2024-12-16
写真展終了しました
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2024-12-05
砂田弓弦全国巡回写真展@東京
砂田弓弦全国巡回写真展@東京
2024-11-24
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
フランス・ナショナルチーム監督はあと1年トマ・ヴォクレールに決まった。
選手としてのキャリアも申し分ないが、監督としてはアラフィリップの世界選2連勝や母国でのパリ五輪2位、3位など、これまた誰もが継続を願う成績だろう。実際にはいろんなプロチームから監督として迎え入れるオファーがたくさんあったにも関わらず、それを蹴っての継続だという。
選手としてのキャリアも申し分ないが、監督としてはアラフィリップの世界選2連勝や母国でのパリ五輪2位、3位など、これまた誰もが継続を願う成績だろう。実際にはいろんなプロチームから監督として迎え入れるオファーがたくさんあったにも関わらず、それを蹴っての継続だという。
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリア・ナショナルチームの監督(ただしイタリアではコミッサーリオ・テクニコ=技術代表とか専門委員と呼ばれる)は現在ダニエーレ・ベンナーティが務めているがパッとしない。そしてこのタイミングでアスタナの監督だったジュゼッペ・マルティネッリが手を挙げた。
そのキャリアは華々しい。アマ時代はモントリオール五輪で2位。9年間のプロ生活で白のステージ優勝3回、ブエルタ1回、それからミラノ〜トリノでの優勝経験も持っている。
引退翌年の1986年に監督となり、カレーラではキャプーチ、パンターニ、メルカトーネウーノではパンターニ、サエーコやランプレではシモーニとクネゴを、アスタナではアールやニバリらを率いた。このように選手としても監督としてもキャリアは申し分ない。さらに息子もクイックステップやアスタナで走ったプロ、娘は審判という自転車一家だ。
彼がベンナーティのポストに就くことを阻む理由はないだろう。
(写真は95ジロでキャプーチに指示を出すマリティネッリ)
そのキャリアは華々しい。アマ時代はモントリオール五輪で2位。9年間のプロ生活で白のステージ優勝3回、ブエルタ1回、それからミラノ〜トリノでの優勝経験も持っている。
引退翌年の1986年に監督となり、カレーラではキャプーチ、パンターニ、メルカトーネウーノではパンターニ、サエーコやランプレではシモーニとクネゴを、アスタナではアールやニバリらを率いた。このように選手としても監督としてもキャリアは申し分ない。さらに息子もクイックステップやアスタナで走ったプロ、娘は審判という自転車一家だ。
彼がベンナーティのポストに就くことを阻む理由はないだろう。
(写真は95ジロでキャプーチに指示を出すマリティネッリ)
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
ある監督が「あんまり強い選手が監督になってアシストクラスの選手にああしろ、こうしろと言ってもできないから、そんなに大した選手じゃなかったオレくらいが監督にはいいんだ」と言ってました。
だよねえ。昔ジモンディがアシストたちに「もっと前を走ってオレのそばについてくれ」と言ったらしいけど、アシストたちが
「おれたちはフェリーチェ・ジモンディじゃないんだ。そんなに前を走れない」と言ったらしいです(笑)。
この写真は2007年のツール・ダウンアンダーを走るベルギーのセルジュ・パウェルス。
ショコラーデ・ジャックというフランドルの小チームで走っていたんだけど、この大会でアタックして逃げに乗ったんですよ。
あとで僕のところに来て、申し訳なさそうに写真をくれないかというからプレゼントしてあげたんです。それ以降、仲良くなったんだけど、2009年のジロで良い走りをして目立ったんですよ。
その後、2015ツールでも13位に入ったりしてなかなかの選手になりました。ベルギーの新聞社からの依頼でポートレートを撮ったりもしました。
来シーズンからベルギー・ナショナルチームの監督に就任するというニュースに心が躍りました。
決してチャンピオンじゃなかったけど、逆にそれが良いと思うんですよ。性格もすごく良いしね。
だよねえ。昔ジモンディがアシストたちに「もっと前を走ってオレのそばについてくれ」と言ったらしいけど、アシストたちが
「おれたちはフェリーチェ・ジモンディじゃないんだ。そんなに前を走れない」と言ったらしいです(笑)。
この写真は2007年のツール・ダウンアンダーを走るベルギーのセルジュ・パウェルス。
ショコラーデ・ジャックというフランドルの小チームで走っていたんだけど、この大会でアタックして逃げに乗ったんですよ。
あとで僕のところに来て、申し訳なさそうに写真をくれないかというからプレゼントしてあげたんです。それ以降、仲良くなったんだけど、2009年のジロで良い走りをして目立ったんですよ。
その後、2015ツールでも13位に入ったりしてなかなかの選手になりました。ベルギーの新聞社からの依頼でポートレートを撮ったりもしました。
来シーズンからベルギー・ナショナルチームの監督に就任するというニュースに心が躍りました。
決してチャンピオンじゃなかったけど、逆にそれが良いと思うんですよ。性格もすごく良いしね。