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パリのドゴール空港から
リエージュの取材を終えて、今はパリの空港にいる。これから帰国便に搭乗だ。
リエージュの前日、バッソとクネゴの写真を撮るためにホテルにいった。
まもなくバッソは練習から帰ってきたけど、とくに撮るべき写真もなく、しかたがないからとりあえずなにか撮っておこうかと思ってカメラを構えると、
「スナーダァァァァ、こんなつまんないもの撮ってどうすんの!」とのたまう。
(そのとおり)と思いながらも
「おまえがジロで優勝したら、ガゼッタはきっと写真集を出す。そのための準備ね」と、我ながらナイスな答えを返すと、ご機嫌で部屋に戻っていった。

一方クネゴは…。腹が減ったので、クルマに戻ってサンドイッチを食べたわずか5分ほどの間に練習から戻ってきてしまった。
僕が現場にもどったときは、すでに着替え終わったところ。
「2時間も待っていたんだぜ」といっても、後の祭りだった。

ディルーカの奥さんと大会当日に話したけど、ペスカーラの新居は250平米ほどあるけど、そんなに広いとは思わないという!

この3人はみんなジロの優勝候補だと思います。
もうすぐ帰国
もうすぐ帰国
もうフランスとベルギーのホテルに22連泊した。あと2泊すれば、パリからの直行便で日本に帰ることができる。
2ヶ月間も単身赴任、しかもホテルに連泊だと気がめいってくる。だから、帰国することにした。滞在はわずか1週間だけど…。
ユーロは最高値を更新中で、ガソリンだって200円近くだ。取材経費はかかるばかり。

今朝はクネゴやバッソが泊まっているホテルに顔を出してから、明日のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュの大会受付をしてくる。
今の天気は曇りだけど、明日はまた少し良くなるようだ。

5月4日にヨーロッパに戻って、ジロの取材に入る。優勝候補はバッソとクネゴだ。昨年優勝したサヴォルデッリのことがガゼッタに載ることはめったにない。
これほど人気のないチャンピオンがこれまでいたかなあ…。
北のクラシックは、レース自体は面白いけど、宿泊を含めた取材全体に楽しさはない。
修業のような1ヶ月間である。
その点、ジロやツールの取材は、移動が大変だけど楽しさはある。
だけど、ジロのスタートがベルギーからで、その点は正直言うと、「あ〜あ」という感じである。
リエージュから
リエージュから
水曜日の朝にフランスのトゥルコアンからベルギーのシャルルロワに移動し、フレーシュ・ワロンヌを取材。
ゴールのあるユイの上りは19%の名所だ。この傾斜だと、スキーのレースだってできる。何年か前、大会終了後にクルマでここを下ったけど、マニュアルシフト(ヨーロッパではマニュアルシフトしか借りない。そもそもイタリアではクルマの9割以上がマニュアル)の2速では速過ぎて、1速を使ったほどだ。
どうやって、こんなところをアスファルトしたのか不思議だ。アスファルトをするトレーラー(っていうの?)はここを上ったり下ったりできるのだろうか?

今はリエージュに滞在している。いつも泊まるホテルで、前の道は今週末にあるリエージュ〜バストーニュ〜リエージュのコースになっている。
今日は50kmほどクルマで走ってシマノの日本選手4人と監督1人が生活している拠点を訪問し、トレーニングの写真を撮ってきた。

