Diary Only japanese
最新のDiary
2024-01-22
忘れられない撮影
2023-12-21
今年もあとわずか
2023-11-24
写真展が始まっています
2023-10-25
スペシャライズドのイベントで撮影
2023-10-24
クネゴから聞いた驚愕の話
過去のDiary

2024年01月

2023年12月

2023年11月

2023年10月

2023年09月

2023年08月

2023年06月

2023年04月

2023年03月

2023年02月

2023年01月

2022年12月

2022年11月

2022年10月

2022年09月

2022年08月

2022年07月

2022年06月

2022年05月

2022年04月

2022年03月

2022年02月

2022年01月

2021年12月

2021年11月

2021年10月

2021年09月

2021年08月

2021年07月

2021年06月

2021年05月

2021年04月

2021年03月

2021年02月

2021年01月

2020年12月

2020年11月

2020年10月

2020年09月

2020年08月

2020年07月

2020年06月

2020年05月

2020年04月

2020年03月

2020年02月

2020年01月

2019年12月

2019年11月

2019年10月

2019年09月

2019年08月

2019年07月

2019年06月

2019年05月

2019年04月

2019年03月

2019年02月

2019年01月

2018年12月

2018年11月

2018年10月

2018年09月

2018年08月

2018年07月

2018年06月

2018年05月

2018年04月

2018年03月

2018年02月

2018年01月

2017年12月

2017年11月

2017年10月

2017年09月

2017年08月

2017年07月

2017年06月

2017年05月

2017年04月

2017年03月

2017年02月

2017年01月

2016年12月

2016年11月

2016年10月

2016年09月

2016年08月

2016年07月

2016年06月

2016年05月

2016年04月

2016年03月

2016年02月

2016年01月

2015年12月

2015年11月

2015年10月

2015年09月

2015年08月

2015年07月

2015年06月

2015年05月

2015年04月

2015年03月

2015年02月

2015年01月

2014年12月

2014年11月

2014年10月

2014年09月

2014年08月

2014年07月

2014年06月

2014年05月

2014年04月

2014年03月

2014年02月

2014年01月

2013年12月

2013年11月

2013年10月

2013年09月

2013年08月

2013年07月

2013年06月

2013年05月

2013年04月

2013年03月

2013年02月

2013年01月

2012年12月

2012年11月

2012年10月

2012年09月

2012年08月

2012年07月

2012年06月

2012年05月

2012年04月

2012年03月

2012年02月

2012年01月

2011年12月

2011年11月

2011年10月

2011年09月

2011年08月

2011年07月

2011年06月

2011年05月

2011年04月

2011年03月

2011年02月

2011年01月

2010年12月

2010年11月

2010年10月

2010年09月

2010年08月

2010年07月

2010年06月

2010年05月

2010年04月

2010年03月

2010年02月

2010年01月

2009年12月

2009年11月

2009年10月

2009年09月

2009年08月

2009年07月

2009年06月

2009年05月

2009年04月

2009年03月

2009年02月

2009年01月

2008年12月

2008年11月

2008年10月

2008年09月

2008年08月

2008年07月

2008年06月

2008年05月

2008年04月

2008年03月

2008年02月

2008年01月

2007年12月

2007年11月

2007年10月

2007年09月

2007年08月

2007年07月

2007年06月

2007年05月

2007年04月

2007年03月

2007年02月

2007年01月

2006年12月

2006年11月

2006年10月

2006年09月

2006年08月

2006年07月

2006年06月

2006年05月

2006年04月

2006年03月

2006年02月

2006年01月

2005年12月

おっさんたちのジロ・ディ・イタリア総括
今日、コルナーゴに用事があって行ったのだけど、途中、行きつけの自転車屋に寄った。
そうしたら、ちょうど年金生活のおっさんたちが集まって、ジロの総括とニバリ敗退の原因分析に花を咲かせているところだった。

日本で自転車レースのことを知っている人というのは、インターネットをよく見ている人か、ハッタリをかましている人のことだけど、レースの展開や作戦を自分の言葉で言うことができる人は、元プロ選手か現役のプロ選手などだけだろう。
一方、イタリアは国民が評論家なので、ときには新聞に記事を書いている人ですらこてんぱんにやられてしまう。

まあ、今日のオチは
「コイツはエディ・メルクスのことばかりだから」と言われた人が
「おれはアンクティルだって見た」だった(笑)。

連日の好天
連日の好天
今年のジロではまだ雨が降っておらず、これほど天候に恵まれた大会はちょっと記憶にない。
唯一、夕立があった日があったが、それは2度目の休養日。
昨日のドロミテでのステージも、素晴らしい風景が目の前に広がり、おしっこに行く暇がなくて我慢した。
今日も朝から青空が広がっている。
アルベール・ブヴェの死去
アルベール・ブヴェの死去
フランスのアルベール・ブヴェが87歳で亡くなった。
僕が仕事を始めた頃、ツール・ド・フランスの無線放送はこの人がやっていた。
すごいしゃがれ声で、今でもはっきりと頭の中に残っている。

