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ビバ、クチーナ・ジャッポネーゼ
ビバ、クチーナ・ジャッポネーゼ
日本を離れて改めて日本の良さが分かると言えば、その代表が日本食。
僕自身は365日イタリアの食事でもいいのだけど、こうして日本に帰って来たときには、やっぱりその健康的な食事に大満足。

内容よりも、イメージが先行してしまっているフランスの食事なんか、金を出さないと、ちゃんと野菜は食べられない。
今こうして日本の我が家にいると、ツール・ド・フランス期間中に食べた野菜の総量を、1回の夕食で採っているように思う。
その点、イタリアはかなりましというか、ヨーロッパの中ではダントツで食事の質がいいのだけど、健康という観点から見ると、やっぱり日本には及ばないと思う。
これは自転車選手から何度も言われたことがある。有名選手に限っただけでもバッソ、メイルハーゲ(元MTB世界チャンピオンでその後ロードに転向)、ラスムッセン、ポントーニ(シクロクロスで2度世界チャンピオン。今年のジロで土手の上から声をかけられてびっくり)、ミホレヴィッチ(現アックア・エ・サポーネ)などの言葉が記憶に残っている。
東京でバッソと3日間ほど過ごしたときには、昼・夜合わせて5回くらい寿司屋に行ったかな。
彼の鮨好きには驚かされる。
ああ、そういえば今思い出したけど、ポッツァートがチポッリーニとミラノの日本レストランに行って大満足したと言っていた。

とにかく、日本にいると心身ともに調子がいいのは、健康的な食事ができる点も一票を投じている。
とりあえず酒でも
とりあえず酒でも
とりあえずチクリッシモの原稿はすべて書き終え、そして今はブエルタや世界選、秋のクラシックレースなどに使う航空券やレンタカーの予約をすべて終えたところ。
これがもう大変な仕事で、なんだかんだと丸1日はかかってしまった。

夕方に1時間ほど自転車に乗って来て(まだ走り込んでいないから、山はあえてコースに入れていない!)、夕食でビールを飲んだら、時差ぼけもあってしばらく寝てしまった。
(夕食でターフィのところで買って来たオリーブオイルをサラダにかけたのだけど、フルーティーでありながら匂いが強すぎず、とてもおいしかった。行かれる人は是非!!)
今は夜の10時。
うちのリビングには酒が入っている棚があって、そこにお気に入りがたくさん並んでいる。
イタリアの食前酒と食後酒に関しては、基本的なものは揃っている。
写真の酒は、昨年スペインで買って来たもので、ブエルタで時々見られる真っ黒の牛の看板の本家本元が造っているウイスキーだ。
まだ手を付けていないので、味に興味があるところだが、今日も暑い夜なので、氷を入れたイタリアのリモンチェッロでも飲もうと思う。

明日からいよいよジロの写真集の準備に入る。
MacBook Pro購入
MacBook Pro購入
今のMacBook Proも購入して約3年目。2回もロジックボードを無料交換したので、中身はまだ新しいのだけど、17インチはやはり持ち運びに苦労するし、オートバイのサイドにもなかなか入らないということもあり、MacBook Pro15インチの購入ボタンをクリック!
メモリは最大限の8GBを積んだけど、さすがにSSDは高いので、今回はあきらめた。
まあ、もっと値段が下がれば、自分でハードディスクと入れ替えるかもしれない。
ディスプレイは当然非光沢。フォトグラファーならばこれ以外、選択の余地なし。
キーボードはいつものUSタイプ。
それからフォトショップCS5アップグレード版も注文。
早くセッティングを終えて、これでばりばり仕事しよう!

