2024-10-18
東京での写真展
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2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
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2024-09-12
砂田弓弦全国巡回写真展 @ 富山
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2024-09-09
自転車と紅茶のおみせ ゆいの壁
自転車と紅茶のおみせ ゆいの壁
インドゥラインのコメント
1991年から5年連続でツール・ド・フランス優勝、92年から2年連続でジロ・ディ・イタリア優勝のミゲル・インドゥラインがこう言っている。
「自分の時代はアルプスもピレネーも、いちばん軽くて39x23と、踏む力が必要だった。今の選手は39x30だって使う。自分もこうしたギアを使って上ってみたかった」
選手たちが軽いギアを使うようになったきっかけは、アームストロングの影響だと思う。ガンによる中断前(ガンによる中断は1996年後半〜1997年フルシーズン)、すでに世界選やツール区間、フレーシュ・ワロンヌを制していたけど、ギアは普通だった。
ところがガンから復帰したあとにール7連勝が始まったのだけど、他の選手のギアとは一見して分かるくらい違っていた。彼の脚の回転だけが他の選手よりも速いのだ。
たしかリエージュ~バストーニュ~リエージュのスタートだったと思うけど、あるチームの監督がチームカーの上に積まれたアームストロングの自転車を舐めるように見回し、そしてクランクの長さを確認していたのを思い出す。声をかけると、このクランク長というのは自転車のペダリングの重要なファクターだから、と言った。
他のチームの監督がわざわざ自転車を見に来るなんて、僕が知る限りレースの世界ではないことで、それほどのペダリング改革だったのだ。
「自分の時代はアルプスもピレネーも、いちばん軽くて39x23と、踏む力が必要だった。今の選手は39x30だって使う。自分もこうしたギアを使って上ってみたかった」
選手たちが軽いギアを使うようになったきっかけは、アームストロングの影響だと思う。ガンによる中断前(ガンによる中断は1996年後半〜1997年フルシーズン)、すでに世界選やツール区間、フレーシュ・ワロンヌを制していたけど、ギアは普通だった。
ところがガンから復帰したあとにール7連勝が始まったのだけど、他の選手のギアとは一見して分かるくらい違っていた。彼の脚の回転だけが他の選手よりも速いのだ。
たしかリエージュ~バストーニュ~リエージュのスタートだったと思うけど、あるチームの監督がチームカーの上に積まれたアームストロングの自転車を舐めるように見回し、そしてクランクの長さを確認していたのを思い出す。声をかけると、このクランク長というのは自転車のペダリングの重要なファクターだから、と言った。
他のチームの監督がわざわざ自転車を見に来るなんて、僕が知る限りレースの世界ではないことで、それほどのペダリング改革だったのだ。