が赤ワインを飲もうとしたら、フランスの3人が全員「おいしくないぞ」という。
僕はビール等なので、ワインの味というのはそんなに分からないけど、やっぱり昼間から飲んでいるような連中は舌が肥えているなあと感心。
そのうち、ポディウムガールが肌もあらわな服を着てきたのをみんなじろじろと見ていたのだけど、そこにツール・ド・フランスでマイヨ・ジョーヌを着たデッセルがやってきて、キスまでしている。
僕がその写真を撮って、
「これはレキップに送るよ」と言うと、
「ダメダメ、たのむよ〜」と、みんなの前で言ったものだから爆笑が起きた。

フランスの連中はワインがまずいからと早々に退散したが、僕とヘットニューズブラッドが残った。
彼はこの世界で20年以上仕事していて、もう知らないことはないくらいの知識を持っている(チクリッシモ第2号にインタビューあり)。
今の自転車界のことをずいぶん話し合ったけど、旧ソビエト系のチーム、たとえばアスタナやティンコフなどがこれまでの事例から見て、土台が危ないことで意見が一致。
10年ほど前にアルジェンティーンがロシアの宝くじの会社の資本でロスロット・ゼータジーを作ったけど結局空中分解し、選手もスタッフも金がもらえず、以降アルジェンティーンは自転車界に戻ってきていない。そのうちの一人は、のちにジロで2勝するサヴォルデッリ。つまり彼はインデックス時代と合わせて、そういうことを2度も経験しているのだ。
あと、ヴァンデンブルックのことをまるで友人のことのように知っていて、報道されていないこともいろいろ教えてもらった。

帰りの飛行機は大阪着のカンタス便。もう機内はがらがらで、こんなフライトもあるんだなあと思った。
関空から10年ぶりくらいで寝台車に乗って、今朝富山に到着。けっこうよく眠れた。金曜日にカタールに向けて出発するので、その準備もしなくては。
長い1日でした、昨日は。
昨日はずっと激しい雨が降り続いた。この時期のアデレードにしては珍しい。
眼鏡に水がついて前がよく見えなかったけど、オートフォーカスを使いまくってなんとか乗り切った。こんなときは本当に便利。
シャワーを浴びてからプレスルームで仕事していると、クレディ・アグリコルのクリストフ・ローランが「今日、逃げのグループに入っていたんだけど、写真くれないか」と言ってきた。
分かっていれば撮ってあげたけど、なかったから、過去の写真をプレゼントしてあげた。
夜は、世界でいちばん写真の使い方がうまい雑誌だと思っているオーストラリアのライド誌と食事。
毎年タイレストランに行くのが恒例で、今回もとてもおいしかった。

その後、同じクレディ・アグリコルのローチェ(ローシュ)がベルギービール専門店にいるから行こうとなって、いわゆる二次会が始まった。
お父さんはご存知87年にダブルツール+世界選をとったスター選手。
フランスで走っているからフランス語をしゃべるけど、小さいときはアイルランドで育っているから英語も話す。
ところが、オーストラリアの連中が言うには、アイルランドの英語というのは非常に癖があって、たとえばショーン・ケリーの話す言葉などは2回聞いてやっと理解できるというレベルらしい。
まあとにかく息子は親のおかげもあるのかやっぱりモテモテで、おっかけの女の子(おばさんもいるんだけど)に囲まれていた。このレース、やたら追っかけが多く、中には売春婦と間違えそうなのもいるくらい。

