Diary Only japanese
最新のDiary
2024-10-18
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
2024-09-12
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
2024-09-09
自転車と紅茶のおみせ ゆいの壁
過去のDiary

2024年10月

2024年09月

2024年08月

2024年07月

2024年06月

2024年05月

2024年04月

2024年01月

2023年12月

2023年11月

2023年10月

2023年09月

2023年08月

2023年06月

2023年04月

2023年03月

2023年02月

2023年01月

2022年12月

2022年11月

2022年10月

2022年09月

2022年08月

2022年07月

2022年06月

2022年05月

2022年04月

2022年03月

2022年02月

2022年01月

2021年12月

2021年11月

2021年10月

2021年09月

2021年08月

2021年07月

2021年06月

2021年05月

2021年04月

2021年03月

2021年02月

2021年01月

2020年12月

2020年11月

2020年10月

2020年09月

2020年08月

2020年07月

2020年06月

2020年05月

2020年04月

2020年03月

2020年02月

2020年01月

2019年12月

2019年11月

2019年10月

2019年09月

2019年08月

2019年07月

2019年06月

2019年05月

2019年04月

2019年03月

2019年02月

2019年01月

2018年12月

2018年11月

2018年10月

2018年09月

2018年08月

2018年07月

2018年06月

2018年05月

2018年04月

2018年03月

2018年02月

2018年01月

2017年12月

2017年11月

2017年10月

2017年09月

2017年08月

2017年07月

2017年06月

2017年05月

2017年04月

2017年03月

2017年02月

2017年01月

2016年12月

2016年11月

2016年10月

2016年09月

2016年08月

2016年07月

2016年06月

2016年05月

2016年04月

2016年03月

2016年02月

2016年01月

2015年12月

2015年11月

2015年10月

2015年09月

2015年08月

2015年07月

2015年06月

2015年05月

2015年04月

2015年03月

2015年02月

2015年01月

2014年12月

2014年11月

2014年10月

2014年09月

2014年08月

2014年07月

2014年06月

2014年05月

2014年04月

2014年03月

2014年02月

2014年01月

2013年12月

2013年11月

2013年10月

2013年09月

2013年08月

2013年07月

2013年06月

2013年05月

2013年04月

2013年03月

2013年02月

2013年01月

2012年12月

2012年11月

2012年10月

2012年09月

2012年08月

2012年07月

2012年06月

2012年05月

2012年04月

2012年03月

2012年02月

2012年01月

2011年12月

2011年11月

2011年10月

2011年09月

2011年08月

2011年07月

2011年06月

2011年05月

2011年04月

2011年03月

2011年02月

2011年01月

2010年12月

2010年11月

2010年10月

2010年09月

2010年08月

2010年07月

2010年06月

2010年05月

2010年04月

2010年03月

2010年02月

2010年01月

2009年12月

2009年11月

2009年10月

2009年09月

2009年08月

2009年07月

2009年06月

2009年05月

2009年04月

2009年03月

2009年02月

2009年01月

2008年12月

2008年11月

2008年10月

2008年09月

2008年08月

2008年07月

2008年06月

2008年05月

2008年04月

2008年03月

2008年02月

2008年01月

2007年12月

2007年11月

2007年10月

2007年09月

2007年08月

2007年07月

2007年06月

2007年05月

2007年04月

2007年03月

2007年02月

2007年01月

2006年12月

2006年11月

2006年10月

2006年09月

2006年08月

2006年07月

2006年06月

2006年05月

2006年04月

2006年03月

2006年02月

2006年01月

2005年12月

ミラノから
怒濤の世界選でした。
とにかく今年は毎日がレースで、タイムトライアルとロードの間の休養日がなかったため、ハードでした。
しかも、パソコンのディスプレイがまっ暗で使えず、古いものを使っているために、めちゃくちゃ遅い。仕事もなかなかはかどりません。
メールをいただいてもなかなか返事が書けません。ここにお詫び申し上げます。

