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関空から
今、関空です。
ツアー・オブ・カタールに行きます。
なぜ関空かというと、招待していただいたのだけど、そのチケットが関空からだったのです。
昔は富山から大阪まで飛行機があったけど、今はないので汽車で来ました。
空港まで4時間半かかります。

カタール航空でチェックインするときに、ANAのマイレージカードを出したら
「お客さんのチケットは安いものなので、マイレージはつきません」と。
「ええ、去年はつきましたよ」と言ったら
「今回のはつきませんねえ」と言われました。
つまり、このフライトは僕にとって苦行そのもので、なんの楽しみもないということになります。
去年はANAのスーパーフライヤーズカードをもらうためにマイル修行をし、わずか半年で獲得してしまったのですが。もう目指すものがないです。

電車に乗る前に、アサヒカメラを買いました。
実は、今、フジのパノラマカメラが欲しくてたまりません。
もう製造中止になって久しいので、中古欄を見ていたのですが、やっぱり出ていないです。
ダウン・アンダーで久しぶりにフィルムで撮ったのですが、やっぱりいいよなあ。
現像からあがって来たときのわくわく感は、今も20年前もまったく変わりません。
これより帰宅
これから最終ステージに行きます。
外は快晴。真夏です。
今回のツール・ダウン・アンダー、400人という取材陣が押し掛けたのですが、幸い撮影はうまくいきました。
とりわけ、強烈な横風が吹いた第3ステージは、この大会が始まってからずっとオートバイで取材しているフォトグラファーに聞いたところ、もっとも良かったステージと言っています。
そこで、オートバイから撮影できたのは、とても良かったです。
今日のレース終了後にシドニーに行って空港のそばのホテルに一泊。
明日の朝のフライトに搭乗し、同日の夕方に成田に到着です。
数日日本にいますが、すぐにカタールに行き、そこからさらにランカウイに直行します。

うちでコーヒーを飲むのは2人しかいないのですが、イタリアから買って来た4kgの豆は3ヶ月でなくなりました。
そこでアデレード市内のスーパーマーケットでイタリアの豆3kgを買いました。イタリアの2割増しだけど、日本で買うよりもずっと安いです。
おかげでスーツケースがぱんぱんで、ヘルメットが入りません。
イタリアン・レストランに行った
朝、イタリアのビチスポルトから、アームストロングの写真を2ページの見開きで使いたいから横位置のものを撮ってくれた言われた。コーヒーを奢るからという条件で。
それじゃあまりに安すぎるから、ブリオッシュとビールもつけてくれと言っておいた。
この日、アームストロングが逃げに乗ったのだけど、横風がまるでベルギーのクラシックを見ているようで、興奮の数時間だった。まさにアームストロングの撮影日和。走りの写真を何十枚も撮ったし、チクリッシモ用の表紙用も撮れた。
横位置の2枚をビチスポルトに渡すと、できが想像以上だったのか、コーヒーは夕食に変わった。
ちなみに彼が書いたパンターニの本をちょうど先日から日本で読み始めたところでもあった。
ガゼッタの記者も加わって、3人でイタリアレストランに行った。
ここに来ているイタリアの報道はこの2社なんだけど、僕が彼らといつも夕食をいっしょに食べないのは僕以上に夜遅くまで仕事しているから。
でもこの日はビチスポルトの奢りだったし、アームストロングの写真の整理に追われて僕も夜9時まで仕事したから、喜んでつきあった。

このレースに世界の自転車競技の報道の最前線が集まっていて、AFPもロイターもEPAもレキップもガゼッタもヘットニューズブラッドもヨーロッパから記者が来ている。
日本の新聞に出ている「7月1日から24日まで行われたツール・ド・フランスは、○○○○が総合時間○○時○○分○○秒で初優勝を飾った」というような膝の裏側から「ガクッ」と音が聞こえて来そうな決まりきった文章をヨーロッパの記者がもし書けば、会社に戻ったら机はないだろう。