1956年に僕の大好きなパリ〜トゥールで勝ち、そのあと1998年にジャッキー・デュランが勝つまでなんと42年間もフランス人勝者がいなかった。

僕が初めてパリ〜ルーベを取材したのは1990年で、ホテルを予約していなかった。
そのときアルベール・ブヴェが声をかけてくれて、すぐにその場から選手が泊っているホテルに電話して取ってくれた。
ただし、部屋にシャワーがなかったので、フィダンツァ(イタリア選手、今はアスタナの監督)の部屋で浴びさせてもらった。
その場でホテルに電話してくれるなんて、今ではありえない話である。

また自転車界の人がこの世を去っていった。
ボトルが顔にヒット
ボトルが顔にヒット
昨日のステージで、クイックステップのマルティネッリ(お父さんはイタリアを代表する名監督で、現在はアスタナにいます)の投げたボトルが見事に僕の顔に当たりました。
「ビール奢れよ!」と叫んだら、笑ってました。
この仕事をして、初めての経験かも(笑)。
メガネが壊れなくてよかった。
2度目の休養日あけ
昨日は2度目の休養日があった。
コインランドリーでの洗濯と、モバイルルーターを使い過ぎてなくなってしまったために、新しいものを買い求めた。
コインランドリーは関係者で大繁盛中だった。
午後はデスクワークをしたけど、この大会で初めての強い雨が降った。
だけど、タイムトライアルが行われる今日、快晴が戻った。
天候に恵まれるだけど、取材の苦労が軽減される。
伝説
よく、外人は日本人の顔をなかなか覚えられないという。
どの顔も同じに見えるというのだ。
レース現場で恥ずかしいことをやらかした日本人はこれまで男女含めて複数いる。
伝説の日本人というわけだ。
それが僕がやった、あの人がそうだったと勘違いされていることが少なからずあって、数日前に外国のジャーナリストと食事をしていてそんな風に言われて本当に驚いた。
たとえ今から10年、20年以上前のことでも、間違って記憶されていってしまう。

本人たちに注意したところでなんのメリットもないわけで、自分は自分、他人は他人と思ってはいるけど、やっぱり腹ただしさもあるし、虚しさもある。
旅の恥はかき捨てって、やっぱりダメ。
最初の休養日
サルデーニャでの3ステージを終えた後、シチリアに大型フェリーで移動した。
船内でイタリアのジャーナリストから取材を受けた。
今、シチリアのパレルモにいる。
1994年のトラック&ロード世界選手権のときは1ヶ月ほどシチリアにいたけど、そのうちパレルモはトラック競技で10日間ほどいた気がする。
とにかく市内は相変わらずカオスである。
第1ステージ終了
僕の運転手はスカルポーニの地方出身で、いっしょに自転車に乗ったこともあり、彼のことを知っている。
まず最初に僕にスカルポーニの事故死を知らせて来たのも彼だった。
驚かされたのは、事故を起こした車のドライバーとスカルポーニの家族は知り合いで、事故の前にいっしょに食事したというのだ。
こんな悲劇があるだろうか。

そしてバルディアーニの2人もの陽性反応者事件である。
チームごと家に帰されるのかと思っていたけど、さすがにそこまでの処分は下されなかった。

昨日の第1ステージは素晴らしく綺麗なコースだったが、まだジロ特有の仕事のリズムが掴みきれないし、カメラにつけた画像伝送装置もうまく作動しないこともあって、苦戦している。
今日あたりでリズムを取り戻したい。

アルゲーロから
昨日、ミラノからサルデーニャのアルゲーロ空港に向かった。
飛行機はイタリアの自転車関係者でいっぱい。
ガルゼッリともいっしょだったけど、見かけによらず、現役時代から見ると12、3kgは太ったという。
アルゲーロ空港についたら、昔ヴィーニカルディローラのチームマネージャーだったエンリーコ・マッジョーニと息子がいっしょに乗せていってくれという。
1998年、シチリアのアグリジェントの空港について、こっちが頼んで車に乗せて行ってもらったことがあるのだけど、そのときのことを覚えていたのにちょっとびっくり。

昨日は記者会見とチームプレゼンテーションが行われ、早くもハードに働いた。
とくに今回はフランスのティボー・ピノが参加しており、フランス向けの仕事が多い。
だけど、早くもバルディアーニから陽性反応者がいきなり2人も出て、悪いスタートとなった。
コンパクトカメラ
コンパクトカメラが苦戦しているというニュースを見た。
そりゃそうだろう、iPhoneであれだけの画質の写真が簡単に撮れるのだから、なかなかコンパクトカメラの購入、そして携行までいかない。

僕もちょっとしたものを撮るのだったらiPhone6sなのだけど、旅行用のカメラとしていちおうFUJIFILM X100Tを使っている。
フィルムシミュレーションができるのが売りで、とくに クラシッククローム(=早い話がコダクロームなんだけど、フジが商売敵だったコダックの製品名を使うわけにもいかないですからね)を多用しているけど、やっぱり持ち運ぶのにそれなりの苦労があるわけで、今回の1週間の帰国でも、イタリアに置いて来てしまった。
良いカメラで満足しているけど、もうちょっと操作性をシンプルにして欲しかった。

以前はリコーのGRを使っていたけど、耐久性に問題がある感じで、これまでフィルム用を含めてリコーの製品を3個買ったけど、2個が壊れてしまった。
GRの最大の魅力はなんといってもコンパクトさ。
修理してもう一回使ってみようかな。