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マジョルカ島から
マジョルカ島から
今日からトラック世界選が始まった。
夜遅くまでレースなんだけど、スペインはもともと夕食が夜9時くらいからなので(9時に行くとまだ早いと断られることもある)、なんとか夕食は食べられそう。
トラックの世界選では毎回夕食が問題になってくるのだ。

4月6日放送の「銀輪の風」(BS-i)から番組のエンディングの方で、毎回僕の写真が流されます。
見てくれる人の数は、写真展とは比じゃないくらい多いから、僕も楽しみにしています(といってもヨーロッパにずっといるので見られないのですが)。
今日、流されるものをパソコン上で見せてもらったけど、良かったです。
みなさん、ぜひ見てください。毎回テーマがあるのですが、こんなテーマの写真を見たいというのも教えてください。
初回はChampionsです。
ミラノから
午前中、ようやく湯沸かし器の水漏れの修理がやってきた。サウニエルドゥバルのものがついているのだけど、なぜ毎年メインテナンスが必要なんだ?
それから食器を洗った後にそれを載せる水切りの台を買ったのだけど、部品が足りなかったので交換をお願いしたら、そこにある在庫すべてにそれが入っていないことが分かり、金を返してもらった。
素敵なイタリア製のものだったけど、もう品質管理はいったいどうなっているんだって感じ。

午後からコルナーゴに行って、愛車のC-50のステムを交換してもらった。言うまでもなくあそこはプロチームや膨大な客を相手にしているから、腕はいいし、在庫はあるし、速いしで、言うことは何もない。
水切りの台の一件とは対極にある。イタリアは分からんよ。

ついでにサドルも交換。これは行きつけの店でもらってきたものを自分で交換した。そこの息子が今年プロ入りしたので、いらなくなったのをもらったのだ。プロツールではない小さなチームなんだけど、これまでまだわずか4レースしか走れていない。これもすべてプロツールの弊害だ。
プロツールはプロツールチームだけではなく、その下のチームやレースにものすごい悪い影響を与えているということ。これを忘れて議論してはならない。

ミラノ〜サンレモで僕がテレビに映っていたらしく、何人からかそのことを言われた。ティレ〜ノのときなんか、オートバイに積んである無線機の調整が悪く、僕らの会話がみんなに聞こえているとスタッフが来て注意してくれた。
身だしなみや言葉遣いには気をつけなければいけませんな。

夕方から自転車に乗ろうとしたら雨が降ってきて中止。明日は朝7時の飛行機でミラノのリナーテ空港からスペインのマヨルカ島に行く。
ミラノ〜サンレモ終了
能登の方で起きた大地震、富山も震度5だったそうで、心配してくださった皆様、この場を借りてお礼申し上げます。
僕自身は大学生のときに東京で経験した震度4がこれまでの最高ですが、そのときですらお年寄りが一名ショック死されたのですから、震度5となるとどんな揺れなのか想像がつきません。
また被害に遭われた方にはイタリアから気持ちだけですが、お見舞い申し上げます。

昨日の朝、自宅を出る前に大急ぎでダイアリーを書いたのだけれど、スタートに行く途中でフレイレの名前が抜けているのを思い出した。
レース中盤からラボバンクのアシスト役がプロトンの先頭に立って引き始めたとき、フレイレがきっと調子いいのだろうと思った。
で、ゴール前でペタッキが見えたけど、絶好調のときとはぜんぜん違っていて失速。そのあとフレイレが見えたとき、彼の勝利は決まったと思った。
レースが終わってからサンレモからミラノまでまた300kmをオートバイに乗って帰ってきたからクタクタ。しかも昨日は寒かったので、帰宅してから飛び込むように風呂場に行った。