ビチスポルトもガゼッタも、僕が金を払って購読している唯一の雑誌と新聞なんだけど(日本の家の書庫には、23年間分のビチスポルトがあるし、ガゼッタも毎日欠かさず読んでいる)、両方の記者は、会社の報道の仕方に怒り爆発で、夕食はこの話でおおいに盛り上がった。
とにかく、現場第一である。この夕食じゃないけど、現場ではいろんな情報がある。現場にいなきゃ、なにも分かりません。
明日から第1ステージ
昨日はアデレード市内でクリテリウムがあった。何年か前まではこのレースもツール・ダウン・アンダーの第1ステージとして行われていたのだけど、今はこの“顔見せレース”はカウントされない。
それでもいつもすごい人出で、今年はアームストロングの影響でさらに多いはず。

今日は休養日だけど、昨日撮った写真の整理で1日が終わった。
明日から第1ステージ。
毎年、僕にはオートバイが毎日あてがわれていたけど、今年は取材側も400人近く来ており、結局僕はレキップやサイクリングニュースとこのオートバイを半日交代で使わなければならない。

このレースのオフィシャルフォトグラファーはワトソンがやっている。
彼を交えての話し合いが夕方あった。
レキップはアームストロングを撮りにきている。
僕はアームストロングとレースを撮りにきている。
サイクリングニュースは、インターネットなのでそんなに写真は...。
こんな状況を踏まえ、ミーティングの結果、レキップがまずはアームストロングを押さえるために明日の午前中に乗る。僕は明日の午後からだけど、土曜日のいちばん良いステージをくれたから良かった。

今、泊まっているアデレード・ヒルトンには選手もいる。しかし、アームストロングは別の所に宿泊している。
夕食を食べて一人でエレベーターに乗ったら、止まった階でなんとアームストロングが乗ってきた。
そして僕の顔をみつめて、「Hello」と挨拶してくれた。
同じシチュエーションで僕はメルクスだろうが、イノーだろうが、インドゥラインだろうが、どんなチャンピオンに会っても何とも思わない。
冗談の一つや二つも言うだろうし、これまで本当にそんな場面もあった。
だけど、アームストロングにはちょっとドキドキした。
この俺の小心者!
ジロのボスのゾメニャーンがアームストロングが最後に勝ったツール・ド・フランスに来たとき、アームストロングと一緒にいるところを撮ったら「メールで送ってくれ」と言われ、送ってあげた。みんな、やっぱりアームストロングは特別なんだよね。

これまでアームストロングさん(ここから敬語を使用します)とレースで何度も顔を合わせているけど、写真を撮るときに声をおかけしたくらいで、しゃべったこともほとんどない。
なにかしゃべりたかった。
僕はイタリア語しかできないけど、アームストロングさんはイタリアにしばらく住んでいたから、イタリア語はだいたいお分かりになる。
が、リクイガスのキッキもそこで乗ってきてしまった。
不幸にも、キッキとの会話が始まってしまった。クソお。
アームストロングさんは横でブラックベリーをいじり、メールの返信をしていらっしゃる。
誰からのメールが必死に見ても、分からなかった。
「おれもこのあとカタールにいくんだ。そのあと、カリフォルニアもね」とキッキが言ってエレベーターから降りるとき、アームストロングさんも行ってしまった。
彼はまた振り返って僕に
「Good Night」と言ってくれた。
この劇的でドラマチックな出会いで、なんの会話もなく、キッキとの実のない話で終わってしまった。

アデレードは夕焼けで真っ赤だった。
夕日に向かって「キッキのバカヤロー、さよならランス」と叫んだ。
(この日記はノンフィクションですが、最後の二行だけはフィクションです)
裏焼き
今日のガゼッタを開いたとき、昨日のアームストロングの記者会見の大きな写真が目に飛び込んできた。
自分の撮った横顔と似ているけど、方向が違うから他の人が撮ったものだ…。
だけど、クレジットを見ると自分の名前が出ているではないか。
よく見ると、わざと裏返しに使っているのである。
たしかにデザイン上は裏の方が良いけど、だけどこれはやり過ぎだろう。人の顔は左右違うわけだし。
ポジのときは、間違えて裏焼きされることがときどきあったけど、データ画像はわざとしないと起こりえない。

