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パンク
快晴だったので、朝から自転車に乗ってきた。
午後はミラノに行ってジロ終了後の帰国便の航空券を購入してきた。
そのとき、クルマのタイヤがパンク。今、ルノーのクリオを借りているのだが、タイヤ交換しようとしたら、新しいシステムになっていてタイヤを外すことができない。
イラストが書かれているけど、まったく理解不能だ。
2年前ほど前のツールでも同じクルマでパンクしたけど、ものの10分で終わったのに、なんでこんな複雑なことをやるのかまったく納得がいかない。
仕方がないので、借りたところに電話したら、ちょうどその人の兄弟がパンクした場所から1kmほどのところで修理屋をやっているという。
パンクしたままクルマを走らせていったところ、やっぱりスペアーを外すのに男2人がかかってもできない。
そのうちなんとか外れてタイヤ交換したのだが、今度はスペアータイヤの位置にパンクしたタイヤを戻すことができず、結局トランクにそのまま転がしてある。
もし、山の中で、あるいは雪の中でこんなことになったら、まったく大変なことになる(今日も大変だったけど)。
修理屋も「こんなクルマ、誰が作ったんだよ!」と憤慨していた。
新しいルノー、ちゃんとタイヤを外す練習をしてからじゃないと、乗ってはいけません。

夕方、ガゼッタから電話があって、「今度のパリ〜ルーベ、日本人が一人出るらしいけど、どんな選手が分からないから情報くれ」という。
怪我に気をつけて、がんばってくれ。
バルタリのテレビドラマその2
昨日、バルタリのドラマの後編が放送された。9時開始予定が、やはり15分ほど遅れた。
まずは第二次世界大戦で中断されていたジロが1946年に6年ぶりに再開。バルタリがコッピを押えて優勝する。
そしてその2年後のツール。前の年に再開されていたのだが、イタリアの選手たち(当時は国対抗)は敗戦しているので、惨めな思いでフランスに電車で入る。そこにジャック・ゴデ(ジャンマリー・ルブランの前の競技委員長)が温かく出迎える。そしてバルタリのところに、ルイゾン・ボベが挨拶に来る。

このツールは伝説の中の伝説、あまりに有名なんだけど、期間中にイタリアの共産主義指導者トリアッティが右翼に銃撃され、労働者の大規模なゼネストを引き起こした。そこにアンドレオッティ議員から電話が入って「今イタリアは、君のツールでの勝利が必要なんだ」と伝えるもの。
僕はこの部分を本で読んだけど、アンドレオッティではなく、デガスペリ首相からの電話と書かれていた。しかも、バルタリは敬語を使わずに、友人言葉で応対したと書かれているものもある。だけどテレビではちゃんと敬語を使っていた。まあ、いいか。

そして1959年、サン・ペッレグリーノのチーム監督となったバルタリは、コッピを選手として迎え入れる。コッピはジューリア・オッキーニと再婚したのだが、記者会見でこのことを新聞記者から突っ込まれ、頭を抱える。今でもそうなんだけど、イタリアでは離婚は法律が許しても、教会が許さないのだ。
そしてコッピがアフリカに狩猟に行って死去するのだが、番組もそこで終わる。
ちなみに、コッピの再婚相手との間にできた息子はときどきレース会場に来て(当然VIP扱い)僕はよくしゃべるのだが、写真が好きで、カメラにも詳しい。

昨日と今日のガゼッタはこの番組のことだけでそれぞれ1ページを割いた。
ドラマとして本当に良くできていたと思う。視聴率はコッピのドラマが流された1995年よりは低いが、昨日の同時間帯の人気番組よりも高い30%。
自転車競技の黄金時代、それはこのバルタリとコッピの時代だ。このテレビ番組を見て、当時の自転車競技の持つパワーが、いかに大きかったかあらためて感じた。
コッピとバルタリのような偉大な自転車選手が出ることは、もう二度とないだろう。