そうそう、1年ほど前に買ったエレコムの小さなマウスが反応しなくなった。1年は短命という気もするが、とにかく寿命と判断して近くのスーパーで19ユーロのマウスを買ってきた。TARGUSという名も無い(?)メーカーで、パッケージにはウインドウズ対応とだけしか書かれていなかったが、やっぱりマックにもちゃんと使えた(写真のもの)。
ただ、クリックの音がうるさい。エレコムもこれも、作っているのは中国なんだけど、やっぱり日本の品質管理は行き届いているのではないかと思った。
それから、日本の家で家族用のパソコンを買ったけど、これはインテルの入ったimac17インチにしました。
妻と子供のインターネット用なので、メモリーもそのままの512MB。これで大丈夫かなと思っています。
フランスの挨拶
フランスの挨拶
今日はホテルにずっと閉じこもって仕事していた。
昼はカフェに行ってビールを飲み、4時頃に今度は別のカフェに行ってコーヒーを飲んできた。
初めてのところだったけど、入ったときに主人のおばあさんから握手されたのにちょっと驚いた。
フランスでは、握手や頬へのキスは本当に挨拶代わりで、イタリアの5倍くらいはやる。だけど、カフェでやったことは、44年間でたぶん初めてかも。
そのカフェに行く途中で犬の糞を踏んでしまった。ヨーロッパでは路上でやり放題だから、気をつけていないと良く踏むのだ。
だけど、それはラッキーなことでもあると言われるので、なにか良いことでも起きればいいんだけど。
明日早朝にトゥルコアンを離れ、ベルギーのシャルルロワに向かい、フレーシュ・ワロンヌを取材する。
(写真はトゥルコアンの教会。立派です)
ヴィランクがテレビに
ヴィランクがテレビに
ボルドーから800km走り、再びトゥルコアンに到着。たまっていた洗濯物をコインランドリーで洗って、水曜日のフレーシュ、日曜日のリエージュに備えた。
そうそう、トラックの世界選で分かったのだけど、パリ〜ルーベのおかげで、カメラの液晶部分にほこりが入ってしまっていた。昔はよくあったけど、最近のカメラでは経験してなかった。やっぱり本当に過酷な状況なんですね。

ところで夜テレビをつけたら、なんとヴィランクが出ているではないか!
ヨーロッパ全土でやっている番組で(各国呼び名も内容も違うのだけど、いっしょなのは共同生活をやっていって、視聴者が気に入らない人物を一人ずつ落としていくというやつ。まじめに見たことないから良く知らない)、ブラジルからの生放送だ。
話はずれるけど、チポッリーニも最近この番組にでないかと打診されたらしいが、自分はやっぱりこういう道には向いていないということを引退後にテレビに出てみて分かったからやめたという。
そんなわけで、ティレノのときにレースを見に来て、自分のチームを結成する構想を練っていたのだ(愛想はずいぶんよくなった)。
僕は以前から「チポッリーニはけっこう古典的な選手」と言っていたのだけど、やっぱり当たっていたと思った。
彼は芸能人にはなれないと思う。

現役時代、ヴィランクはよく子供だと言われた。マスコミにもそういわれたし、チームの人間からもそう聞いた。
全盛期のときも、フェスティナのアシストをものすごく働かせた。
だけど、人気もまたものすごくあった。90年代のフランス一だったことは間違いない。とにかく個性的な選手である。
夜に行ったブラッセリーのウエイターが、これまたヴィランクそっくりなのよ。笑いました。
世界選最終日
トラックの世界選は数年前まで5日間の日程だったけど、今は4日間だから、種目と種目との間の休憩時間というのがまったくなくなった。
だから、写真の電送は、基本的には全種目が終了してからやることになる。
全種目が終了するのは夜9時半だから、ホテルに着くのは11時、するとレストランも終わりで、ご飯が食べられない。ジロもツールも移動は大変だが、仕事だけ見ると、このトラックレースはそれらを上回るような辛さがある。

大手の通信社はカメラマンが2人はいるから、競技中でも電送が可能だ。
そうなると、スピードでは絶対かなわないから、新聞に写真が掲載される可能性はかなり低くなってしまう。
一昨日もイタリアの選手の写真を送ってくれとガゼッタの記者から言われたけど、夜の11時前にやったところで、とっくに通信社のものは入っている。案の定、次の日の新聞は通信社のものだった。
まあ、今日のガゼッタには僕のが掲載されて、恨みは晴らしたけど。

その記者が言うのは、クネゴ、バッソ、ペタッキの家に行って写真を撮ったなら、大歓迎するとのこと。
反対に、シモーニはすでにキャリアが終わりかけているし、サヴォルデッリは人気がないので興味ないというのだ。
2回ジロをとったのに、あれほど人気がないのは珍しい。やはりゴッティもそうだった。共に2回のジロ制覇、ベルガモ出身である。