これからチームプレゼンテーションに出かけ、そしてお披露目レースもある。
今日から2009年シーズンが始動だ。
アデレード到着
アデレード到着
夜8時発のJALに乗ったら、座席はファーストクラスのもので、180度フルフラット。
だけど、東京とシドニー間のフライトはそんなに長くないので、睡眠不足だ。
アデレードのヒルトンホテルについたら、ちょうどアームストロングの記者会見が始まった。
このレース、ここ数年は毎年招待されているのだけど、日本からは僕一人。というか、フォトグラファーで招待を受けているのは2人しかいない。
昨年はプロツールになってグレードがアップしたのだけど、残念ながらトラックのワールドカップ・北京大会と重なったので断った。

それで、アームストロングの記者会見会場に行ったら、取材陣の多さにびっくり。
350人くらいの登録があるという。
昨年、プロツールに昇格になって、一昨年よりは取材陣が増えたらしいが、今年は昨年と比較にならないくらい激増したという。

アームストロングの記者会見の写真を撮りながら聞いていたけど、いちばん驚いたのはジロの前にたぶんツール・デ・フランドルを走り、そのあとジロ・デル・トレンティーノに出るという。
このトレンティーノも実は10年以上招待されて取材に行っていたのだけど、最近はレースカレンダーの変更で北のクラシック後半と重なって行けなかった。
アームストロングが出るならば、今年は予定を変更して、いくかもしれない。
トレンティーノも取材陣が激増するだろう。
成田空港から
オーストラリアのアデレードで行われるツール・ダウン・アンダーに行くために、昼頃に家を出発。
都内で打ち合わせをこなし、そして今、成田空港にいる。
25kgあるスーツケースは宅配便で空港に送っておいたけど、15kgくらいあるカメラバッグは送るわけにもいかず、打ち合わせ先にも引っ張っていった。
宅配便で送っても機材が絶対に壊れず、そして軽いものがないかとインターネットで探したけど、やっぱりなかった。
これを見つけるのは、永遠のテーマである。

オーストラリアはあまり時差がなくて体は楽なんだけど、南半球だけに真夏。3年前だったか、連日40度近くあったときには、本当に参った。
だけど、今回は灼熱の太陽よりも強敵がいる。
ランスである。
そりゃ自転車界にとって大きなニュースだけど、取材する方としては、警備だの時間だのがうるさくて、ちょっとうんざりである。
レース観戦でいちばん楽なのは、やっぱりイタリアの家の前を毎週末に通る子供のレースだな。
カメラ相談
よく、どんなカメラを購入すれば良いかというメールをもらいます。これまで個別にお答えしていたのですが、今回はここに書きますね。(僕があまり機材に詳しくないのがばれますけどね)

自転車競技に限らず、スポーツの大会に行くと、プロの使うカメラはキヤノンとニコンで占められます。
どちらでも良いと思いますが、僕は昔からキヤノンを使っています。もちろん一眼レフです。自転車で走っている写真を撮るならば、やっぱり一眼レフじゃないと、ちょっと難しいでしょう。
選ぶときには、画素数ばかりにとらわれてはいけません。おそらく、家庭のプリンターを使ってA4サイズでプリントするならば、どれを使ってもまず問題ないでしょう。
それよりも、ボディ自体の性能がものをいいます。初めて購入されるならば、カタログを見たり、お店で実物を実際に見てください。
そして、シャッターを実際押してみてください。持った感じのフィーリングも大事ですし、シャッター音なども、意外に大事なファクターになったりします。
僕はオートバイから撮影することが多いのですが、雨が降っても撮りますから、自分にとっては防水・防塵性能も非常に大事です。が、一般の人ならば、そこまでは必要ないでしょう。