そうそう、昨日書いたバルタリとの会話なんだけど、バルタリが心臓の手術をした直後に「バルタリさん、体調はいかがですか」と尋ねたら「オレは最初からどこも悪くはなかったんだ。だけど医者がどうしても手術したいっていうから、させてやったんだよ」
バルタリのドラマ放映
昨夜、バルタリのドラマの前編が国営テレビRAI1で放映された。9時からの予定だったので、ビデオをセットして準備していたのに、クイズ番組が長引いてなかなか始まらない。結局9時20分ごろから始まった。イタリアのテレビはいつもこんな感じだ。

最初はサンレモでのデビューからだった。逃げているときに、ガゼッタのクルマが近づいて、「君の名前はバルターリか、バルタリか?」とジャーナリストが聞き、そのうちに他の選手に追いつかれるという有名な話がそのままだった。
名も無い新人にサンレモを勝たせるわけにはいかなかったのだ。
僕はこの辺のストーリーをこれまで何度も本で読んで知っていたけど、ドラマとはいえ、テレビで見ると感慨深いものがある。
「ああ、そうそう」「あっ、これ本で読んだ」という感じで、どんどんはまっていく。

イタリアの国営放送は当然コマーシャルも入っているのだけど(NHKがコマーシャルを流さず、それで経営がどんどん難しくなっていくのは、なんか時代遅れのアマチュアリズムを見ている思い)、クルマメーカーのスコーダがレースをモチーフにしたコマーシャルをやっていて、最後にツール・ド・フランス、それにランプレやミルラムのオフィシャルスポンサーになっているというロゴも映し出される。驚いた。

しかし、バルタリの兄弟もレース中に事故死したのは知らなかった。コッピと共通点があるんだなあ。
そのコッピは、最初バルタリのアシストだったけど、バルタリが落車している間、ジロで優勝してしまう。これはあまりに有名な話。
ドラマではそれまでコッピはバルタリに敬語を使っていたが、ジロで優勝してから友人間の言葉遣いとなる。だけどバルタリは監督のパヴェージに敬語を使っていた。
イタリアの歴史的なマッサージ師のステッファーノに聞いたんだけど、彼が小僧のときは、大選手のマーニにいつも敬語を使っていたと聞いたことがある。やっぱり本当だったんだなあ。今のレースでは考えられない。
アクセル・メルクスがポルティで走っていたとき、監督に向かって「スィニョール・スタンガ」と敬語で呼びかけたのを聞いたけど、あれはお父さんの教育だったのか…。

バルタリは良家の娘と結婚したが、式当日に義理の兄弟に召集令状が届く。バルタリは、正義感を持ってドイツ軍に陰で抵抗していく。ここでドラマは終わった。今夜続編がある。

ぼくはバルタリが生きていたとき、2度ばかり話をしたことがある。それはまた今度書こう。
サイクリング
今日からヨーロッパは夏時間となり、1時間早まった。
日本の雑誌の原稿書きも一段落し、空は晴れ上がったことだし、ミラノにいる日本の友人といっしょに2時間ほど走ってきた。
週末はだいたいレース現場にいるから、こうして休日に自転車に乗るというのは、めったにない。
まだちょっと寒いから、サイクリストの数は夏と比べると少ないけど、それでも幹線道路では1時間に数百人から千人くらいは通るのではないか。
山は行かなかったけど、久しぶりだからけっこう疲れた。
だけどこれがとても気持ちいい。
サイクリストにとって、この疲労感はホント病みつきになりますよね。

昨日セッティマーナ・コッピ・バルタリでクネゴが優勝したことを知った。
今年はまちがいなくジロの優勝候補、しかもその筆頭だろう。

今晩から2夜連続で、ジーノ・バルタリをモデルにしたドラマが放映される。
とても楽しみにしている。
ミラノより
ミラノより
今月の18日に八重洲出版から「イタリアの自転車工房物語」という本が出版されました。これはサイクルスポーツ誌に連載されていたものですが、取材当時のデータ等を再確認して訂正したものを1冊にまとめたものです。
僕の文章も写真もたいしたことはないのですが、とりあえずこれだけのところに足を運んだということは、まあ胸を張れるかなと思っています。
レースもそうなんですが、現場に行くのがまずは大変なわけで、事実、レースに行っていない今も、4月から始まるクラシック、さらにジロやツールのホテルや移動の手配でてんてこ舞いです。
書店や置いてくださっている自転車店、さらにジェイスポーツのオンラインショップなどでお買い求めください。
でも、実は僕もまだ現物を見ていないんですがね(笑)。
歯医者に行ってきた
昨日も歯が痛くて満足に食事ができなかった。だから今朝歯医者に電話して、もし空きがあったら今日やって欲しいといったが、予約でいっぱいなので無理とのこと。ああ、今日も辛いなあと思っていたら、携帯電話が鳴って、空きが出たから夕方に来ても良いとのこと。