今日は日曜日だったけど、小雨で自転車に乗れなかったから、ずっと写真の整理をしていた。今日から夏時間で1時間早まったこともあり、1日があったというまに過ぎた感じ。
水曜日からマヨルカ島に行ってトラック世界選手権の取材に入る。
今日はミラノ〜サンレモ
箱根駅伝をみて「ああ、お正月なんだ」と思うように、イタリアではミラノ〜サンレモで春の到来を感じる。
自転車界にとってはとても大事なレース。優勝者の名前を見たら分かるように、まぐれで勝った選手はこれまで数えるほどしかおらず、大選手がずらりと並ぶ。
テレビのニュースでは優勝候補はベッティーニ、ポッツァート、ツァベル、などの名前を挙げているが、ボーネン、フースホフト、マキュウェンなどももちろん要注意だ。
天気は今のところ快晴。これよりオートバイの運転手と合流してスタート地点(今年は変更で、スフォルツェスコ城となった)に行く。
良い写真が撮れますように。
小春日和のミラノから
ティレ〜ノの最終日はガゼッタのチーフ記者にお昼ご飯をご馳走になったんだけど(いつも会社の金で良いものばかり食べているだな、これが)、胃がパンク寸前まで食べたおかげで、レースが終わって500kmをクルマで走って家に到着してからもお腹が空かず、ビールを飲んですぐに寝た。
昨日と今日は自宅にいて、ジロのホテルの予約をやったり(仕事仲間に聞いたら、もうブエルタのホテルまで予約したといっていたから、あわててやっている)、原稿を書いたりしている。

明日はミラノ〜サンレモの受付なんだけど、その前に約20年ぶりにプンツォナトゥーラが行われる。
昔はどのレースでも行われていたんだけど、選手がライセンスと持ってきてそれを審判がチェックするのだ。
このプンツォナトゥーラというイタリア語はすでに死語で、若い人に言ってもなんのことか通じないかもしれない。というのは、車番に穴を空けるというような意味で、昔の自転車レースは本当にフレームに付ける番号札に穴を空けていたらしいのだ。ギザッロの博物館に行けば、その機械だってある。
さすがに今回はそこまでしないだろうが、今の自転車レースが昔と比べてすっかり人気が落ちたのは、このプンツォナトゥーラの廃止という意見もある。
たしかに昔の映像を見ると、コッピの登場を待つ観客がごった返していたのだ。

しかし、イタリアの自転車界でも業界用語というのか、昔の言葉がそのまま残っているものがあって、このプンツォナトゥーラだって前日の取材受付という意味で今でも堂々と使われているし、大会のガイドブックをガリバルディ、クルマに貼るシールをタルガなどというのは、長年この仕事をやっていないと分からない用語である。
明日は近くのホテルに泊まっているベッティーニを撮影してからプンツォナトゥーラに行く予定。
サンベネデット・デル・トロントから
サンベネデット・デル・トロントから
昨日は今大会でいちばんハードな山岳ステージだった。
パリ〜ニースを終えてやってきたフランスのレキップのオートバイも加わった。
交通規制はジロとは比較にならないくらい緩いから、道に停まっているクルマも多い。それでもって横風が強い日だったから集団が横に膨らみ、オートバイでプロトンを抜けるのが難しい場面もあった。
そうしたときに「オートバイ、邪魔〜」と罵声を浴びせる選手というのは、間違いなく脚が売り切れそうな状態。

スタートでパリ〜ニースのことを他のカメラマンと話しあったが、ティレーノ〜アドリアティコの方がミラノ〜サンレモの優勝候補がすべて顔を揃えていることもあって、ずっと質が高いのではないかという結論に達した。
ケリーはパリ〜ニースで7連勝という大記録を樹立したが、キャリアの後半はこっちに来ていたというし、レモンもいたという。
日本じゃジェイスポーツでこのレースのことをやらないから残念なんだけど、パリ〜ニースより面白いのではないだろうか。
僕も近年はパリ〜ニースには行かず、ずっとティレーノに来ている。

