2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
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2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
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2024-10-18
東京での写真展
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2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
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2024-09-28
ゆいの壁
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UAEツール
今、UAEツールを取材中でドバイに滞在している。
ここに来る前に2泊だけだけど自宅で泊まれたので、ようやくリセットできた感じだ。
コロンビアで高価なパソコン(メモリーなどをかなり積んで40万円越えの品)を盗まれて非常に痛い目にあったが、新しいMacはescボタンがタッチ式ではなく物理キーになったので、非常に助かっている。1日に何度もこのボタンに触ってしまって作業が中断したからだ。
ところでこのレースはジロ・ディ・イタリアを主催するRCSがやっていてスタッッフは当然イタリア人。
ところがイタリアはヨーロッパでコロナビールスの感染者がもっとも多いのだ。
昨日の日曜日も各地でイベントが中止となり、今、ミラノ~サンレモが本当に行われるのだろうかという声も出ている。
まさに予期せぬ非常事態である。
ここに来る前に2泊だけだけど自宅で泊まれたので、ようやくリセットできた感じだ。
コロンビアで高価なパソコン(メモリーなどをかなり積んで40万円越えの品)を盗まれて非常に痛い目にあったが、新しいMacはescボタンがタッチ式ではなく物理キーになったので、非常に助かっている。1日に何度もこのボタンに触ってしまって作業が中断したからだ。
ところでこのレースはジロ・ディ・イタリアを主催するRCSがやっていてスタッッフは当然イタリア人。
ところがイタリアはヨーロッパでコロナビールスの感染者がもっとも多いのだ。
昨日の日曜日も各地でイベントが中止となり、今、ミラノ~サンレモが本当に行われるのだろうかという声も出ている。
まさに予期せぬ非常事態である。
オートバイの失格
ツール・コロンビアで4台のオートバイが失格となり、翌日のレースに参加できないという事態が起きた。幸い、自分はこの中に入っていないですが(笑)。
ここに国際自転車競技ジャーナリスト協会のイタリア代表と日本代表(自分)がいるため、仲裁に駆り出されることに。
自分にとって初めての経験。
ブチ切れずにUCIと話ができるかどうか(笑)。
ここに国際自転車競技ジャーナリスト協会のイタリア代表と日本代表(自分)がいるため、仲裁に駆り出されることに。
自分にとって初めての経験。
ブチ切れずにUCIと話ができるかどうか(笑)。
春のレース
コロンビアに来て5日ほど経過した。
ツール・ダウンアンダー(オーストラリア)、ブエルタ・ア・サンフアン(アルゼンチン)、そしてこのツール・コロンビアである。
サンフアンもこのコロンビアも非常に良くオーガナイズされている。
そしてご存知コロンビアの自転車人気は大変なものである。
コロンビアが終わったあとは帰国して2日ほど自宅で過ごし、そのあとUAEツールに行く。
僕はこれらのレースすべて招待されている。日本人ではただ一人だ。
こうしたレースに他の日本人が招待されることはまずない。それがとても残念だ。せっかく各国のトップジャーナリストと接していろんな情報が入っても、僕がせいぜい酒を飲んで仲間に喋ることくらいしかできないのだ。
早く世界で活躍するジャーナリストが日本からも出てきてほしいものである。
ツール・ダウンアンダー(オーストラリア)、ブエルタ・ア・サンフアン(アルゼンチン)、そしてこのツール・コロンビアである。
サンフアンもこのコロンビアも非常に良くオーガナイズされている。
そしてご存知コロンビアの自転車人気は大変なものである。
コロンビアが終わったあとは帰国して2日ほど自宅で過ごし、そのあとUAEツールに行く。
僕はこれらのレースすべて招待されている。日本人ではただ一人だ。
こうしたレースに他の日本人が招待されることはまずない。それがとても残念だ。せっかく各国のトップジャーナリストと接していろんな情報が入っても、僕がせいぜい酒を飲んで仲間に喋ることくらいしかできないのだ。
早く世界で活躍するジャーナリストが日本からも出てきてほしいものである。
トラブル
アルゼンチンのレース、ブエルタ・ア・サンフアンを終え、オーガナイザーが用意してくれたタクシーで1時間半かけてメンドサ空港に着いた。
出発までまだ3時間以上ある。
チェックインしようとすると、カウンターの男性がなにか怪訝そうだ。
「アメリカのビザを取りましたか?」と聞かれ、
「いいえ、取ってません。入国せず、ただのトランジットですから」と答えると、
「トランジットでもビザが必要なんです。今から申請してみて、19時20分までに取れたらチェックインできますが、取れなかったら乗れません」というではないか!