写真は台湾の雑誌「Cycling Update」です。中ではジロのことが特集されています。
それから、オーストラリアのRide誌も送られて来ましたが、これもジロの特集でした。
共に写真が満載されています。
来年は動きそう
ガゼッタから、コンタドールがアスタナをはなれてリースのチームに行くだろうという報道があった。
実はパリからミラノまでのフライト(ルフトハンザ)で、自転車関係者はアスタナの監督のマルティネッリと僕の二人だけ。
彼とは旧知の仲だ。
「ランプレがなぜいないの?」と首を傾げていたが、もしかしてもっと安いイージージェットを使っていたのかもしれない。最近は多いからな。
マルティネッリ、通称マルティーノはいろんな話を聞かせてくれた。
フランスの複数のしょぼいチームがなぜ長年に渡って継続できるのか理解できない、イタリアだったら2年で消滅だと言ったのにおもわず笑った。

本題は、リースが見つけたスポンサーは某自転車メーカーではないかと予想したことだ。
今日のガゼッタによると、出資する金額があまりに小さいので、メインスポンサーは無理なのではないか。
そして、コンタドールの移籍などはいっさい話していなかったから、寝耳に水かも?
でも、来年は俺もどうするか分からないと言っていたので、何かつかんでいたのかなあ。
一方、シュレク兄弟はルクセンブルクにできる新チームに移籍するとずいぶん前から認識されている。
つまり、リースはシュレク兄弟を手放して、コンタドールをとる方向で合意するかもしれない。
ボルドーからパリまでのTGVの中でたまたまリースと話したけど、今年のジャパンカップのことを彼が言っただけで、スポンサーのことは何も言わなかった。

うーん、来年はレディオシャックの動向も含めて、かなり大きな動きがありそうだ。
帰国
本日帰国し、すぐにチクリッシモ編集部に行って入稿し、そのあと築地の寿司屋に連れていってもらいました。
明日から怒濤の仕事地獄です。
仕事も自転車も好きだから、ストレスはないけど。
時間があまりなくても自転車には乗ります。
ポーから
ポーから
ポーでの3連泊の1日は休養日で、現地の日本人会の方々にご招待いただき、とてもおいしい日本食をごちそうになってきました。
ポーでの休養日はここ4、5年で3回目かな。
毎回、その日に合わせてご招待していただいているのですが、いつも心から楽しませていただいています。

僕自身もミラノ郊外のモンツァに仕事の拠点があるのだけど、家族がそこに住んでいた頃は、よくこうして近くの日本の人たちと集まって食事をして楽しんだものです。
家族が10年くらい前から日本に落ち着くようになり、そして他の地に移って行く人が多くなって以来、こうした集まりがなくなってしまったのはとても残念なのですが、ポーにやってくると、あの頃のことが蘇って来ます。

昨日のピレネーは雨だったけど、別に辛くはなかった。
それに大会もあと数日で終わり。
帰国後の日本向けの仕事としては、チクリッシモとジロの写真集の準備、毎年恒例のジェイスポーツカレンダーの作成、それから講演会の用意等で、ものすごく忙しい。
今年に入ってすでに100日以上はホテルに泊まっているはずだけど、それでも日本に戻って家族とゆっくり過ごしたり、庭の手入れをしたり、自転車に乗ったり…する時間も限られそうだ。

次は8月25日に出発して約2ヶ月間ヨーロッパに滞在。その間にブエルタ(スペイン)、世界選(オーストラリア。ミラノから片道24時間の旅!辛い)、パリ〜トゥール(フランス)、ジロ・ディ・ロンバルディーア(イタリア)を取材する。
チワワ(メキシコ)のレースは招待が来るとは思うけど、あまりに遠すぎてたぶん断ると思う。
でもジャパンカップは今年もオフィシャルフォトグラファーを務めさせていただくことになり、それが今シーズン最後のレースかな。
こんなことを書いてまるでシーズンオフ間際のような錯覚が。
まだ7月だった!

写真はポーの日本人会のみなさん。本当にどうもありがとうございました。おいしい日本食でお腹いっぱいでした。チクリッシモができたらまたみなさんに送りますね!
第12ステージ終了
第12ステージ終了
昨日はスタート直後に走りながらフースホフトを撮っていたら
「グリーンジャージよりもこっちの方がいいだろう」と言ってきたので笑った。
グリーンジャージはツールの記事にしか使い道がないけど、普段のジャージ(といっても国内チャンピオンジャージなんだけどね)の方が1年間は使える。
僕らの仕事のことをよく知っている(笑)。
でも、また取り戻してしまったから、撮っておいてよかった。