今日は日本のテレビとの仕事があります。
明日・明後日は写真の整理と原稿書き、そして金曜日からメキシコです。
メキシコからイタリアに戻ってきたらロンバルディーア、それからパリに行ってツール・ド・フランスのプレゼンテーションに出席。翌日に日本に戻ります。
ヴァレーゼから
昨日の午前中はけっこう強い雨が降って、すごく寒くなったけど、午後から天気がよくなった。
そして今日もいい天気で、秋の気配がする。
昨日、ヴァレーゼで自転車関係の日本の方と食事したけど、やっぱりイタリアはおいしい。どこに入ってもはずれが滅多にない。

ところが、イタリアをエンジョイできるのはあと10日ほどだけ。
実は来週後半からメキシコのブエルタ・ア・チワワに行くことになったのだ。
メキシコはたしか5年前に一度行っている。
タコスでイタリアの未練をカバーできるだろうか。
マドリード空港から
最終ステージが終わってからプレスルームで仕事したけど、無線LANが遅く、しまいには切れてしまった。
新聞社や通信社の連中は、毎年プレスルームになるこのホテルの回線状況が良くないことを覚えていて、ちゃんとモバイルカードを使ってやっていた。
僕はホテルから送ろうとしたけど、そこは無線LAN(こっちではwifi=ウイフィーと呼ばれています)がなく、しかもドアが壊れて部屋に30分は入れないという惨事が夜11時に起きた。

今日月曜日のマドリードは雨。レンタカーを返却し、今、空港でこれを書いている。
これからミラノに飛び、そこから直接世界選の会場であるヴァレーゼに行き、受付をやってから家に戻る予定。
明日から世界選が始まる。
今年・そして来年のメンドリズィオ(スイス)は自宅から通える。
毎日、毎日、生きています
ジロやツール期間中は「寝る」「食べる」以外は全部仕事という異常事態。
これに比べれば、ブエルタはかなり楽。
そもそも、レースだってこの2つから見れば、スペインのローカルレースといった感じだ。
もっとも、そこがいいんだけどね。

だけど、今が「いつ」で自分が「どこにいる」のか、ほとんどわかっていない。
つまり、毎日毎日を生きていくのに精一杯なのだ。見るのは明日のコースマップだけで、あさってのものを見ることはない。

それから、僕の仕事でおかしなことが一つ。
とりあえず、取材にいくら使ったかは記録している。
そして普通の会社だったら、経費がかかりすぎれば、なんとか押さえようとする。
ところが僕の場合は、「かかるものはかかるから、どうしようもない」と思っているので、対策はない。
20年間、本当にこれでやってきた。
これでどうにか回っているのだから、とりあえず利益は出ているのだと思う。
このブエルタで経費がいくらかかったのか、そしていくらの収益が上がるのかなどはほとんど分からない。
分かってしまうと、逆になかなかこの仕事はできないというか、いい仕事はできまへん。
スペインから
昨日のレースはプロトンの進行速度が遅く、ゴールしたのがだいたい夜7時。表彰式が7時半終了、プレスルームでの仕事が8時半まで。
ホテル到着が9時。夕食が9時半。
で、リクイガスと同じホテルだったので、中野と12時までバーにいた。
スペインにいると、なんでも遅くなります。
残念
競輪選手の内田慶君が競走中に落車死したことをニュースで知って驚いた。
追い抜き選手として日本代表になっていた。ワールドカップや世界選、それに一昨年のアジア大会など、これまで何度も撮影している。
まだ若かっただけに、本当に残念。
スペインから御冥福をお祈りしています。
ブルゴスから
今日のガゼッタは2ページに渡ってアームストロングのことで、ブエルタの記事はコラム程度。すっかりアームストロングに振り回されている。

普段の撮影はオートバイからなので、クルマでの撮影は要領を得ない。
食料補給地点からチームのマッサージ師たちのクルマと走ったが、ずっと150キロから200キロで走るから(高速道路じゃないところも!)、もうくたくた。二度とあいつらといっしょに走るまいと思った。
と同時に、昔、自分もクルマで撮影していたときはこういうことを毎日やっていたのだと振り返る。なんてバカなことをしていたもんだと思った。