最後の上りではヴィノクロフらの走りを見て久しぶりにアドレナリンが出て燃えた。
おかげで審判から怒鳴られた。これも久しぶり。
新刊本
新刊本
シマノが運営する自転車博物館サイクルセンターの中村博司さんが本を出されたの紹介します。
1,365円(1,300円) A4変型判・全224ページ無線とじ・
雑誌コード 69036-63 ISBN978-4-86144-063-2
自転車生活を始める人、始めたばかりの人に贈る入門書。サイクリング全般の基礎を初心者向けにわかりやすく解説。
サドルを高くしてタイヤに空気をいっぱい入れる、ケンケンせずにまたいでから発進---ちょっとしたコツを知るだけで、自転車ライフは快適になります。自転車博物館サイクルセンターの中村博司さんが、初心者を快適で安全な自転車ライフに導きます。構造と修理法・車種の選び方・服装と装備・体への合わせ方などの基礎知識から、乗車姿勢・変速機の使い方・ペダリング法といった実践ノウハウまで、分かりやすく解説。独りでサイクリングできるレベルまでガイドします。
ティレーノ〜アドリアティコ第3ステージより
14日にミラノに着いた。飛行機の中で007とナイトミュージアムという映画を2本見たが、両方楽しめた。
007はカジノロワイヤルというタイトルなんだけど、ボンド役が引退したアンドレイ・チミルによく似ていた。
ベルギーのクラシックの帰りの飛行機で一度チミルと座席が隣になり、その横はキャプーチだった。
チミルは食事に出たサンドイッチの中身を見て、僕に食べないかと勧めた。中に入っていたサラミが身体に悪いと考えたからだ。
チミルが年をとっても勝てたのは、そんな摂生の賜物で、見ていたキャプーチも驚いていた。

昨日はミラノでいろいろと用事をこなした。
昼食は写真エージェントの連中と行きつけの食堂に。
あるカメラマンがポッツァートの裸を撮ってきたという話題になった。
去年のジロの前にそのカメラマンが撮ったシモーニ、バッソ、クネゴ、サヴォルデッリらの裸がガゼッタに掲載された。
でも正直言って、裸よりはクネゴの着物の方がまだ良いと思う(手前味噌ですが)。

今日、ミラノから500kmクルマで走り、マチェラータという所に来てティレーノ〜アドリアティコに合流した。
受付で「第1ステージでスロヴェニアのオートバイに乗ったカメラマンが選手を30人ほど落車させてパスを取り上げた」と聞いた。
イタリアはすっかり春の陽気。ガゼッタのファミリーなスタッフ、おいしい食事、きれいな女性…。今年はイタリアに足を踏み入れて23年目なんだけど、やっぱりイタリアのレースはいいなあと改めて感じた。
仕事モード突入
仕事モード突入
毎週金曜日の23:30~24:00にBS-iで放映されている「銀輪の風」(http://www.ginrin.tv/)において、4月6日放送分から、私の写真が紹介されることになりました。
毎回テーマを決めて写真を構成していくものです。
視聴者の皆様に喜んでもらえるよう、新旧の写真を合わせながら構成していきます。
状況説明として自分の撮った写真がテレビで使用された経験は何度もありますが、自分のコーナーとしてテレビで紹介されるのは初めての経験で、オファーがあった瞬間から頭の中はチューリップに球が入ったパチンコ状態、はじけたようなハイテンションになりました。
告白すると、昨日スキーに行ってしまったのですが、今日から心を入れ替えて仕事モード。
それにティレノ〜アドリアティコ第3ステージから取材に入るために3月14日に出国するので、現在写真の選択作業に追われています。
全力でぶつかりますので夜露死苦、じゃなかった、ぜひ見てください。

