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スプリング・クラシック終了
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュが昨日終わり、そのままリエージュにもう一泊。昨日の初夏のような陽気とはうってかわり、今日は雨だ。
パリのドゴール空港でレンタカーを乗り捨て、今はこの日記を空港で書いている。
夜8時のANA便に搭乗する。ジロの取材で出発するのが5月9日で、それまで家で過ごすつもりだ。
イタリアの家には、ジロの用意がもう整っている。
第1ステージのパレルモにはアリタリアで行く予定だけど、それまで倒産しませんように。
ドイツから
フレーシュ・ワロンヌが終わり、ドイツのケルンに2日間の予定で来てる。
レースがあるわけじゃないけれど、ドイツの家具を見たかったのが第一の目的。
デザイン優先のイタリアの家具よりも、多少は体のことを考えて作られている気がするドイツのものの方が昔から好きだ。

今朝は朝4時半に目が覚めてしまい、レキップの記者フィリップ・ブルネールの書いたパンターニの本を読んだ。
フィリップとは数日前、ランプレの撮影のときにいっしょに食事をした。
本はちょうどマドンナ・ディ・カンピリオの失格事件のところでクライマックス。読むのを止めることができない。
もう9年も経つのに、あの日のことははっきりと覚えている。
この日ガゼッタにつく雑誌のグラビアで、僕の写真がたしか6ページだか8ページあった。一人のカメラマンが撮った写真がこれだけグラビアに使われるのは珍しく、鼻が高かった。
にもかかわらず、誰からも声をかけられなかった。パンターニのヘマトクリットがオーバーしたことで、会場が騒然となっていたからだ。
フィリップはよく取材していて、僕が以前カステッラーノ(ジロの前のボス)から聞いたカンナヴォ(ガゼッタのボス)がシェービングクリームを顔につけたままベッドに座り込んだことも、やっぱりそのとおり書かれていた。
パンターニがマドンナ・ディ・カンピリオのホテル・トゥーリングから出てくるところの描写は、僕の写真を見て書いたのだと思う。写真通りの描写だから。
僕の写真がレキップマガジンに使われたことがあり、レキップにこのときの写真はないのだろう。

昨日のガゼッタで、またまた自分の写真が他のカメラマンの名前で出ていた。忠告すること今年で早くも3回目。他のカメラマンが「自分の写真に名前が入っていなかった。だけど他のやつの名前で出るよりはいい」と笑われた。
休日出勤?
休日出勤?
アムステル・ゴールド・レース終了後に送れなかった残りの半分の写真を今朝送った。
ちょうど全部送り終えたところでガゼッタから電話があり、クネゴのホテルに行ってくれという。
すぐにランプレの広報担当者と連絡を取ってスケジュールを打ち合わせ、クルマを出して約30km離れたホテルに向かった。
今日も比較的いい天気で、ホテルに行くときはそのクネゴをはじめ、たくさんの選手が昨日の疲れを取るための軽いトレーニングをしているのを見た。
ホテルで待つこと約1時間。メカニックや広報担当者といろんな話をして時間をつぶした。
やがて選手たちが帰ってくると、注文つけていくつかの写真を撮った。
笑える写真だったので、スタッフもデジカメを持ち出して撮っていた。
そのあと主要なジャーナリストが集まってきて、クネゴの記者会見となった。
ランプレのおごりで昼食も食べ、自分の泊まっているホテルに戻ってからさっき撮った写真を送った。
今その仕事が全部終わり、昼に飲んだ赤ワインも効いてぐったり。
アムステル・ゴールド・レースに到着
今日、約900km運転してアムステル・ゴールド・レースの受付をした。
イタリアからオランダまでほとんど雨だった。
会場で、フランスのセドリック・ヴァスールと長々と問題を話し合った。
僕はこれまで2度ばかり彼の個人的な撮影をしたことがあるから知っているのだ。
彼は昨年のツールで区間優勝をしたり、97年のツールでも区間優勝をして、マイヨ・ジョーヌを5日間着ているが、昨年限りで引退し、今はプロ選手会の会長を務めている。
今、問題となっているのは選手たちがつけている無線機を禁止しようという動きがツールであるのだ。元々人間がやるレースで無線機はいらんだろうという意見もあったのだが、とくに監督たちはほぼ全員が必要だと言っているらしい。
選手たちの意見は賛成半分、反対半分に割れているという。
ヴァスール個人は禁止に賛成。理由は人間が行うスポーツだから。僕は同じ理由でツールに限らず、全レースで廃止に賛成だ。
この言い出しっぺはフランスのテレビなのだが、実はヘルメットの廃止も唱えているという。
着用が義務化されて久しいが、報道側にとってはヘルメットとサングラスは顔が見えず、ヴァスルール曰く「まるでロボット」。
まあ、安全性も無視はできないので、せめて数年前のように最後の上りだけでも外していいことにすべきだとヴァスールは考えているらしい。
なんであの規則がなくなったか彼もよく知らない。
僕が人から聞いた所によると、最後の上りが10km以上だったら外していいのに、じゃあ9kmだったらなぜだめなのという疑問が残ることと、観客がヘルメットを持って行ってしまうことも原因のひとつ。
これをヴァスールに言うと、
「ヘルメットなんて5ユーロほどだろう」と、さすが選手、値段を知らない(僕も知らないけど)。
まあとにかく、自転車競技の人気の落ち込みを救うには、なにかしら手をうたないとだめなことは確かだ。
明日、北のクラシック後半戦に出発
ディルーカが無罪となったことは、テレビのニュースで何度も報道された
だけど、すでにリエージュ〜バストーニュ〜リエージュに招待しないことをASOは決定している。昨年の勝者にもかかわらずだ。
昨年の世界選、ロンバルディーア、そして今回のリエージュに参加できなかったことは、いくら無罪を勝ち取ったはいえ、彼にとって大きな損失だ。
そしてなにより、リクイガスや勧誘していたその他の複数のチームとの契約を失ってしまったことが最大の犠牲だろう。
ガゼッタは今日もディルーカのことを報じているが、僕の写真を使ったのに 他のカメラマンの名前になっていて、さっそく連絡を入れておいた。
明日から北のクラシック後半戦に向かう。
最後のリエージュが終わったら、1ヶ月半ぶりに帰国する。
日本での滞在は1週間。
そのあとジロに向かうから、ミラノの家にいったん戻るまでの15日分の衣類の入った鞄をクルマの運転手に渡してきた。