ところで、僕は今回たまたま飛行機の中で読む本として、ベルギーのビールのものを持ってきた。
もともとベルギーのビールには興味があったから、この店はもってこいの場所。
そしてそこにかつてイタリアで走っていた地元アデレードの選手がやってきた。
オーストラリアのアマのナショナルチームはイタリアに拠点を持っているのだ。
彼はクネゴが優勝したレースで2位、あるいはポポヴィッチ(やっぱりイタリアで走っていた)が優勝したレースでも2位に入って、あのマペイが欲しがっていたという。
ところが兄弟が交通事故で亡くなったときから、自転車への意欲が薄らいだらしい。
この元選手は、僕をどこかのレース会場で見たことがあるらしく、いろいろ話が弾んだのだけど、連れてきた彼女が絶世の美女!いっしょにいたライド誌の連中も、イギリスのプロサイクリング誌のやつも、目が点になっている。
お父さんはロシア、お母さんはタイという。
タイの人には黒い人が多いけど、彼女もお母さんの血がかなり濃いのか、浅黒い。とにかく白と黒の混じった、イタリア人の言う「カップチーノ」(意味分かります?)を僕は初めて見た。

ベルギーのビールを飲み過ぎ(酔っぱらってお代わりをしたのではなく、おごられるからおごり返さないと悪いと思って義理飲みしすぎた)、今日はすこ〜し二日酔い気味。カメラのバッテリーの充電も忘れ、とんだ目にあった。
まずいスパゲッティを食べて思った
今朝起きると外は雨。このツール・ダウン・アンダーには4年連続で来ているが、初めての雨である。
夕べはジャーナリストから「イタリア料理を食べにいこうよ」と誘われたけど、僕はイタリア国外食べにいくことはまずないので、「今日はいいよ」と断った。
ところが、ホテルから出ると連中がたむろっていて、強引に連れていかれた。
料理はオーストラリア風のイタリア料理で、麺のゆで方も柔らか過ぎ。「ああ、もう…」って感じ。
でもサイクリングニュース・ドットコムのオーナー、クナップ氏がおごってくれた。
僕もこのサイトをよく見ているのだけど、いちばん好きな点は情報の出先が書かれているところ。全部とは言わないけれど、どの新聞によると…と書かれているから。
個人のサイトレベルならいい。だけどスポンサーがついて収益を得ているような所で、常に特派員を送っていないのに自社で手に入れたようにニュースを作っているのであれば、パクリと言われて当然だろう。

ホテルに戻ると、いつもベルギーのヘットニューズブラッドのジャーナリストが入り口で選手が来るのを待ち受けている。
「ボーネンが彼女と別れたんだって?」と聞くと
「ああ、ここ数年浮わついていたことはたしか。でも完全に終わったわけじゃない」と、プライベートなことまで知っているのは、こうした日頃の取材のたまものだろう。
御三家
今日の夕方にレースがあるのだけど、明日からのツール・ダウン・アンダーの総合成績には影響しない、いわゆる余興レース。
毎年このレースでベルギーのヘット・ニューズブラッドの仕事をするのだけど、ベルギーはさすが自転車大国で、無名選手や新人選手のインタビューなどが掲載される。
だからベルギーのファンたちは世界でいちばん詳しいわけだ。
その点、ガゼッタは有名選手ばかりで、バッソとクネゴとベッティーニだけを繰り返しながらやっている感がある。
今日もヘット・ニューズブラッドのベテランジャーナリストからベルギーの新人選手の写真を撮ってくれと頼まれた。
写真は明日掲載されるから、撮り逃しがないように念を押された。
だけど僕は顔どころか、名前すら聞いたことがなかった。
「おれがその選手に話をつけておいたから、スタートに行けば分かるよ。新人だから、新聞に出るとなれば、君のことを向こうから探すはずだから」と冗談混じりで言う。
レキップ、ガゼッタ、ヘット・ニューズブラッドは、自転車界の郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎ですね(古いけど、歴史があるからあえてこの名前にしました)。
アデレードから
昨日は南千住にあるカフェ・バッハでチクリッシモの打ち合わせがあった。
コーヒー通の間ではとても有名な喫茶店で、オーナーの田口さんに焙煎工場の中や豆の選別風景まで見せてもらって感激しました。
そのあと、秋葉原でエプソンのP-2500フォトビューワーを購入。最初これを見たときどういう使い方ができるかを考えてみたのだけど、自分には必要ないものだと思っていた。
だけどたとえばレースが終わった後、クルマで移動するとき、この中に写真をコピーして、これで写真を選ぶと時間が節約できると考えて購入に踏み切った。
つまり、クルマに乗りながらパソコン操作はうまくできないけど、これだったらきっと大丈夫と考えたのだ。
これで移動時間を有効に使える。
ダウンアンダーやカタール、ランカウイのレースなどはクルマでの移動が多いので、きっと活躍してくれるだろう。