スクラッチに出場したナポリターノはかなり重い。同じくマルティネッリ監督の元で走ったピエーリはパリ〜ルーベ直前に突如引退。ASOがワイルドカードとして招待したのは、ピエーリがいたからである。
本人はもう過食症気味で、ダイエットできないのだ。体重も90kg。僕が思うに、来年には150kgあるだろう。
ミラノ〜サンレモのとき、レース中にオートバイから「体重はどう?」と聞いたら、「ああ、大丈夫」と言っていたのだけど。
トラック世界選初日
トラック世界選初日
午前中は予選があって、軽ーく仕事をしてきた。
その後ホテルに戻ってカップラーメンを食べて昼寝し、夜の仕事に備えた。
トラックレースは、面白いし、僕は大好きです。
だけど世界的に見ると、自転車=ロードレースになっている。
なぜロードばかり人気があるのか?
一度、ミラノのマルペンサ空港からアメリカだかオーストラリアだかに行くとき、ニューヨークのテロの直後だったこともあって、厳しく質問されたときがあった。
職業を聞かれて、「フォトグラファー」だと言うと、「なんの?」となり、「自転車」といったら、向こうは「ほほー」という。
逆に「自転車は好き?」と聞くと、
「ときどき見に行く。山でのステージはね」という。
ロードの人気スポット、それはやっぱり山なんだよね。これは、現場に行ったものだけしか絶対に分からない。
僕がこのやくざな仕事を18年もやっているのは、山場で吹き出すあのアドレナリンがすでに中毒になっているからでもある。(単なる山じゃなくて、車両の3連ホーンと、レギュレーターの吹くホイッスルを聞いて、初めて吹き出す)
なぜその人が「山」と限定するかというと、僕が思うに、プロ選手に1メートル、あるいはそれ以下、エキサイトすると触っちゃったりすることができるからなんだろうな。
選手に触れるくらいに接近できるスポーツが他にあるのだろうか?
プロレスの場外乱闘くらいなものじゃないのか。
トラックも、興奮した観客がレース終了後に走路になだれ込んで、選手を胴上げするくらいになると、人気は倍増すると思うのだが。昔の競輪では本当にあったらしい。
(選手が走っているときは、絶対走路に入ってはいけません。死亡事故になります)
ボルドーに到着
ボルドーに到着
フランスもイタリアの選挙のこと大きく報じている。
自転車競技が大好きなプローディと、ウチの近所に住んでいるベルルスコーニの対決だった。
政治に興味はないけど、僕はジロを見に来たプローディの方に親近感を抱いていた。
大激戦の結果、プローディがタイヤ差で勝った。
日本では谷垣財務大臣が自転車好きだけど、首相になったら自転車にとっていい環境が来るだろうか。

昨日、トゥルコアンから900km走ってボルドーに到着。トラック世界選の会場に入った。
昨年のアメリカでの大会と大違いで、会場にはすでに係員が立っていて、準備完了という状態。さすが自転車大国フランスである。

競技は夜遅くまで行われるので、ちゃんと夕食が食べられないこともよくある。
そこで買い出しに行ってきたのだが、カップラーメンが売られているのを発見。
イタリアにはないけど、フランスにはあるのだと感心した。
日清のカップヌードルが唯一の日本製で、あとはベトナム?のものだ(どこの国で作られたかは書かれていない)。とにかく全部買ってきた。
早速今日のお昼に食べてみたけど、なかなかおいしい。
それにカップの中にプラスチックのスプーンが入っているのは便利。
パリ〜ルーベ終了
パリ〜ルーベを終え、今日はまだルーベの隣町のトゥルコアンにいる。
例の踏み切り事件(まだ知らない人のために説明すると、2位から4位までの選手が、ゴール近くで閉まっている遮断機をくぐったことで失格となった)。いろいろ考えさせられました。