僕はトランジットでも電子ビザが必要なのをまったく知らなかった。
パソコンを取り出してさっそくやっていみる。申請料として14ドルをクレジットカードで支払った。
そうしたら、72時間以内に返事が来るというので、愕然となった。
しかもあとでよく見ると、パスポートの有効期限が2022年9月までのところを8月と打ってしまっていたことに気がづいた。
そこでもう一度やり直したが、ブラウザーにキャッシュが残っていたのか、支払いの段になると再び8月になってしまう。
でも、なんとか再度の申請に成功したが、また新たに14ドルがかかった。その時点でチェックイン締め切りの30分前。
さすがに30分でビザが届くとは思えず、帰国はほぼ無理だろうと思った。アルゼンチン・メンドサ→チリ・サンティアゴ→ニューヨーク→東京というチケットがおそらくパーになる。
さっそく次に行くツール・コロンビアのオーガナイザーに電話して事情を説明した。そしてコロンビアまでなんとか自力で向かうので、オーガナイザーからいただいた東京→ボゴタ→東京のチケットをボゴタ→東京に変更できるか聞いた。
ちょうどそこにボーラのサガン一行がやってきた。彼らもコロンビアに直行するのだけど、機材のオーバーチャージのことでカウンターでもめている。
そこにいたのがサガンのマネージャーで、ブエルタ・サ・サンフアンを仕切っている友人だった。彼とは1990年の前橋でのトラック世界選手権以来の付き合いだ。
僕は彼に事情を説明すると、電子ビザは申請後1時間以内に来ることもあるからギギギリ待ってみろ、もし来なかったらいっしょにパナマまで行って、そこからボゴタに行けと言われた。
そうこうしているうちにチェックイン締め切り時間が過ぎた。
ところがその2分後、チェックインカウンターの人から、
「電子ビザが取れたみたいで、チェックインがOKになりましたよ」と言われた。
東京に戻れることになったと各方面に連絡し、チェックインを済ませた。
旅行のトラブルはこれまで数え切れないほど経験している。
以前マンチェスターのトラック世界選を終えてパリ〜ルーベに行くときに日本に戻る航空券を持っておらず、チェックインを断られた。しかもその日は土曜日。チケットを買った代理店も閉まっていて、証明する術がなかった。
そこでアメックスのコンシェルジュサービスに泣きついて事情を説明。通常は航空券関係のトラブルは扱わないが、今回に限ってと言うことで、航空券のコピーのファックスをパリ行きの航空会社に送ってもらい、奇跡的にチェックインが許された。全員座席についているときに、汗だくになって飛行機に乗り込むことができた。
また、預けたスーツケースがロストバゲージになり、戻ってきたものの中に入れていた高額なレンズやパソコンが抜かれていたトラブルもあった。
これらは拙著「挑戦するフォトグラファー(未知谷)」にも書いたが、今回のアメリカの電子ビザトラブルは、それ以来の事件だった。
ただ、いつもより冷静にトラブルに対処できる自分がいた。心拍数もだいたい平常の60くらいだったと思う(笑)。
飛行に乗ったらボーラ一行も乗り込んできた。
彼らはチリ・サンティアゴで乗り換え、コロンビアに行くのだ。機内でサガンから、
「コロンビアに行くの?」と聞かれたので、
「行くけど、東京に戻ってから再出発」というと、目を丸くして驚いていた。
ニューヨークのケネディ空港に到着した。その前のチリ・サンティアゴ空港で電子ビザを確認してみたが、まだホームページ上はペンディングで一抹の不安があったが、ニューヨークに到着してネットで確認してみるとOKに変わっていた。
入国審査の段になると、たまたま車椅子に乗った老人の団体100人くらいだろうか、ちょうど到着したところだった。入国審査はその人たちが優先されるので、一般客は2時間ほど待たされた。
乗り継ぎ便に乗れなかった人もたくさんいたのではないだろうか。僕はかろうじて乗り継ぎ便に乗ることができた。あと15分遅かったら逃していた。車椅子優先は分かるけど、乗り継ぎがある人を2時間も待たせるというのは常識的にちょっと考えられないことだ。
そして成田についてまた大問題が。荷物がロストバゲージになったのだ。それがないと、明日からのコロンビアでの仕事に大きな支障が出る。カメラの充電器だってそこに入っているのだ。すべてニューヨークのあのとんでもない入国審査の遅れのせいだ。荷物が載せられなかったのに違いない。
時差ボケでフラフラなのに、ちゃんとコロンビアで仕事ができるのか心配でならない。
出発までまだ3時間以上ある。
チェックインしようとすると、カウンターの男性がなにか怪訝そうだ。
「アメリカのビザを取りましたか?」と聞かれ、
「いいえ、取ってません。入国せず、ただのトランジットですから」と答えると、
「トランジットでもビザが必要なんです。今から申請してみて、19時20分までに取れたらチェックインできますが、取れなかったら乗れません」というではないか!