そのあと成田空港に行った。
スーツケースは22kgでOKだけど、カメラが詰まった機内持ち込みの荷物が18kgあり!(自分でも驚いた)、この分のオーバーチャージがおまけしてくれても4万5千円!(しかも実は計算ミスで、本当はもっと高いことがあとから分かった)。
ところが例のチケットのスペルミスが予想以上に混乱し、向こうも僕に対して「すみません」を連発。で、ベテランの係員が部下に「オーバーチャージ?いいから、いいから、このお客様は」と超ラッキーで無罪放免。
まあとにかく、年々荷物の重量制限が厳しくなってきていて、僕らカメラマンは大変だ。

今、アデレードのヒルトンホテルにいる。今日から1週間ここにいる。今晩はトラックのレース観戦と、チームプレゼンテーションがある。
今日は35度程度だが、明日は40度近くになるらしい。
我、三連ホーンを聞いて想う
我、三連ホーンを聞いて想う
あと数日したらシーズンインなんだけど、レースでなにがいちばん興奮するかというと、アタックが仕掛けられたとき。
同時に無線機からの声のボルテージが上がって、バイクを仕切る人の怒鳴り声とかホイッスルとかが混ざり合って血が沸く。
だけど僕の場合、いちばんアドレナリンが出るのは、3連ホーンが鳴り響くときだ。
これはどういうわけか、装備しているバイクがイタリアではまったくないのに対し、フランスのオートバイはほとんど付けていて、しかもASOのクルマもみんな付けている。
そうすると、ASOが仕切るレース、たとえばツールやパリ〜ルーベ、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュなどでのアタックは、テレビではよく分からないと思うけど、現場にいると3連ホーンがあちこちから鳴り響いて騒然となる。
いつも思うのは、レース現場であの騒然とした空気を経験してしまうと、もうこの仕事は辞められないということ。
でもあの3連ホーン、日本同様に向こうでも実は公認されておらず、いわゆる車検は通らない。
でもレースだからいいわけ。
笑っちゃうんだけど、日本のレースでメカニックがクルマから体を乗り出して選手の自転車を調整するのって、警察が「危険行為」ということで許さないのだそうだ。
日本のレースでみんなで立ち止まって立ちションしたら、白バイが止まって「君ら全員逮捕するぞ」と言ったと、フランスにいる選手が言っていた。
レースで後ろにつくチームカーは、隊列を乱してはいけないのだそうだ。パンクしたらどうするの?
う〜ん、UCIはプロツールのことで戦うんじゃなくて、こうしたとんでもない圧力をかけて自転車レースをさせないようにしている団体に自転車教室を開いてくれないものかなあ。
Giappone(ジャッポーネ。イタリア語で日本の意味)
安倍首相がベルギーのヴェルホフスタット首相と会談したことが報道されたけど、何年か前にヴェルホフスタット首相が来日したとき、自転車を持参してきた。
イタリアのプローディ首相は自転車が趣味で、乗っている所がこれまで何度も報道されているし、ジロも一度見に来ている。
となれば、我ら自転車好きにとっては日本の首相はやっぱり谷垣さんしかいないな!
政策はどうか知らないけど(すいません、興味があまりないので)、幕張の自転車ショーに一人で来られ、2時間も見て回られたというから相当好きなはず。