ところで家に昔のリラのお札が出てきて、昨日イタリア銀行に行ってきた。
ところが営業は午前中だけだという。
相変わらずこうした国営のところはひどい状況だ。
半国営のアリタリアは毎日1億円の赤字を出し続けており、すでにエールフランスからの統合話も決裂している。
ジロのスタートであるパレルモにはアリタリアでいくが、それまで倒産することはないとは思う。
だけど、秋のパリ〜トゥールのチケットはすでにアリタリアで購入済み。これが紙切れにならないか、ちょっと心配している。
ミラノ到着
ミラノ到着
昨日はモンテカルロに住んでいるレンショー(クレディ・アグリコル)とマッギー(CSC)の家に行って取材をしてきた。
ミラノまでの道路が工事をしていたこともあって、到着したのが夜10時半だった。
今日は洗濯機を3度回して10日間分の衣類を洗濯している。

4月23日頃、チクリッシモ第8号が発売になります。
選手名鑑でクネゴが3大ツールすべてを走る可能性があると書きましたが、ジロには出場せず、ツールに目標を定める公算が強くなりました。
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昨日まで宿泊していたホテルはインターネットが無料ということでなにぶん便利だった。
今日は近くの定宿に移動した。ここはインターネットが有料なんだけど、もう何年も連続で来ているからすっかり顔見知りだ。
昨夜はリクイガスの中野君のところに遊びに行き、ビールを飲んで楽しい夜を過ごした。
彼によると、ベルギーは自転車が盛んだから、無料でプロチームを泊めてくれるホテルがいっぱいあるというから驚きだ。
う〜ん、うらやましい。
誰かジロやツールで僕の鞄を運んでくれる人がいたら大助かりなんだけど。もちろんガソリンもクルマもホテルもあなた持ち。メリットはレースが間近で見られること。どうですか?

明日はコンピエーニュに電車で移動して、パリ〜ルーベの受付。夜はいつもお世話になっているレンツィさん宅におじゃまさせてもらうことになった。

今のところ、風が強いけど、天気はいい。日曜日はどうだろう?
ヘント〜ウェヴェルヘム終了
ヘント〜ウェヴェルヘム終了
ヘント〜ウェヴェルヘムが終わり、今はホテルに戻って仕事している。
ちょっと寒かったけど、天気はよかった。
スタート直後から高速の展開で、落車がいくつか起きた。
最初の落車なんか、選手にけがはないのに、フロントフォークが真ん中でまっぷたつ。初めて見た。普通折れないよね。

遅いスピードで一回落車が起きたけど、いいメンバーが巻き込まれた。
僕はフランドルで優勝したばかりのデヴォルデルを撮りにいったけど、そこにメカニックが走ってきてプッシュしたので後ずさりしたら、後ろにいたカンチェッラーラにぶつかった。
彼のヘルメットに「スパルタクス」と書いてあって、そのことで数分前に彼と走りながら話をしたばかりなのに、イタリア語の罵声が飛んできた。顔を見ないで言ったのだと思うけど、周りのカメラマンが
「砂田がやった!」
「おめでとう!」だのと笑っている。
後輪にぶつかったから、走りながらメカニックに変速機を直してもらっていた。
だけど、自転車にぶつかったくらいで罵声じゃ、我がアイドルのミゲールや、ツール7連覇のランスに比べりゃ、まだ青いよな。

ゴールしたら現場にいなかったカメラマンが
「プレスルームで砂田がカンチェッラーラを落車させたと話題になっていたぜ」という。
「落車なんかさせていないよ」と言ったけど、しかしこのマッハのようなスピードで話が伝わるのはいったいなんなの。
IT時代を実感した。