(たとえばこんな写真が入るかな)
風で思い出した
富山は強風で、ウチは被害がなかったけれど、トラックが6台もひっくり返ったらしい。
今日は今までのレース中に強風があったかなあと考えてみた。
ベルギーのクラシックでは横風が強いときはあるけど、台風並というのは経験したことがない。
それよりもジロ・ディ・イタリアでときどき橋脚の高い所を通過するが、ものすごい風が吹いているときがある。
そのジロで思い出した。
今から7、8年前かなあ。
横風がずっと強いステージがあって、集団が横に広がりっぱなしとなり、横をオートバイで通ることが全然できなかった。
モルテーニでメルクスの監督を務めたアルバーニ(そうそう、僕がちゃんとモルテーニと書いているのに、いつのまにかモルティーニなんて書かれていた雑誌があったけど、正しくはモルテーニですからね。僕のミラノの住まいは、そのモルテーニの旧工場から2kmくらいのところにあります)がレースディレクターなんだけど、10台くらい数珠繋ぎのフォトグラファーのオートバイをなんとか通過させようとはしてくれるのだけど、やっぱりスペースができなくて、とうとうゴールまでわずか数キロのところになってしまった。
そのとき、ロイター通信のオートバイが強引に横を通過。そして落車が起きた。
自分を含めた残りの全員は結局集団を追い抜くことができず、ゴール写真を撮ることができなかった。
集団を抜けずにゴールに行けなかったのは、このときが最初で最後だ。

翌朝、僕らはスタートに行かずに途中から合流したのだが、あるフォトグラファーが
「おいスタートが大変なことになってるぞ」と言い残して行ってしまった。
しばらくして分かったのだけど、昨日落車させられたマッシモ・ドナーティが
「砂田が転ばせた」と言っているらしいのだ。
僕もオートバイの運転手もぶち切れて、レース中にドナーティの横に行ってロイターがやったと潔白を主張。
ところがロイターの運転手は知らん顔で、
「俺はやっていない」と、完全なイタリア人になりきっている。
以降その運転手が大嫌いになり、その恨みは今も晴れていない。
もっともドナーティは単なる見間違いで、彼こそ被害者だ。
5年前に引退して今はパン職人になったと聞いている。
ウルリヒの引退 その2
ウルリヒの引退 その2
ウルリヒの引退はとても残念だったけど、驚きはしなかった。
そうなるのではないかと事前に報道されていたし、この時期になってチームが決まっていないとなると、やっぱり難しいからね。

思い起こせば、これまでの選手の引退でいちばん驚いたのは、やっぱりインドゥラインだったなあ。
ツールで5連勝した翌年の96年のツールが不調で11位に終わったけど(優勝はリース、そして2位はプロ2年目の天才・ウルリヒだった)、それでもアトランタ五輪TTで優勝している。
このシーズンの終わりにバネストとの契約が切れたが、オンセからなんと年俸10億円のオファーがあった!
僕はそのとき、なにかの取材でフランスにいたのだけど、キオスクで買ったレキップの第1面にこの記事がドーンと掲載されていてびっくりした。
今でこそアームストロングがこれを上回る額を稼いだが、当時としてはまさに天文学的数字だった。
引き合いに出されたのはF1やサッカー選手、それにボクシングのタイソンだったような気がする。

ミゲールはブエルタでもリタイアに終わっていて、この先どうするのか大きな注目だった。
そして記者会見の日だけが予告されていた。
その日は忘れもしない1997年1月2日(もう10年も経つか!)。
当時は今のような洗練されたインターネット環境がなく、いわゆるパソコン通信というコマンドを入れてつないでいくもので海外のニュースを読んだ。
そして静かなる大チャンピオン、ミゲール・インドゥラインが引退を選んだのを知って、身体から力が抜けた。

そのミゲール、ウルリヒのことを
「アームストロングよりも上ではなかったけど、下でもなかった」と評し、そして彼を引退させてしまった自転車界を「恥ずかしい」とまで言った。
93年の世界選アマロードで、メルクス以来19歳で世界チャンピオンになったウルリヒはまさに天才だった。
今日、その頃からの写真をスキャナーでスキャンしていて、懐かしいシーンが蘇ってきた。
(写真は93年の世界選アマロードの表彰式。中央が19歳の小僧・ウルリヒ)