僕はイタリアに行きだして23年目で、今も海外にいる方が多い。そうなると日本を客観的に見ることもできるのだけど、不可解なことが少なくない。
ロードレース一つとっても、警察が道路使用の許可を出さないというのは、僕にとっては北朝鮮の理解不能の行動と同じレベルだ(たぶんヨーロッパの人は同じように考えると思う)。
今日、フランスのフレデリック・マニェが車連のディレクターに就くにあたっての記者会見がある。
かつてトラックの優秀な選手で、僕も何度も写真を撮っているが、今後はMTBなども含め、すべてを指揮していくという。
フランス車連は昔からお抱えのカメラマンがいるくらい整っている。
そんな国で育った人が、ロードレースに許可を出さない警察がいる国でやっていくのだ。僕ですら理解できないことが多いのだから、きっと厚い壁に出くわすに違いない。
だけど体制を変えてくれると期待して、応援したい。
ジェイスポーツのDVD
ジェイスポーツのDVD
週末からオーストラリアのツール・ダウン・アンダーに出掛けるが、シーズン最初のレースだけに、けっこう入念に準備をしている。
というのは、コンピューターやカメラに不調があるといけないので、バックアップをとったり、予備を用意したり、メンテナンスをしたり、新たにハードディスクやコンパクトフラッシュを購入したり。
コンパクトフラッシュは120倍速の4GBを買ったけど、値段はわずか5,000円台。もちろんメーカー品じゃないけど、たぶん大丈夫。
5年前だったら、この金額じゃ数メガのものがやっとだった気がする。
こうしたものの値下がりは大歓迎!
デジカメがもうちょっと安くなってくれないかなあ。

それからジェイスポーツから出ているDVDを見た。今日はアームストロングのもの。
パンターニやカザルテッリの死亡事故、フェスティナ事件なども入っていて、近年の歴史も振り返ることができる。
このあと、メルクスのやつと、2006年のツールのものを見る予定。
しかし、こうしたものが手に入るなんて、10年前の日本だったら考えられないことだ。
僕の写真が使われていることもあって、いつもジェイスポーツからサンプルをいただいているのだけど、もし仕事をしていなくても、きっと全巻買っているだろうな。資料としても、年が経てば経つほど貴重になっていくんですね。
皆さんにもお勧めします(カレンダーとのセット販売も行われています!とコマーシャル)
ツール・ダウン・アンダーまでもうすぐ
ツール・ダウン・アンダーはオーストラリアのレースなのになぜ「ツアー・ダウン・アンダー」と呼ばないのかと以前聞いたら、
「自転車界はツール・ド・フランスの影響と知名度が大きいので、Tourの部分をツールと呼ぶことにしている」という。
英語圏でもこうなのだから、Pro Tour は当然「プロツアー」じゃなくて、「プロツール」でしょう。
自転車界ではフランス語が公用語で、カメラマン会議も基本的にはフランス語なんだけど、英語が使われるときも「プロツール」と言われる。自転車界の固有名詞というわけだ。
日本の雑誌に「プロツールですよ」と言ったけど、もう書いてしまっているからダメとなった。
驚いたのは、JCFが翻訳しているUCIの規則書にも「プロツアー」と書かれていることだ。
まあ、僕の仕事先であるチクリッシモとジェイスポーツは「プロツール」だから関係ないけどね。

で、ツアー・ダウン・アンダーから航空券が届いた。じゃなかった、ツール・ダウン・アンダーから航空券が届いた。
このレースに毎年招待されて行っているけど、毎回フライトのことでトラブルが起きる。
去年は僕に航空券を発送するのが遅れ、日本で購入して来いとなった。一昨年もそうだった。
ところが入金が半年以上待たされた。
まあ、自分で買うとなるとJALなので、去年も5万マイルを超えて特典がついたけど。
今年はトラブルをなくそうと、だいぶ前からフライトの確認を求めてきた。
でもOKを出したのに、なかなか届かない。
「どうなったの?」と聞いたら、担当者が事故にあったせいで、発送していなかったという。
航空券が国際宅配便で今日やっと届き、これで来週の出発に間に合うと思ったら、なんと1文字スペルミスを発見。
インターネットで調べたら、1文字のミスでも航空券の再発行を義務づける会社もあるようだ。
ドキドキしながらカンタス航空の日本支社に電話したら、あっさりとOKになってよかった。