Diary Only japanese
最新のDiary
2024-12-16
写真展終了しました
2024-12-05
砂田弓弦全国巡回写真展@東京
2024-11-24
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
過去のDiary

2024年12月

2024年11月

2024年10月

2024年09月

2024年08月

2024年07月

2024年06月

2024年05月

2024年04月

2024年01月

2023年12月

2023年11月

2023年10月

2023年09月

2023年08月

2023年06月

2023年04月

2023年03月

2023年02月

2023年01月

2022年12月

2022年11月

2022年10月

2022年09月

2022年08月

2022年07月

2022年06月

2022年05月

2022年04月

2022年03月

2022年02月

2022年01月

2021年12月

2021年11月

2021年10月

2021年09月

2021年08月

2021年07月

2021年06月

2021年05月

2021年04月

2021年03月

2021年02月

2021年01月

2020年12月

2020年11月

2020年10月

2020年09月

2020年08月

2020年07月

2020年06月

2020年05月

2020年04月

2020年03月

2020年02月

2020年01月

2019年12月

2019年11月

2019年10月

2019年09月

2019年08月

2019年07月

2019年06月

2019年05月

2019年04月

2019年03月

2019年02月

2019年01月

2018年12月

2018年11月

2018年10月

2018年09月

2018年08月

2018年07月

2018年06月

2018年05月

2018年04月

2018年03月

2018年02月

2018年01月

2017年12月

2017年11月

2017年10月

2017年09月

2017年08月

2017年07月

2017年06月

2017年05月

2017年04月

2017年03月

2017年02月

2017年01月

2016年12月

2016年11月

2016年10月

2016年09月

2016年08月

2016年07月

2016年06月

2016年05月

2016年04月

2016年03月

2016年02月

2016年01月

2015年12月

2015年11月

2015年10月

2015年09月

2015年08月

2015年07月

2015年06月

2015年05月

2015年04月

2015年03月

2015年02月

2015年01月

2014年12月

2014年11月

2014年10月

2014年09月

2014年08月

2014年07月

2014年06月

2014年05月

2014年04月

2014年03月

2014年02月

2014年01月

2013年12月

2013年11月

2013年10月

2013年09月

2013年08月

2013年07月

2013年06月

2013年05月

2013年04月

2013年03月

2013年02月

2013年01月

2012年12月

2012年11月

2012年10月

2012年09月

2012年08月

2012年07月

2012年06月

2012年05月

2012年04月

2012年03月

2012年02月

2012年01月

2011年12月

2011年11月

2011年10月

2011年09月

2011年08月

2011年07月

2011年06月

2011年05月

2011年04月

2011年03月

2011年02月

2011年01月

2010年12月

2010年11月

2010年10月

2010年09月

2010年08月

2010年07月

2010年06月

2010年05月

2010年04月

2010年03月

2010年02月

2010年01月

2009年12月

2009年11月

2009年10月

2009年09月

2009年08月

2009年07月

2009年06月

2009年05月

2009年04月

2009年03月

2009年02月

2009年01月

2008年12月

2008年11月

2008年10月

2008年09月

2008年08月

2008年07月

2008年06月

2008年05月

2008年04月

2008年03月

2008年02月

2008年01月

2007年12月

2007年11月

2007年10月

2007年09月

2007年08月

2007年07月

2007年06月

2007年05月

2007年04月

2007年03月

2007年02月

2007年01月

2006年12月

2006年11月

2006年10月

2006年09月

2006年08月

2006年07月

2006年06月

2006年05月

2006年04月

2006年03月

2006年02月

2006年01月

2005年12月

ウルリヒの引退 その2
ウルリヒの引退 その2
ウルリヒの引退はとても残念だったけど、驚きはしなかった。
そうなるのではないかと事前に報道されていたし、この時期になってチームが決まっていないとなると、やっぱり難しいからね。

思い起こせば、これまでの選手の引退でいちばん驚いたのは、やっぱりインドゥラインだったなあ。
ツールで5連勝した翌年の96年のツールが不調で11位に終わったけど(優勝はリース、そして2位はプロ2年目の天才・ウルリヒだった)、それでもアトランタ五輪TTで優勝している。
このシーズンの終わりにバネストとの契約が切れたが、オンセからなんと年俸10億円のオファーがあった!
僕はそのとき、なにかの取材でフランスにいたのだけど、キオスクで買ったレキップの第1面にこの記事がドーンと掲載されていてびっくりした。
今でこそアームストロングがこれを上回る額を稼いだが、当時としてはまさに天文学的数字だった。
引き合いに出されたのはF1やサッカー選手、それにボクシングのタイソンだったような気がする。

ミゲールはブエルタでもリタイアに終わっていて、この先どうするのか大きな注目だった。
そして記者会見の日だけが予告されていた。
その日は忘れもしない1997年1月2日(もう10年も経つか!)。
当時は今のような洗練されたインターネット環境がなく、いわゆるパソコン通信というコマンドを入れてつないでいくもので海外のニュースを読んだ。
そして静かなる大チャンピオン、ミゲール・インドゥラインが引退を選んだのを知って、身体から力が抜けた。

そのミゲール、ウルリヒのことを
「アームストロングよりも上ではなかったけど、下でもなかった」と評し、そして彼を引退させてしまった自転車界を「恥ずかしい」とまで言った。
93年の世界選アマロードで、メルクス以来19歳で世界チャンピオンになったウルリヒはまさに天才だった。
今日、その頃からの写真をスキャナーでスキャンしていて、懐かしいシーンが蘇ってきた。
(写真は93年の世界選アマロードの表彰式。中央が19歳の小僧・ウルリヒ)
« prev | next »