Diary Only japanese
最新のDiary
2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
過去のDiary

2024年11月

2024年10月

2024年09月

2024年08月

2024年07月

2024年06月

2024年05月

2024年04月

2024年01月

2023年12月

2023年11月

2023年10月

2023年09月

2023年08月

2023年06月

2023年04月

2023年03月

2023年02月

2023年01月

2022年12月

2022年11月

2022年10月

2022年09月

2022年08月

2022年07月

2022年06月

2022年05月

2022年04月

2022年03月

2022年02月

2022年01月

2021年12月

2021年11月

2021年10月

2021年09月

2021年08月

2021年07月

2021年06月

2021年05月

2021年04月

2021年03月

2021年02月

2021年01月

2020年12月

2020年11月

2020年10月

2020年09月

2020年08月

2020年07月

2020年06月

2020年05月

2020年04月

2020年03月

2020年02月

2020年01月

2019年12月

2019年11月

2019年10月

2019年09月

2019年08月

2019年07月

2019年06月

2019年05月

2019年04月

2019年03月

2019年02月

2019年01月

2018年12月

2018年11月

2018年10月

2018年09月

2018年08月

2018年07月

2018年06月

2018年05月

2018年04月

2018年03月

2018年02月

2018年01月

2017年12月

2017年11月

2017年10月

2017年09月

2017年08月

2017年07月

2017年06月

2017年05月

2017年04月

2017年03月

2017年02月

2017年01月

2016年12月

2016年11月

2016年10月

2016年09月

2016年08月

2016年07月

2016年06月

2016年05月

2016年04月

2016年03月

2016年02月

2016年01月

2015年12月

2015年11月

2015年10月

2015年09月

2015年08月

2015年07月

2015年06月

2015年05月

2015年04月

2015年03月

2015年02月

2015年01月

2014年12月

2014年11月

2014年10月

2014年09月

2014年08月

2014年07月

2014年06月

2014年05月

2014年04月

2014年03月

2014年02月

2014年01月

2013年12月

2013年11月

2013年10月

2013年09月

2013年08月

2013年07月

2013年06月

2013年05月

2013年04月

2013年03月

2013年02月

2013年01月

2012年12月

2012年11月

2012年10月

2012年09月

2012年08月

2012年07月

2012年06月

2012年05月

2012年04月

2012年03月

2012年02月

2012年01月

2011年12月

2011年11月

2011年10月

2011年09月

2011年08月

2011年07月

2011年06月

2011年05月

2011年04月

2011年03月

2011年02月

2011年01月

2010年12月

2010年11月

2010年10月

2010年09月

2010年08月

2010年07月

2010年06月

2010年05月

2010年04月

2010年03月

2010年02月

2010年01月

2009年12月

2009年11月

2009年10月

2009年09月

2009年08月

2009年07月

2009年06月

2009年05月

2009年04月

2009年03月

2009年02月

2009年01月

2008年12月

2008年11月

2008年10月

2008年09月

2008年08月

2008年07月

2008年06月

2008年05月

2008年04月

2008年03月

2008年02月

2008年01月

2007年12月

2007年11月

2007年10月

2007年09月

2007年08月

2007年07月

2007年06月

2007年05月

2007年04月

2007年03月

2007年02月

2007年01月

2006年12月

2006年11月

2006年10月

2006年09月

2006年08月

2006年07月

2006年06月

2006年05月

2006年04月

2006年03月

2006年02月

2006年01月

2005年12月

UAEツール
今、UAEツールを取材中でドバイに滞在している。
ここに来る前に2泊だけだけど自宅で泊まれたので、ようやくリセットできた感じだ。
コロンビアで高価なパソコン(メモリーなどをかなり積んで40万円越えの品)を盗まれて非常に痛い目にあったが、新しいMacはescボタンがタッチ式ではなく物理キーになったので、非常に助かっている。1日に何度もこのボタンに触ってしまって作業が中断したからだ。

ところでこのレースはジロ・ディ・イタリアを主催するRCSがやっていてスタッッフは当然イタリア人。
ところがイタリアはヨーロッパでコロナビールスの感染者がもっとも多いのだ。
昨日の日曜日も各地でイベントが中止となり、今、ミラノ~サンレモが本当に行われるのだろうかという声も出ている。
まさに予期せぬ非常事態である。
オートバイの失格
ツール・コロンビアで4台のオートバイが失格となり、翌日のレースに参加できないという事態が起きた。幸い、自分はこの中に入っていないですが(笑)。
ここに国際自転車競技ジャーナリスト協会のイタリア代表と日本代表(自分)がいるため、仲裁に駆り出されることに。
自分にとって初めての経験。
ブチ切れずにUCIと話ができるかどうか(笑)。
春のレース
コロンビアに来て5日ほど経過した。
ツール・ダウンアンダー(オーストラリア)、ブエルタ・ア・サンフアン(アルゼンチン)、そしてこのツール・コロンビアである。
サンフアンもこのコロンビアも非常に良くオーガナイズされている。
そしてご存知コロンビアの自転車人気は大変なものである。
コロンビアが終わったあとは帰国して2日ほど自宅で過ごし、そのあとUAEツールに行く。
僕はこれらのレースすべて招待されている。日本人ではただ一人だ。
こうしたレースに他の日本人が招待されることはまずない。それがとても残念だ。せっかく各国のトップジャーナリストと接していろんな情報が入っても、僕がせいぜい酒を飲んで仲間に喋ることくらいしかできないのだ。
早く世界で活躍するジャーナリストが日本からも出てきてほしいものである。


