2024-12-16
写真展終了しました
写真展終了しました
2024-12-05
砂田弓弦全国巡回写真展@東京
砂田弓弦全国巡回写真展@東京
2024-11-24
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
モゼール vs サロンニ
僕がこの仕事を始めた頃、モゼールはすでに引退し、サロンニもすでに全盛期を過ぎていたが、両者の残したものはあまりに大きかった。
サロンニは
「バールでコーヒーを飲みながら、モゼールとサロンニの話になった時代だった」と。
今、バールで自転車の話をすることはおそらくないだろう。
それどころか、イタリアにワールドツールのチームがないのである。
https://video.gazzetta.it/video-moser-saronni-la-nostra-rivalita-sana/cac00898-3c44-11ed-a044-44bf9c01899c?vclk=home_generico
サロンニは
「バールでコーヒーを飲みながら、モゼールとサロンニの話になった時代だった」と。
今、バールで自転車の話をすることはおそらくないだろう。
それどころか、イタリアにワールドツールのチームがないのである。
https://video.gazzetta.it/video-moser-saronni-la-nostra-rivalita-sana/cac00898-3c44-11ed-a044-44bf9c01899c?vclk=home_generico
引退ラッシュ
ブエルタ・ア・エスパーニャで、今シーズン限りで引退するバルベルデとニバリが、選手たちの前でセレモニーをやっている写真を見て感激した。
数日前、ベルギーの出版社から、フィリップ・ジルベールの本を出すのでこの写真を買いたいと連絡があった。
ロンバルディーアで落車・リタイアしたときだ。
ボーネンと共にベルギーを牽引した彼も今シーズンで引退。
一気に世代交代が進む。
数日前、ベルギーの出版社から、フィリップ・ジルベールの本を出すのでこの写真を買いたいと連絡があった。
ロンバルディーアで落車・リタイアしたときだ。
ボーネンと共にベルギーを牽引した彼も今シーズンで引退。
一気に世代交代が進む。
オーストラリアで始まる世界選
もうすぐオーストラリアで始まる世界選。
イタリアの専門誌BSが報じたところによると、アイルランドが資金不足のために参加を断念。これに続き、デンマークはジュニアを派遣しないことを発表。
さらにスペインも資金不足で参加を見合わせる可能性が出ていることを報じている。
資金が枯渇している連盟は少なくないようだ。
イタリアの専門誌BSが報じたところによると、アイルランドが資金不足のために参加を断念。これに続き、デンマークはジュニアを派遣しないことを発表。
さらにスペインも資金不足で参加を見合わせる可能性が出ていることを報じている。
資金が枯渇している連盟は少なくないようだ。
ジャンニ・メラヴィリア
イタリアのコミッセール、ジャンニ・メラヴィリアが亡くなった。
すべてのグランツールやクラシックでチーフコミッセールを務めた経験を持っている。
またツール・ド・フランスで優勝したフロイド・ランディスから薬物陽性反応が出て即刻優勝が取り消されたが、彼が医務を務めていた。
メラヴィリアについて、もう書ききれないくらいの思い出がある。
ブエルタ・ア・エスパーニャのオーガナイザーのおバカなやり方をチーフコミッセールの彼に訴えたら、
「なにかあったらオレが許すと言ったと説明しろ。みんな俺のことは知っているから」と言った時には、吹き出しそうになったこともある。
レースで何度も叱られたが、憎めない人だった。
とにかく僕にとっては90年代から2000年代の古き良き時代に活躍した一人である。
最後にチーフコミッセールとして彼をみたのは、何年か前のツール・デ・フランドルだった。
すべてのグランツールやクラシックでチーフコミッセールを務めた経験を持っている。
またツール・ド・フランスで優勝したフロイド・ランディスから薬物陽性反応が出て即刻優勝が取り消されたが、彼が医務を務めていた。
メラヴィリアについて、もう書ききれないくらいの思い出がある。
ブエルタ・ア・エスパーニャのオーガナイザーのおバカなやり方をチーフコミッセールの彼に訴えたら、
「なにかあったらオレが許すと言ったと説明しろ。みんな俺のことは知っているから」と言った時には、吹き出しそうになったこともある。
レースで何度も叱られたが、憎めない人だった。
とにかく僕にとっては90年代から2000年代の古き良き時代に活躍した一人である。
最後にチーフコミッセールとして彼をみたのは、何年か前のツール・デ・フランドルだった。