イタリアで歯を治療するのは21年ぶり。
日本と違うのは、部屋に入るときも、治療用の椅子に座るときも靴は脱がない。医者が入ってきて、まず握手して挨拶するのも日本ではないこと。
それから日本だとちょっと治療するとすぐにうがいするのだが、これがけっこう休むことにもなっている。
ところが、ここにはうがい用の水がなく、ずっと治療し続けるので、あごがかなり疲れた。
治療した歯の奥で炎症が起きており、まずはかぶせてあった金属をとるのだが、これだけでもかなり楽になった。
レントゲンは僕の行きつけの日本の歯医者では別の部屋に入って撮り、あとから写真を見せてくれるのだが、ここでは椅子に座ったままで、それを別のところでパソコンの画面で見せてくれた。

家に戻ると、もう痛みはまったくなく、8万円も出すかいがあるなあと、しみじみ思った。
歯の痛いのだけはどうしようもない。
明日の朝9時に、再び歯医者に行く。

パンターニはジロ・デル・トレンティーノを直前になって欠場したことがあったが、歯の痛みが理由だった。
でもあとから本で知ったのは、そのときかなりコカイン中毒になっていたらしく、それが原因だったという。
歯医者
昨日はミラノのエージェントで仕事し、ついでにジロが終わってからの帰国便の予約や、ツールでのフランス国内線の切符の購入などもしてきた。
帰りになってガゼッタのジャーナリストから電話があり、ポッツァートの腕の入れ墨(日本ではタトゥーなんて言われだしているけど、僕らの年代からすれば<入れ墨>以外のなにものでもない)の日本語、なんて書いてあるか詳しく説明してといわれ、ちゃんと答えると、今日のガゼッタに言ったことがそのまま載っていた(借りを作ったからオレの写真をもっと使え!)。

ところで昼から急に歯が痛み出し、夜中になってがまんができず、鎮痛剤まで飲んだ。
朝になって知りあいに電話して、歯医者をいくつか紹介してもらうが、電話すると「予約でいっぱい」とか「今日は休み」とかで、もうどうでもよくなって、高いと言われていたところがとれたので行ってきた。
とはいえ、イタリアにいるのはあと1週間ほどだから、ちゃんとした治療ができない。だから抗生物質を飲んで、1ヶ月以上我慢して日本で治療するか、あるいはこっちでできるだけ治療をやって、残りを日本でやるかの選択を強いられた。
日本にいるいとこが歯医者なので相談して、結局後者を選んだ。だけど、わずか3日間のしかも中途半端な治療にも関わらず、なんと8万円強なのよ、これが。
こっちの歯医者にも保険が使えるところもあるらしいが、半年待ちなんて言う状態らしいので、事実上ほとんどの人がこうした個人医のところに行くという。
この金額にびびったが、背に腹は代えられず、サインしてきた。
それにしても治療の開始は明後日からと、もうこれがとことんイタリア式。
今日の食事も痛みをこらえながら、超スローペースで食べた。
モンテカルロより帰宅
サンレモが終わったら、すぐにアメリカのジャーナリストとモンテカルロに行き、コフィディスで走っているファラーと食事。
翌日、クレディ・アグリコルで走っているレイジンを交えてモンテカルロからニースのコル・デズに撮影にいった。(モンテカルロとニースはわずかの距離)。ここはパリ〜ニースにおいて数々のドラマが生まれた名所だ。
そこのカフェに入ってお茶を飲みながら取材をする。
フランスは自転車の文化が根付いている国だから、こうしたアメリカの無名の若い選手でも、フランスのプロチームのジャージを着て走っていると、振り返る人が多い。