昨日の優勝者はロドリゲス。
自分は周囲から「SUNADA」と呼ばれるけど「YUZURU」と、しかも正しく発音してくる唯一の選手でもある。
激坂は得意中の得意で、ティレーノ〜アドリアティコのモンテルポーネを2年連続制している。
あの坂の距離は短いけど、その傾斜はすごくて、選手もクルマもいったん停まるとすぐには走り出せない。
一昨年なんか、僕もチームカーを押す手伝いをした。
止まった選手の写真は外国の雑誌に大きく取り上げられるし、公私ともに活躍した(笑)。

ロドリゲスは昨年、チームを出るときに、
「まだ一度もツールを走っていないから、来年(2010年)はカチューシャに入ってツールを走る」と言った。
走るどころか、大きな勝利まで手に入れてしまった。
真っ最中
ツール・ド・フランス期間中の写真の配布のペースは凄く速くて、サーバーにアップロードするとすぐに各国の雑誌やらインターネットやら新聞やらがダウンロードする。
だから、写真の質もさることながら、スピードがとても大事になってくる。
これが実に辛いもので、ゆっくりしている暇は1秒もない。
おまけに仕事先のメーカーからの依頼もひっきりなしで、明日から新しい自転車を使うだの、新型のサングラスとヘルメットをつけるから写真をすぐに撮れだの言ってくる。
精神的にはもうキャパシティを超えている。
パソコンもずっとファンが回りっぱなしだ。
アスタナ
アスタナ
「イギリスからなんかかっこいい本が送られて来た」と連絡があった。
それは例のアスタナのやつだった。
てっきりハードカバーの書籍だと思っていたら、雑誌風だった。
自転車とは関係のない記事が満載らしいので、別に自転車特集ではないらしい。
まあ、中を見ないことには何とも言えないけど、デザインがずいぶんいいらしい(ギャラも良かった。これがいちばん大切!)。
僕の写真以外も使っているようだが、見開きは僕の撮ったヴィノクロフ。
一昨日はコンタドールのアシストで活躍した。
ツールはまだまだ分からないけど、やっぱりコンタドール、シュレク、エヴァンスが強いな。ランスの脱落は想定外だった。
盛者必衰は世の習いということか。
今日は休養日
今日は休養日
オートバイ運転手行方不明事件から一夜明け、アルプスでの本格的なステージ開始。
日の丸を持って応援している日本人の人たちがいたので写真を撮らせてもらっていたら、その目の前で集団落車が発生。
そこに巻き込まれたラダニュスが、立ち上がって僕のオートバイの後ろについてきた。
チームカーの後ろにつくのはいいけど、フォトグラファーのオートバイはだめだよ。
断りつつ、前で血を流しながら走っているピノーのところに行こうとすると、ラダニュスが顔を横に振りながら
「それが人間のやることか」の表情。
でも立場上、できないのだよ。選手は知らないだろうけど、もしやったらこっちに何かしらの処分があるだろうな。
ミラノ〜サンレモで、運転手と話をしながら走っていたら、いつのまにか逃げた選手が後ろにくっついていて、レースディレクターからしかられたことがあったっけ。

しかし、昨日のアームストロングの遅れはショッキングなシーンだった。
初めてのクラックである。

今日は休養日。運転手はミラノの家に帰ったこともあり、僕はホテルで仕事することにする。
行方不明 だった
行方不明 だった
レース終了後にものすごい雨と雹が降り出した。
それで、ホテルに行くのに僕はクルマに乗せてもらった。
オートバイがその後ろからついてくる予定だったが、プレスルームを出てすぐにはぐれてしまった。
そしてホテルで待てど暮らせど到着しない。
いちおうオーガナイザーから警察にも問い合わせてもらったが、事故はないと言う。
気が気でなかった。

心配で夕食もとらなかったが、朝になってオートバイのエンジンで目が覚めた。
無事帰って来た。
あの雨で携帯電話がダメになり、そしてホテルがどこにあるかわからなかったのだという。
フランス語も英語もまったくできないイタリア人だから、人に聞くこともできない。
そして何十軒もホテルを回り、ようやく泊まれるところを見つけ、そして朝になって僕が泊まっているところにたどりついたというわけだ。