次にレンズです。最低でも200mmくらいの望遠レンズが欲しいところです。キヤノンでおすすめなのは、EF70-200です。僕はF2.8を使っていますが、その廉価版のF4で十分だと思います。
F4のものも、決して安くはありませんし、キヤノンにもいろんなグレードのレンズが出ています。だけどあなたがもし凝り性ならば、将来良いレンズが欲しくなります。レンズはボディに比べて長く使えますから、ワンランク上のものを買った方がいいと思います。

レンズはもう一本、広角系が必要でしょう。スナップや風景がらみのものを撮るときには欠かせません。僕は16-35mm F2.8を使っていますが、EF17-40mm F4がおすすめです。

ボディ1台、それとこの2本のレンズがあれば、だいたいのものが撮れてしまうと思います。僕のおすすめが予算オーバーだったら、お店の人と相談してみてください。向こうは機材のプロですから、ずっと詳しく知っているはずです。

レースの写真ですが、遅いスピードで走っているのであればシャッタースピードは1/500秒でもいいですが、速いときには1/1,000秒くらいは必要です。
デジカメであれば何度撮ってもお金はかかりませんから、どんどん撮って腕を上げてください。
バッソ、アルゼンチン行きでいきなり7時間遅れ
バッソはアルゼンチンのレースに向かったとがゼッタに出ていた。
ところがスペインのイベリア航空のストライキの影響で、早くも7時間遅れとのこと。乗り継ぎ便の心配もあるし、現地の空港についてからさらに3時間クルマで走らななければならないのだそうだ。
考えただけでも疲れてしまった。

僕のこれまでの旅人生で、飛行機の遅れは数えきれないほどあるけど、いちばん忘れられないのは、一つのフライトで急病人が2人も出たとき。1人はモスクワの空港で下ろされ、一人はなんとハバロフスクに緊急着陸だった。
スチュワーデスさんたちも、急病人の経験あるものの、一度に2人は初めてだった。

僕は金曜日からオーストラリアで行われるツール・ダウン・アンダーに向かう。
これまでの条件は非常に良かったのだけど、昨年はプロツールに昇格。さらに今年はアームストロングがくるせいか、いくら招待とはいえ、その条件はかなり厳しくなった。
一時はアルゼンチンで行われるこのレースに行こうかとも考えたが、新聞を読んでいかなくてよかったと思った。
テレビでマナー教室の先生が
テレビを見ていたら、マナーの先生が
「レストランで料理をテーブルの上にこぼしたら、ウエイターにとってもらう」べきだと言っていた。
おいおい、そんなこと、すべてのレストランでやったら大変なことに。というか、そんなことをやってくれるレストランは、高級なところだけだよ。

日本のマナーブックには、食器を落としたら、ウエイターにとってもらうなんて書かれているけど、それだって同じこと。床から自分で拾ってナプキンで拭いてすぐに食べ始める人だっていっぱいいる。

“一流”レストランの話ですと前置きしておかないと、大変なことになるぞ。
でもあんなのがマナーの先生といってテレビに出ているのは、やっぱりハッタリかましてるんだよなーと感心すること半分、あきれること半分。
あなたも先生にすぐなれます。
10,000キロぶりのオイル交換
昔、自動車に詳しい某選手から「日本のクルマに乗って事故ったら死ぬぞ」と言われたのがトラウマになったのと、ミラノからリエージュまでの900kmを小ベンツといわれていたC190に乗っていったら実に快適だったので、日本でも20年近くドイツ車だけに乗っている。
イタリアでもドイツ車を買って所有していたのだけど、2000年のツール・ド・フランスで盗まれて以来、もっぱらレンタカーを使っている。