ニースからモンテカルロにかけてはすばらしいところで、僕の究極の夢は、実はここに家を買うことである。
じっさい、自転車選手が何人もここに住んでいるからなんとなく現実味があるのだが、銀行にいくら入っていないとダメみたいな規則がある。その金額を聞くと、ため息が出るのである。

撮影が終わってイタリアとフランスの国境にある町ヴェンティミリアまで送ってもらい、電車でミラノに戻った。
電車はコンパートメントで、サンレモでベルギー人が乗り込んできた。
そのあと、イタリア人のきれいな女性が乗ってきた。
そのベルギー人はやたら女性に話しかけ、
「ベルギーからミラノ〜サンレモを見に来たんだ」という。
こんなうるさいじじいにからまれると嫌だから、僕は仕事がばれないようにしていた。
その女性、始めは愛そう良く受け答えしていたが、ベルギーのおやじがしつこく話しかけるのに閉口して本を読み始めた。
だけど途中に一度
「私も自転車ファンなのよ」と言ったとき、思わず自分の仕事を言おうかなと思ったが、おやじがしつこいので、何も言わなくて良かった。
ヴェンティミリアからミラノまで、おやじに昨日の画像が見えないようにしながら、もくもくとパソコンの中の写真を整理してきた。
クロアチアより帰宅
ティレノ〜アドリアティコが終わったのは火曜日。写真を電送し終えてプレスルームを出たのが5時。それから700km走ってクロアチアに行った。
さすがの携帯用カーナビも、クロアチアの地図が入っていないので、夜中の12時にもかかわらず迎えに来てもらった。
それから翌日から2日間は日本鋪道の写真を撮りまくって、現地で写真を納品。
今日の朝3時半に起きて、ミラノまでの道のり500kmを走ってきた。
午後はミラノに行って明日のミラノ〜サンレモの大会受付をする。
距離が300kmのレースだから、スタートはなんと9時15分とめちゃくちゃ早い。
オートバイの運転手の家に朝7時に行くから、明日はまた5時半起きだ。
91年に取材できなかったけど、90年からこれで16回目の取材となる。
大会が終わると、すぐにフランスに行って選手の撮影をし、日曜日に帰ってくる。
はっきり言って、もうクタクタだ。
サン・ベネデット・デル・トロントから
昨日はとても3月とは思えないような寒さで、オートバイからの撮影は厳しかった。
前日のタイムトライアルのときに、寒さで指がかじかんできたので、メーカーに務める友人に電話して選手がはめる冬用の長指の手袋を恵んでもらった。
それが大助かりで、昨日もこの手袋がなかったら、まず撮影はできなかった。

ここ数日は時間がなく、あまりまともなものを食べていなかったから、昨夜はちゃんとしたものを食べたけど、メインの付け合わせに頼んだ茄子の焼いたものに、生ニンニクがどっさりのっていたから、今はあまり人に近づけない状態。

今日はティレノの最終ステージで、これが終わったらすぐにクロアチアに行って、日本鋪道の撮影がある。いったいここから何キロあるのか心配!
そのほか打ち合わせなどもあり、土曜日のミラノ〜サンレモまで大忙し。
しかもミラノ〜サンレモ終了後に、フランス在住の選手の撮影(だれかまだ聞いていない。ヴィノクロフだったらうれしいんだけど)をアメリカの雑誌から頼まれていて、まっすぐ家には戻れない。
加えてスペインのカタルーニャでのレースがキャンセルとなったせいで、イタリアで来週から始まるコッピ・バルタリに有力選手が集まるという噂が流れている。
これに行くとなると、4月の北のクラシックまで休みはほとんどない。
そのクラシックは4月1日からホテルで23連泊。ホテルでの宿泊が今年も150日を越えそうだ。
毎日悪天候
毎日悪天候
昨日のタイムトライアル、出足は好天だったが、やがて雨が降り出し、一時は雹も降った。
もう寒くて寒くて…。
プレスルームで写真を送り終えて帰る頃には本格的な雪が降り出した。チェーンを持ってこなかったから心配になったほど。
今日の第6ステージの山岳は降雪のためにコースが変更された。
今日は今回初めてオートバイで撮影するのだけど、ホテルにいる今すでに寒い。修業のような1日が待っている。

