2024-10-18
東京での写真展
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2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
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2024-09-12
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
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2024-09-09
自転車と紅茶のおみせ ゆいの壁
自転車と紅茶のおみせ ゆいの壁
マルク・ヴァンランデゲムの急逝
初めて仕事での付き合いが始まったのは1996年のヘント〜ウェヴェルヘムだった。
ベルギーチャンピオンのウィルフリート・ネリッセンがコーナーを曲がりきれずに路肩の木の柵に激突。
脛の骨が飛び出るという大事故で、僕がその写真を撮ったことから始まった。
ツール・ド・フランスでもチポッリーニを破っていたベルギーチャンピオンのネリッセンの事故の衝撃は大きく、ゴールは騒然としていた。
当時ヘットヴォルクの記者だったヴァンランデゲムはすぐに僕を捕まえ、フィルムの現像所に急がせた。
翌日のヘットヴォルクの第1ページ目は僕の写真だった。
その後、クラシックレースでプレス担当となり、毎年しょっちゅう顔を合わせていた。
いっしょに食事をしたこともあったし、日本のプレスからの取材申請でどう対応していいのか、相談の電話を受けたこともある。
今は、ベルギーの国営通信のコラボレート・ジャーナリストになっていて、僕もここに写真を送っていることから、さらに親近感は高まった。
今年のトルコ一周でも、彼が記事、僕が写真だった。
つい2、3日前、世界選会場でいつものようにイタリア語で挨拶したばかりだった。
彼は英語、フランス語、オランダ語、そしてイタリア語も流暢に話した。
残念な知らせに驚いている。
ベルギーチャンピオンのウィルフリート・ネリッセンがコーナーを曲がりきれずに路肩の木の柵に激突。
脛の骨が飛び出るという大事故で、僕がその写真を撮ったことから始まった。
ツール・ド・フランスでもチポッリーニを破っていたベルギーチャンピオンのネリッセンの事故の衝撃は大きく、ゴールは騒然としていた。
当時ヘットヴォルクの記者だったヴァンランデゲムはすぐに僕を捕まえ、フィルムの現像所に急がせた。
翌日のヘットヴォルクの第1ページ目は僕の写真だった。
その後、クラシックレースでプレス担当となり、毎年しょっちゅう顔を合わせていた。
いっしょに食事をしたこともあったし、日本のプレスからの取材申請でどう対応していいのか、相談の電話を受けたこともある。
今は、ベルギーの国営通信のコラボレート・ジャーナリストになっていて、僕もここに写真を送っていることから、さらに親近感は高まった。
今年のトルコ一周でも、彼が記事、僕が写真だった。
つい2、3日前、世界選会場でいつものようにイタリア語で挨拶したばかりだった。
彼は英語、フランス語、オランダ語、そしてイタリア語も流暢に話した。
残念な知らせに驚いている。