トラブル
アルゼンチンのレース、ブエルタ・ア・サンフアンを終え、オーガナイザーが用意してくれたタクシーで1時間半かけてメンドサ空港に着いた。
出発までまだ3時間以上ある。
チェックインしようとすると、カウンターの男性がなにか怪訝そうだ。
「アメリカのビザを取りましたか?」と聞かれ、
「いいえ、取ってません。入国せず、ただのトランジットですから」と答えると、
「トランジットでもビザが必要なんです。今から申請してみて、19時20分までに取れたらチェックインできますが、取れなかったら乗れません」というではないか!
僕はトランジットでも電子ビザが必要なのをまったく知らなかった。
パソコンを取り出してさっそくやっていみる。申請料として14ドルをクレジットカードで支払った。
そうしたら、72時間以内に返事が来るというので、愕然となった。
しかもあとでよく見ると、パスポートの有効期限が2022年9月までのところを8月と打ってしまっていたことに気がづいた。
そこでもう一度やり直したが、ブラウザーにキャッシュが残っていたのか、支払いの段になると再び8月になってしまう。
でも、なんとか再度の申請に成功したが、また新たに14ドルがかかった。その時点でチェックイン締め切りの30分前。
さすがに30分でビザが届くとは思えず、帰国はほぼ無理だろうと思った。アルゼンチン・メンドサ→チリ・サンティアゴ→ニューヨーク→東京というチケットがおそらくパーになる。
さっそく次に行くツール・コロンビアのオーガナイザーに電話して事情を説明した。そしてコロンビアまでなんとか自力で向かうので、オーガナイザーからいただいた東京→ボゴタ→東京のチケットをボゴタ→東京に変更できるか聞いた。
ちょうどそこにボーラのサガン一行がやってきた。彼らもコロンビアに直行するのだけど、機材のオーバーチャージのことでカウンターでもめている。
そこにいたのがサガンのマネージャーで、ブエルタ・サ・サンフアンを仕切っている友人だった。彼とは1990年の前橋でのトラック世界選手権以来の付き合いだ。
僕は彼に事情を説明すると、電子ビザは申請後1時間以内に来ることもあるからギギギリ待ってみろ、もし来なかったらいっしょにパナマまで行って、そこからボゴタに行けと言われた。
そうこうしているうちにチェックイン締め切り時間が過ぎた。
ところがその2分後、チェックインカウンターの人から、
「電子ビザが取れたみたいで、チェックインがOKになりましたよ」と言われた。
東京に戻れることになったと各方面に連絡し、チェックインを済ませた。

旅行のトラブルはこれまで数え切れないほど経験している。
以前マンチェスターのトラック世界選を終えてパリ〜ルーベに行くときに日本に戻る航空券を持っておらず、チェックインを断られた。しかもその日は土曜日。チケットを買った代理店も閉まっていて、証明する術がなかった。
そこでアメックスのコンシェルジュサービスに泣きついて事情を説明。通常は航空券関係のトラブルは扱わないが、今回に限ってと言うことで、航空券のコピーのファックスをパリ行きの航空会社に送ってもらい、奇跡的にチェックインが許された。全員座席についているときに、汗だくになって飛行機に乗り込むことができた。
また、預けたスーツケースがロストバゲージになり、戻ってきたものの中に入れていた高額なレンズやパソコンが抜かれていたトラブルもあった。
これらは拙著「挑戦するフォトグラファー(未知谷)」にも書いたが、今回のアメリカの電子ビザトラブルは、それ以来の事件だった。
ただ、いつもより冷静にトラブルに対処できる自分がいた。心拍数もだいたい平常の60くらいだったと思う(笑)。
飛行に乗ったらボーラ一行も乗り込んできた。
彼らはチリ・サンティアゴで乗り換え、コロンビアに行くのだ。機内でサガンから、
「コロンビアに行くの?」と聞かれたので、
「行くけど、東京に戻ってから再出発」というと、目を丸くして驚いていた。

ニューヨークのケネディ空港に到着した。その前のチリ・サンティアゴ空港で電子ビザを確認してみたが、まだホームページ上はペンディングで一抹の不安があったが、ニューヨークに到着してネットで確認してみるとOKに変わっていた。
入国審査の段になると、たまたま車椅子に乗った老人の団体100人くらいだろうか、ちょうど到着したところだった。入国審査はその人たちが優先されるので、一般客は2時間ほど待たされた。
乗り継ぎ便に乗れなかった人もたくさんいたのではないだろうか。僕はかろうじて乗り継ぎ便に乗ることができた。あと15分遅かったら逃していた。車椅子優先は分かるけど、乗り継ぎがある人を2時間も待たせるというのは常識的にちょっと考えられないことだ。

そして成田についてまた大問題が。荷物がロストバゲージになったのだ。それがないと、明日からのコロンビアでの仕事に大きな支障が出る。カメラの充電器だってそこに入っているのだ。すべてニューヨークのあのとんでもない入国審査の遅れのせいだ。荷物が載せられなかったのに違いない。
時差ボケでフラフラなのに、ちゃんとコロンビアで仕事ができるのか心配でならない。