ところで3月18日に八重洲出版から本が出されます。ジェイスポーツのオンラインショップでも買えます。
ベッティーニがリタイア!
朝100kmほど移動してアヴェッツァーノに向かう。ところがスタートは冷たい雨。昨日は雪も降ったと言う。
リーダーのベッティーニは別の地点に移動してのスタートを訴えたらしいが、こんなもんで距離を短縮していたら、レースは成り立たないし、スポンサーがますますつかないよ。
僕は何も撮らずにゴールにきたが、スタートとは打って変わっていい天気。
そのベッティーニは集団落車に巻き込まれてリタイアしたというニュースがプレスルームに飛び込んできた。ミラノ〜サンレモまで回復するだろうか…。
ティレノ〜アドリアティコ
イタリアの食事にハズレはめったにないけど、今泊まっているティヴォリのホテルのご飯は最悪で、今晩から外に食べに行くことに。
朝ご飯もひどいもので、がっかりしながらスタートに向かうが、ティヴォリの道の混雑はこれまたひどく、昨年のステージもチームの到着が遅れて、スタートも遅れたほどだった。
幸い、警察が露払いをやってくれたおかげで、僕らはこのうしろについて何とかスタートに到着。日本の警察がこんなことをやってくれるなんて、100年経ってもあり得ないだろう。
スタートで、マキュアンからオーストラリアのライド誌の表紙の写真を誉められてご機嫌でコースをクルマで回る。
山岳賞地点で構えるが、なんとカメラにエラーが起きて、後半撮れないはめに。このカメラを使って3年目だが、初めての出来事。だけど、このあとはいつも通りに動いたので、まず安心。
ベッティーニが第1ステージを制した。上りゴールの集団スプリントでは、フレイレかこのベッティーニだ。
今、プレスルームで写真の電送中。腹減った。レース中は昼ご飯をほとんど食べないのだが、シーズン最初は胃がまだ慣れないのだ。
ジロ・デッラ・プロヴィンチャ・ディ・ルッカ
朝5時半に家を出て、クルマでジロ・デッラ・プロヴィンチャ・ディ・ルッカに向かった。
昨日からパリ〜ニースも始まったけど、実際のところ、ヨーロッパでの最大の関心はミラノ〜サンレモだ。
となれば、優勝候補筆頭のペタッキとツァベルが出るティレノ〜アドリアティコの方が興味深い。僕は数年前までパリ〜ニースにも行っていたけど、今年はこのルッカとティレノを取材する。
パリ〜ニースの方が有名と思っている日本の人が多いけど、近年のサンレモでの勝者を見ると、ティレノの方が重要になってきていると思う。

さて昨日、ルッカのコース確認のためにガゼッタに電話したら、去年と違うと言われた。来てみたらとんでもない山奥で、カーナビがあるから到着できたものの、もしなかったらきっと迷ったと思う。
快晴だが、風が強い。熱は収まって、本調子に戻った。
だけど、新しいジャージにとまどい、分からないチームすらあった。
まだレースは終わっておらず、これはプレスルームで書いている。
ミラノから
ミラノから
丸一日寝ていたおかげで熱は収まり、明日からの準備に取り掛かった。
外に出ると、「もうすぐミラノ〜サンレモだね」と、人に会うたびに言われる。
イタリアではミラノ〜サンレモのステータスはすごく高い。
ペタッキが勝って泣いた唯一のレースでもある。
発熱
昨日、マルペンサからミラノまでの道が渋滞していて、いつも以上に時間がかかった。
ようやく寝ることができたが、布団の中で、なにやら悪寒がする。
体温計で計ってみると、38度の熱が。
だから今日のミラノ〜トリノは行かずに、家で安静にすることにした。
きっと、心労のせいだと思う。
出国
これからイタリアに向けて出国します。
昨日出版社と打ち合わせがあり、新しい本が正式にGoとなりました。
まずはジロのあとと、ツールのあとになります。
今回はかなり強力な体制となります。
まだ名前は発表できませんが、またイタリア語になる予定です。
さらなる応援、よろしくお願いします。