長い自転車人生でこれが2回目の経験。最初は20年近く前にクルマの運転手がホテルに来なかったことがあって、やはり今回と同じパターンだった。
でも当時は携帯電話もGPSもなかった。

まあとにかく、今日もまた取材ができるので、本当に良かった。

写真は強烈な雨と雹がふった後のプレスルーム周辺。プールができました。
最悪ホテル
久しぶりに最悪ホテルに泊まった。
まずレストランのサービスが、もーどうしようもない。
同じことを何度も聞くし、なにがあるのかといえば、肉一種類しかないのだ。

無線LANは夜中でストップ。
よくヨーロッパのホテルでこれはよく発生するのだけど、だいたいモデム関係をリスタートすれば、ほとんどの場合はなおる。
ところがフロントのかわいい金髪の女の子、「私には分かりません」
やろうともせず、客の要望を聞く耳をもたない。
「サービスしてあげても私の給料は変わらないのだから、早く帰って」と顔に書いてる。
これは俺だけではなく、泊まっていたツール関係者が次々と訴えるがみんな退けられる。
あげくの果てに「この悪天候のせいですよ」と言われた。

で、朝のチェックアウトでは前もって言われていた料金の3割増。
どうせ向こうはフランス語しかできないし、こっちはフランス語ができないから、そのまま払って来た。
もう典型的なフランスのバカ娘。
年間150日以上ホテルに泊まっていれば、たまにこういうところに当たります。とくにフランスとイタリアに多い。
でも久しぶりに泊まったな、この手のホテルに。
第4ステージ終了
自転車レースは移動が多くて本当に大変。
もうけっこう疲れている。
考えることは、日本の家に早く帰りたいということ。
世界一、居心地の良いところだ。

ところが、ミラノからのJALの直行便が9月いっぱいで廃止になるのは本当に頭の痛い問題。
どうしようかいろいろと考えているのだけど、アリタリアにだけは乗りたくない。
JALにはこれまで貢献して来て、年間5万マイル達成が通算3回。
今年もたぶん達成するから、4回となるだろう。
おかげで、先日もミラノ〜東京往復共に昔のファーストクラス、180度フルフラットのシートをくれた。
もう、こうした恩恵を被ることはなくなり、アリタリアに乗って往復する可能性が出て来た。
かなり頭が痛い。死活問題だ。

こんなことを思っていたけど、ツールはまだ4ステージしか終わっていないことに気づいた。
今日は第4ステージ
食事と睡眠以外はずっと仕事の毎日。
辛い日々が続いております。
仕事の時間があまりに長過ぎる。
大会が始まる前、アメリカの雑誌と賃金値上げ交渉をしたのだけど(といっても口約束だけ。僕らの世界には契約書が存在しない)、それはまず成功した。
ところが昨日、
「おい、編集長がおまえの写真のアップロード遅いと言っているよ」と教えられた。
よって、レースが終わると一目散にプレスルームに向かい、一目散に写真を送る。
でも、一目散にホテルに行くわけにはいかず、そこでまた長々と働くわけだ。
世の中のすべてがきっと同じだと思うけど、自転車で食って行くのは大変です。
ブリュッセルから
ブリュッセルから
昨日のステージはロッテルダムからブリュッセルだったけど、ご存知オランダやベルギーの自転車熱はものすごくて、とりわけツールとなるとさらにボルテージが上がる。
写真を見てください。ラルプ・デュエズじゃないです。ふつーの平坦な道路にこれだけの観客が集まり、これが延々と続きます。
オートバイでプロトンを抜くときも、観客に邪魔されて、もう大変です。

食事はやっぱりジロ、つまりイタリアの方がずっといいです。
コストパフォーマンスがぜんぜん違います。
ロッテルダムから
暑いです。
市内は数日前からコースの設定で渋滞が激しくなっています。
これからプロローグの撮影でコースに行きます。
が、オートバイの運転手がまだイタリアから到着しません。

あっ、今、電話があり、あと140kmのところだそうです。
時間まで着かなければ、歩いてコースに行って撮影しよう。