僕の友人であるシレーアがプロ入りしたとき(90年、カフェ・デ・コロンビア)、ジロが終わってから僕らは二人でサイクリングにいった。
そこで遮断機が閉まったのだけど、僕がくぐろうとしたら、
「急いでいるのかい?危ないからやめろよ」と言ったのだ。
イタリアの遮断機は、近年だいぶん良くはなったけど、それでもめちゃくちゃかったるい。電車が来る5分ほど前に閉まり、過ぎ去ってから3分ほど経って開くようなのが、今でも多いのだ。
「閉まりたての遮断機は、くぐってしまう」というのが、イタリアのサイクリストの常識なんだと僕は思い込んでいた。今でもたくさんのサイクリストがそうする。
遮断機が下りるので止まろうとするクルマがあると、「渡れよ!、カッツォ」などと後ろからクラクションを鳴らすクルマだってある。あれはイタリアならではの光景だ。
閉まっている踏み切りを渡ることに対し、みんなあまり罪悪感はないのだ。
だから、シレーアの言葉に
「おお、イタリアにもちゃんとした人がいるんだ」と、思った。

それから、まだまだこの事件で思ったことはいっぱいあるのだけど、(そもそもレース中に踏み切りで止まったのは、ジロなどで何度も見ている)、少しずつお話していきたい。
明日からボルドーに移動し、トラックの世界選を取材する。
パソコンのことで頭がいっぱい
パソコンのことで頭がいっぱい
これからホテルを出て、TGVに乗ってパリに向かう。
普段はクルマか飛行機を使っての移動だけど、電車は荷物を運ぶのが大変だから好きではない。
特にカメラバッグの重さときたら半端じゃない。
おまけにバイクのヘルメットがかばんに入らないから、ぶら下げていくしかない。(写真あり)
以前、ヘルメットをぶら下げて飛行機でベルギーからイタリアに帰ってきたとき、出口でサロンニとルフェーヴェレに見られ、
「落車しなかったかい?」と、ヘルメットをからかわれた。
「うん、今年はしなかったよ。去年はしたけど」(本当に前の年にフランドルで転んだ)と言うと、ますます笑っていた。

ところで今度、仕事とは別に家庭用にパソコンを1台買うことにした。imacにしようか、それともmini macにして、モニターをEIZOにしようかなどと、いろいろ考えている。
先日、オーダーしていたカーボンフレームができたので、最終的な塗装を決めるのに工場に行ってきたのだけど、ものの5分で決めてきた。
自転車よりもパソコンの方が、悩むことがずっと多いです。
トゥルコアンより
トゥルコアンより
パリ〜ルーベ当日は天気予報によると少し雨が降るというが、いつもみたいに当たらないで欲しい。まあ、雨が降った方が面白いけど、こっちも選手も大変。

昨日、ビチスポルトのカメラマンから、撮った日本選手の名前が分からないから教えてくれというメールが来たので、例の2誌の表紙の写真の件を伝えた。
やっぱり彼もすぐに2つの写真の違いが分かった。
僕らが見れば、違った人の写真だというのはすぐに区別できるのだ。
激怒のメールを送ってきた出版社に、「2つの写真のこことここが違うので、明らかに違う人が撮ったものです」とメールを送ったら、ていねいなおわびのメールを頂いた。しかも、編集長を越えて、会社の上層部の人からだった。会社で問題になっていたんだろうなあ。今日はビチスポルトの画像を添付しておきます。分かりますか?

先日、ミラノで写真エージェントの友人たちと歩いていたら、古物商のショーウインドウに僕が撮ったパンターニの写真が若干合成されてどうどうと貼られているではないか!
「これオレの写真だよ」と言っても、みんなは「そうかあ?」という。
それはパンターニの写真集に使われたもので、僕は撮ったときの状況まで覚えている。今から9年前のことである。
あとから遅れて上ってきた血まみれのサラベイティアは、ズームレンズの200mm側で、シャッタースピードが500分の1、絞り5.6、マニュアルフォーカスでワンカットのみ撮ったということまで記憶している。

ところで、イタリアのエージェントがアメリカのレイジンの画像を僕のサイトからダウンロードした。先日、モンテカルロまで取材に行ってきた選手だが、なんで今ごろこの選手のものを…と思っていたら、落車で危篤というではないか!
いっしょに行ったアメリカのジャーナリストに問い合わせたら、「状況はよくない」と返事が。今年はジロを走るといっていたのに…。命だけはとりとめて欲しい。
ヘント終了
ヘント終了
昨日はホテルに戻ってから、夕食時に全部写真を電送し、今日はホテルで原稿書きと、コインランドリーに行って洗濯をしてきた。
日本でコインランドリーにいったことがないけど、今日は3ユーロ(430円)だった。これって高いのかなあ。
とにかく、今ユーロが史上最高値をつけていて、取材費がかさむばかり。
もっとユーロを稼ぐように仕事しなくちゃなあ。