ゴール写真を撮り終えてから、通りに停めておいたクルマに戻ると、窓ガラスが全開。「うわっ、また泥棒に壊されたか」と思ったが、自分の閉め忘れだった。
心身ともに疲れていたせいだ。
中に高額な機材からパンツまで身の回り品一式が入っていたが、幸い何もとられてなかった。

取材現場にはいろんなトラブルだとか、苦労がつきものだ。
不肖カメラマンの宮嶋茂樹さんも、現場を知らないでどうのこうのいうやつが大嫌いだと書かれていたけど、その気持ちはとてもよく分かる(あの人の本は面白いので、何冊か持っています。滝で身動きが取れなくなって、大きなレンズを滝壺に捨てた話なんか忘れられない。目立つ人だからどうこう言う人が多いかもしれないけど、じゃあ取材現場に行く苦労をいったいどれだけの人が知っているのだろう?)。
例えば、同じ取材する側にマナーを心得ない人間がいてやりきれなくなることなんて、外部からはまったく見えないだろう。
サラゴサから100km離れた田舎の温泉から
昨日のステージのゴールと今日のステージのスタートは200kmくらい離れていて、写真電送後に100kmほど移動。途中、雷がひどく、ビビりながら運転していた。
予約してあったホテルについてみると、そこは大きな温泉ホテルで、客は本当にお年寄りたちだけ。
平均年齢は軽く70歳を超えているだろう。
でも、スペインのホテルはどこも清潔で、多くのところはインターネットが無料。ここでコンピューターを持ち歩いている客はおそらく僕一人だろう。

昨日のゴールのサラゴサは今、万博をやっていて、ホテルがどこもバカ高いのでここまで移動してきたのだ。
サラゴサを抜けるときに、カーナビに載っていない道ができていて、しかも万博会場に紛れ込んでしまった。

夜中は土砂降りの雨。
朝起きて、「さあ今日はオートバイに乗っているカメラマンたちは大変だぞ」と、ほくそ笑みながら外を見ると、あれっ、快晴だよ。

昨日、エスカルティンがホテルのオーナーと書きましたが、彼彼はそこのイメージマン(日本語でなんて書いていいかいつも悩む。ようするに看板役)なのだそうだ。
サビニャニゴから
昨日のステージの表彰式にエスカルティンが来ていた。このへんの出身らしく、町中の自転車屋の中にも彼がケルメで走っていたときのポスターが貼られていた。
去年から見ると太っていて、すっかりホテルのオーナーって感じだ。

一方、朝のスペインのニュースで、昨日のステージのゴールスプリントの映像の後、アームストロングの現役復帰のニュースをやっていた。
しかし、どのチームから参戦するのだろう???
たとえ、どっかがとってくれたとしても、どういうチーム編成にするのか。
彼をキャプテンに据えると、みんな今からアシスト?
そもそも、ジャンマリールブランと仲違いして引退しているし。
体力的にたとえやれたとしても、そういった環境の部分でちょっと無理じゃないかと思う。
プラ・デ・ベレの麓から
昨日のステージはツールでおなじみのプラ・デ・ベレに行ったけど、今はその麓のホテルにいる。今シーズンいっぱいで解散になるクレディ・アグリコルと同じホテルにいる。今回ローチェの息子(お父さんが偉大だったから、名前じゃなくて息子と呼ばれるのがちょっとかわいそうだな。姓でフランス語読みのロッシュと呼ばれることも多い)が強いのにちょっと驚いている。

イタリアではこのブエルタは世界選のためのレースで、フランスのモンクティエの優勝などはほとんど記事になっていない(レキップからは連日フランス選手の写真の問い合わせがあるけど。シャヴァネルがマイヨ・オロを着て迎えた休養日など、ホテルで休んでいたら「ええ、なにも撮っていないのか!」だって)。ガゼッタに至ってはモンクティエって誰?みたいな感じで、僕がスタートで撮ったクネゴとバッランの写真が使われているくらい。なぜなら、クネゴの世界選出場が微妙な位置にあるからだ。