写真:目の前の惨事を笑うデヴォルデルとメカニック。地面に写るレンズの影が痛々しい。
北のクラシックにどっぷり
3日前の土曜日にイタリアの家を朝4時に出発。
ブルージュまでの1,000kmの道を11時間かけて到着。
昔は10時間でついたような記憶があるが、この北のクラシックに行くのにスイスで2年連続スピード違反で捕まっているだけに、急げないことも原因。
それから僕らの仕事は写真を撮る以外に、この移動と宿泊が大きな割合を占めているのだけど、歳とともに辛くなって行く。
ミラノ〜サンレモでイタリアのベテランフォトグラファーと「年々仕事が辛くなって行くよなあ」と意見が一致。
若いときだったら飯も食わずに仕事もできたけど、40代後半となればそこまでする気力はなくなっていく。
だけどこれってある意味正常なことだよね。

数日前から天気予報は「フランドル当日は悪天」とのこと。
だけど大会当日、ホテルの外はすっきり晴れている。
だけど寒いから重装備で行った。
スタート後、いつもみんなで行くカフェに寄るが、休みだ。
そこで近くにあるカフェに移動。4年前にドーピングで引退した選手がやっている。ロットやコフィディスで走り、ベルギー代表で世界選を何度も走っている。
外は暖かく、予想外の展開だ。
ところがそこを出て最初のパヴェに行く頃からおかしくなり、そのあとは雪や雹が降った。
プレスルームで写真を送り、そのあとホテルでも夜遅くまでやるが、アップロードしたとたんにクライアントがダウンロードするという状況。みんなフランドルの写真を待っているのだ。

仕事はまだ残っていたものの、昨日は朝早くからASO主催のパリ〜ルーベのコース下見に随行した。
石畳をほぼ全部走ったけど、まあ筆舌に尽くしがたい状況です。
途中、式典もあってホテルに戻ったのは夜7時半。
そこから夜1時までかかってフランドルの写真をアップした。
北のクラシックの期間は、僕も仕事漬けです。まあこのレースだけじゃないけど。
セッティマーナ・ロンバルダ
セッティマーナ・ロンバルダ
今日はセッティマーナ・ロンバルダの第4ステージに行ってきた。かつてはセッティマーナ・ベルガマスカと呼ばれ、ベルガモ周辺で行われるステージレースだ。
日本からはニッポの真鍋と井上が出場している。
家から一時間くらいでスタートに到着。
快晴で、山の頂上のレストランで食事をとりながらの撮影だった。
ゴール勝負はなんとディルーカがとった。
アナウンサーは「彼のキャリアで初めて」と叫んでいたけど、ブエルタで同じようにゴール勝負を制したこともある。
アナウンサーは「イタリアはディルーカを愛しています」と繰り返していた。
観客もご覧の通り、「イタリア五輪委員会こそ薬物中毒者」と抗議していた。
ミラノから
トラックの世界選手権から帰ってきたら、なんだか喉がおかしい。
「あれ、もしかして風邪?」と思っていたら、翌日から鼻水とくしゃみが出るようになった。
マンチェスターではなにも無理していないのに(ああ、仕事はものすごくハードだったけど)、これはやっぱり野菜と果物をほとんどとれなかったことが原因じゃないかなあ。
でも今日はミラノに出て写真エージェントの友人と食事してきた。朝に風邪薬をのみ、食事でビールを2杯飲んだらすっかり眠たくなった。

トラックの世界選でガゼッタの締め切りが早くなったと思ったら、4月1日からフォーマットが小さくなり、日本の夕刊フジくらいの大きさになって、写真がオールカラーとなった。
そのガゼッタは今、ヴァレンティーノ・フォイスの死因を連日大きく報道している。
今シマノにいる阿部と1996年にパナリアに入った。
ただし、このパナリアはチームの母体で言えば今のランプレにあたる。
パナリアは翌年マペイと合併し、本当にスーパースター揃いのチームとなる。
このとき僕はミラノの中央(今はジロ最終日のプレスルームとして使われている)で行われたチームプレゼンテーションに行ったけど、ブーニョ、ムセーウ、ターフィ、バッレリーニ、トンコフ、ザニーニ、スティールス、それからヴァンデンブルック…。こんなすごいチームは少なくとも僕がこの仕事を始めた後にも先にもなかった。この中に翌年に世界チャンピオンをとるスイスのカメツィントもいたけど、隅の方で小さくなっていたくらいだ。ここに阿部とフォイスがいたのである。
フォイスはアマのときにたしか沖縄のレースに来ており、そのあと僕に「また日本に行ってみたいから、出場方法を教えてくれ」と言っていた。
だけど、その後は薬物中毒者となり、去年は新聞社にコンピューターを盗みに入って逮捕されている。
代理人をやっているトンコフの助けで今年6年ぶりにアモーレ・エ・ヴィータから復帰した。
それが先日、自宅で遺体で発見されたのだ。
死因はまだ分からないけど、コカインの過剰摂取か、自殺との見方が強い。
選手時代から高級車を次々と乗り換えるなど、はちゃめちゃな人生だったけど、その顔をずっとプロトンで見ていただけにとても残念だ。