と思っていた矢先、イタリアからメールが来て、今月のビチスポルトと、僕の写真が使われているチクリズモの表紙の写真がいっしょだというクレームだ。
ライバル誌でも仕事しているのかと、まるでけんかを売られた。
カメラマンだったら、まったく別の写真というのが5秒で分かるのに、ああ、本当に疲れる…。別人が撮ったものだということを言ったが、どこまで信じてもらえるのやら。

まあ、今日は僕の撮った表紙、それから次回はそのビチスポルトの表紙の写真をおみせしますね。
ああ、無断で画像を使うのはダメだから、ビチスポルトに断りも入れておこう。
それから「よく似た写真使うな!」っても言わなくては。
ビールがおいしい
今滞在しているトゥルコアンという町は、ルーベの隣にあって、ベルギーとも目の鼻の先だ。
だから、いくらフランスとはいえ、ベルギーのビールの看板を出している所も多い。
昨日は初めて入ったレストランで、フランドル地方の名物料理を食べた。ビールを使って煮込むシチューで、僕の好物だ。
これに合わせて飲んだのはレフのという味の濃いビールの生と、食後酒としてデュヴェルを頼んだ。悪魔の意味を持つこのビールはアルコール度が8.5%とかなり高く、若干酸味もあるが、柔らかさも持っている。
瓶の形も、だるまみたいでユーモラス。
北のクラシック期間中は、いろんなビールが飲んでやろうと決めている。

ところで自転車界の酒豪は誰か…(競輪選手は除く。除かなかったら上位独占だもん)という疑問だが、ヴァンピテヘムはすごいらしい。
シーズン終了時に行われるヘントの6日間レース期間は、ロード選手がたくさん見に来てバールでがぶがぶ飲むのだが、彼の飲みっぷりはすごいというのをあるプロ選手から聞いたことがある。

フォトグラファーではイギリスの某氏で、夕食時に赤ワインを毎回1本。ときには追加でもう1本のときもある。彼には赤色のマイヨ・アルカンシェルを与えたい。
あたしは毎回ビールを飲むが、量は全然対したことない。
フランドル終了
土曜日は朝3時半に起床して、フランスのトゥルコアンのホテルに入った。そのあと、ブルージュで大会の受付を済ます。この日は1200km走ったし、睡眠不足でクタクタ。
大会当日は朝から雨。だけど、ベルギーではサイクリストがいっぱい走っている。ラテンの国ではまず見られないことで、ベルギー選手の悪天候の中での強さは国民性から来ている。
スタートで、レキップで長年活躍しているフランスの有名記者と1対1で食事しながら話をする。
彼は今、パンターニの本を執筆中なのだけど、
「パンターニが殺されたんじゃないかという仮説を立ててるって本当?」と訊くと、
「あれはちょっと言ったことをイタリアの記者が大げさに書いてそんな話になってしまった。本の中ではきっぱり否定するつもり」という。
ところが、あのマドンナ・ディ・カンピリオの基準値オーバーの件で、彼は大胆な仮説を立てており、話を聞くうちに鳥肌が立った。

レースはボーネンが完全プレーの勝利。もう敵なし状態だ。
プレスルームでイタリアに写真を電送して、ホテルに着いたのが夜8時。
さらにオーストラリアの雑誌がしめ切り直前だったので、夜1時まで作業する。
ところがレースで疲れ切っているので、電送の手順を間違えて、やったことが水の泡に。
もうがっくりきて、ベッドに入る。
もちろん、電送は寝ている間もコンピューターがやってくれている…、と思っていたら、目が覚めると回線が落ちているではないか!
で、再送してなんとか朝の10時までやり終え、今日はホテルでゆっくりするつもり。今はお昼だけど、カップラーメンでも食べよう。
クラシックはいつもこんな感じで、選手だけでなく、僕も厳しい。