今日、オイル交換をやってきた。クルマ屋に行きつけのところはないので、家の近くで飛び込みで入った。
店員は親切にいろんなオイルを説明してくれたけど、「欧州のクルマにはやっぱり高級なオイルですよ」という。
イタリアでドイツのクルマに乗っていたときは、2日で2,000km走る移動なんかしょっちゅうやっていたからオイル交換もよくやっていたけど(マドリードからミラノまでの1,650kmを1日で走ったことも2回ある)、それでも近所の汚い店でドラム缶に入った安いものを10,000kmごとに交換。フィルターは2回に1回の割合だった。
それがイタリアの標準だ(と思う)。
日本で欧州のクルマはなにやらありがたみがあるのかもしれないけれど、イタリアにはドイツ車なんぞ腐るほど走っているわけで、超高級なものをのぞけば、日本で外車を見てもなんとも思わない。
自分のクルマは新車を8年半前に購入したけど、洗車したのはまだ2回しかないし、今日のオイル交換も10,00km走った後だった。
だけど、今日は店員のすすめもあって、いちばん高いのを8リットル入れてきた。
別に走りを良くするためじゃなくて、高いのを入れておけば、オイル交換をさらにしなくてもいいのではと勝手に考えたからである。
日本の人たちは、オイル交換をやり過ぎなんですよ(と僕は思っている)。
日本じゃ、クルマはペットだからな。
ドイツのクルマみたいに300だの500だのという数字をモデル名につけると売れなくなるのは、クルマが家族の一員という気持ちがあるからだと日本のクルマメーカーの人から聞いた。
あれには、ぞっとした。
いきなり自転車の初夢かよ
新年あめでとうございます。
ラジオで評論家が「今年を良いか、悪いかで言えば、どれだけ悪くなるかでしょうね」と言っていた。
まあ、景気は悪いけど、でも戦争や飢饉で人が死ぬまでは行っていない。
ヨーロッパでは中東の戦争のことがしょっちゅうトップニュースになるけど、日本はまずない。やっぱり島国なんだなあといつも思うけど、現に戦争や飢饉は世界のどこかで今も起きている。
日本は幸いそこまでは行っていないから、まだいいですよ。

ところで、初夢はいきなり自転車でした。
元旦にみたのは、低迷する日本トラック界(永井がメダルをとったけど、競輪選手は3500人ほどいるんですから。その確率たるや、やっぱり超低い)に業を煮やしたマニエ監督が、世界選の個人追い抜きで急遽起用したのが、なんとフォトグラファーの不肖・砂田だった。
「走れるわけ、ねえじゃんかよ」といいつつもスタートした小生は、人の2倍くらいのタイムでゴール。
がっかりしたけど、監督は自分の起用に間違いはなかったと釈明。
困惑した俺は、この先、あんまり書きたくないんだけど、EPOに手を出しちゃうんだよね。
このあとに目が覚めたから、2年間の出場停止にはならなかったけどさ。

そして次の夜もまた自転車だった。
ブイグの監督をやっている友達がいるんだけど、彼の家にいったら、そこに砂の壁があって、ダッシュで駆け上がろうぜという。
そいつは上までいったけど、俺は途中で止まって、上を見るとオーバーハングになっているし、下を見ると崖。
なんとかゆっくりおりていって、そのあと彼の家に上がった。
そうしたら、笑っちゃうんだけど、そこにはリッコやセッラなど、脛に傷持つ選手が5、6人なにもしゃべらずに座っている。
退廃的な空気が漂っていて、思わず外に出た。
そしてこれまた変な話なんだけど、昨日見たトラックレースで玉砕する夢をホームページに書きだすんだよね(まさに今の自分)。

最近、この日記の更新が滞りがちだったけど、実は自転車の仕事は毎日やっていた。
正月からいきなり二夜連続でディープな夢みるくらいだから、けっこう煮詰まっているのかも。ジロやツール期間中だって、自転車の夢はあんまりみないもん。
というわけで、今年も自転車レース漬けだな。