イタリアではプラッチとロマーニャが2連戦で行われた。これも世界選のメンバーを決めるのに重要だ。
プラッチでパオリーニが勝った。久しぶりに聞く名前だけど、彼もおそらくメンバーに入るだろう。

チポッリーニも先日のガゼッタのインタビューで言っていたけど、自転車界では世界選の方が五輪よりも重要だと。
別に彼が言うまでもなく、本当にそのとおり。
僕は世界選の優勝者の名前を過去30年はソラで言えるけど、五輪は言えないかも。北京で勝ったのは誰だったか…、ああまだ覚えていて安心。
イタリア・レストランに行ってしまった
僕は海外にいるとき、その国の料理以外のものを食べることはめったにない。
イタリアにいるときはイタリア料理、フランスではフランス料理という感じだ。
どうせ移動するのだから、たとえば日本料理を食べるのだったら日本に行ってから食べればいいのだ、自分の場合は。
逆に日本にいるときは、日本食以外のものを食べることはめったにない。すごに海外にいくのだから。
だけど、スペインにいる今、周りにまともなレストランがなくて、しかたなくイタリア・レストランに行った。
で、やっぱりだめだった。特にスパゲッティはもう完全にゆで過ぎ。
僕はイタリアの普通の家庭で、家庭料理を3年間に渡って食べ続けたが、このスパゲッティに関して言うと、ゆで過ぎ、ゆで足りなさを一度も経験していない。あれはすごいと思う。

日本のスパゲッティも最近はかなりおいしくなったけど(行かないといいながらも、イタリア人のアテンドがあると東京や大阪のレストランに当然行く)、ただラーメンを食べるときのようにすすって食べる客が多いのと、給仕人がアルバイトなんかのプロ意識がない人が多いので、自分から行くことは数軒のお店を除いてはない。

ちなみに、宇都宮で世界選手権があった1990年、コックを連れてきたのはベルギーチームとイタリアチームだけだったけど、イタリアはプロの給仕人を3人連れてきた。レストランを作るとき、コックさんだけじゃだめなのだ。
もうちょっとで…
昨日、プレスルームの駐車場に行こうとしているとき、狭い路地の向こうから1台のクルマが猛スピードでやってくる。怖くて右に寄ったら、僕のクルマの直前で急停止。その後ろからやってきたおばさんのクルマが停まれずに追突した。
まともじゃないと思ったけど、案の定、その男は手錠をはめられた。
薬物中毒者だったのかもしれない。
シートベルトしていなかったし、あれにぶつかられたら大変なことになっていた。
緑と黄色はX(ベッティーニ)
緑と黄色はX(ベッティーニ)
レース期間は忙しいので、新聞を読む時間すらないときがあるけど、自分の写真が載っているときには、多少は読むかな。
今日のガゼッタのバルベルデのゴールシーンは僕の撮ったものが使われていたけど、その横にあるベッティーニの日記が面白いことを発見。

昨日の朝、黄色のリーダージャージを着て現れたピッポ・ポッツァートを見て、緑のパンツと色が全然マッチしていないことをベッティーニがひどく笑っていたのだけど(僕のギャラリーにいっしょに撮った写真がある)、そのことを書いていて、「パンツや手袋やシューズも色を合わせるべき。彼のようなおしゃれなやつがあれじゃ、がっかりした。でもひげを剃ったのはよかった」って。

僕もポッツァートのひげを、にあわねえーと思っていた。まるでザブリスキーだ。そもそも、脚の毛を剃る自転車選手にひげは不釣り合いだと思う。
唯一おかしくなかったのはスイスのフロイラー(80年代から90年代前半にかけて活躍したスプリンターで、引退後はフォナックのマネージャーをやったこともあった)だけだと思っている。

写真はひげを剃ってマイヨ・オロを着てきたピッポ。