僕はトランジットでも電子ビザが必要なのをまったく知らなかった。
パソコンを取り出してさっそくやっていみる。申請料として14ドルをクレジットカードで支払った。
そうしたら、72時間以内に返事が来るというので、愕然となった。
しかもあとでよく見ると、パスポートの有効期限が2022年9月までのところを8月と打ってしまっていたことに気がづいた。
そこでもう一度やり直したが、ブラウザーにキャッシュが残っていたのか、支払いの段になると再び8月になってしまう。
でも、なんとか再度の申請に成功したが、また新たに14ドルがかかった。その時点でチェックイン締め切りの30分前。
さすがに30分でビザが届くとは思えず、帰国はほぼ無理だろうと思った。アルゼンチン・メンドサ→チリ・サンティアゴ→ニューヨーク→東京というチケットがおそらくパーになる。
さっそく次に行くツール・コロンビアのオーガナイザーに電話して事情を説明した。そしてコロンビアまでなんとか自力で向かうので、オーガナイザーからいただいた東京→ボゴタ→東京のチケットをボゴタ→東京に変更できるか聞いた。
ちょうどそこにボーラのサガン一行がやってきた。彼らもコロンビアに直行するのだけど、機材のオーバーチャージのことでカウンターでもめている。
そこにいたのがサガンのマネージャーで、ブエルタ・サ・サンフアンを仕切っている友人だった。彼とは1990年の前橋でのトラック世界選手権以来の付き合いだ。
僕は彼に事情を説明すると、電子ビザは申請後1時間以内に来ることもあるからギギギリ待ってみろ、もし来なかったらいっしょにパナマまで行って、そこからボゴタに行けと言われた。
そうこうしているうちにチェックイン締め切り時間が過ぎた。
ところがその2分後、チェックインカウンターの人から、
「電子ビザが取れたみたいで、チェックインがOKになりましたよ」と言われた。
東京に戻れることになったと各方面に連絡し、チェックインを済ませた。
旅行のトラブルはこれまで数え切れないほど経験している。
以前マンチェスターのトラック世界選を終えてパリ〜ルーベに行くときに日本に戻る航空券を持っておらず、チェックインを断られた。しかもその日は土曜日。チケットを買った代理店も閉まっていて、証明する術がなかった。
そこでアメックスのコンシェルジュサービスに泣きついて事情を説明。通常は航空券関係のトラブルは扱わないが、今回に限ってと言うことで、航空券のコピーのファックスをパリ行きの航空会社に送ってもらい、奇跡的にチェックインが許された。全員座席についているときに、汗だくになって飛行機に乗り込むことができた。
また、預けたスーツケースがロストバゲージになり、戻ってきたものの中に入れていた高額なレンズやパソコンが抜かれていたトラブルもあった。
これらは拙著「挑戦するフォトグラファー(未知谷)」にも書いたが、今回のアメリカの電子ビザトラブルは、それ以来の事件だった。
ただ、いつもより冷静にトラブルに対処できる自分がいた。心拍数もだいたい平常の60くらいだったと思う(笑)。
飛行に乗ったらボーラ一行も乗り込んできた。
彼らはチリ・サンティアゴで乗り換え、コロンビアに行くのだ。機内でサガンから、
「コロンビアに行くの?」と聞かれたので、
「行くけど、東京に戻ってから再出発」というと、目を丸くして驚いていた。
ニューヨークのケネディ空港に到着した。その前のチリ・サンティアゴ空港で電子ビザを確認してみたが、まだホームページ上はペンディングで一抹の不安があったが、ニューヨークに到着してネットで確認してみるとOKに変わっていた。
入国審査の段になると、たまたま車椅子に乗った老人の団体100人くらいだろうか、ちょうど到着したところだった。入国審査はその人たちが優先されるので、一般客は2時間ほど待たされた。
乗り継ぎ便に乗れなかった人もたくさんいたのではないだろうか。僕はかろうじて乗り継ぎ便に乗ることができた。あと15分遅かったら逃していた。車椅子優先は分かるけど、乗り継ぎがある人を2時間も待たせるというのは常識的にちょっと考えられないことだ。
そして成田についてまた大問題が。荷物がロストバゲージになったのだ。それがないと、明日からのコロンビアでの仕事に大きな支障が出る。カメラの充電器だってそこに入っているのだ。すべてニューヨークのあのとんでもない入国審査の遅れのせいだ。荷物が載せられなかったのに違いない。
時差ボケでフラフラなのに、ちゃんとコロンビアで仕事ができるのか心配でならない。