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片山右京君のジロのテレビ放送
ジャパンカップで佐野ラーメンを下さった方、お名前を聞くのを忘れてしまって大変失礼しました。
今日、自宅でいただきましたが、本当においしかったです。
どうもありがとうございました。

送られて来た片山右京君のジロ取材のDVD(NHKで10月14日に放送されたもの)、昨夜になって一部見ましたが、いきなりペタッキとファラーに突っ込まれた自分が出て来て笑いました。
あれを交わせなくなくなったときは、この仕事をやめるときかもしれません。

あの、チームカーでヴォルピが運転しながら激を送るシーン、なかなかよかったです。イタリアの放送禁止用語もちらっと入っていたのですが(といってもみんな笑うようなやつ)、臨場感たっぷりでした。
大事なのは記録すること
イタリアに戻ったトンティ(フジ)からメールをもらった。
「本当に良い経験だった」と書いてあった。
皆さんの応援がありがたかったのだと思う。

最初に彼を見たときは、カンティーナ・トッロでディルーカのアシストをやっていた。
ディルーカはあるステージで遅れてしまって総合が絶望的となったので、今度は区間を狙いに攻撃した。そのとき、山場でトンティがリードした。
ところが調子の悪いディルーカは切れてしまった。にもかかわらず、トンティがこれに気づかずに前に行ってしまったものだから、僕はオートバイから彼にこれを教えてスピードを緩めさせた。

いちばん彼の走りで印象にあるのは、2004年のジロ。
サエーコでシモーニのアシストをやっていたのだけど、クネゴが絶好調となった。
そしてドロミテのステージで、マッツォレーニといっしょに先行し、そして後ろからアタックしたクネゴを迎え入れて、3人で走り続けたのだ。
クネゴはこのステージをとってマリア・ローザをポポヴィッチから取り戻したのだけど、この翌日のちょっとした上り(たしかトレントの方だったと思う)でトンティが遅れた。やはり前日、相当無理したのだということが分かり、ちょっと感動してシャッターを切ったのを覚えている。

ところで今日、友人のお父さんの葬儀に出席したのだけど、近所のおじさんがその様子を写真に撮っていた。
どんなに悲しい出来事でも、家族にとって葬儀は貴重なこと。
写真はあとからとても大切になってくるはずで、これぞ記録写真の神髄だと思った。
うまいとかへたとか、そんなものは二の次で、記録することに意義があるわけです。

僕はチクリッシモという雑誌をスタッフといっしょにやっている。
読んでくれているプロのデザイナーたちから、もっとデザインがんばれよと言われることも少なくないのだけど、信条にあるのは、なによりもこうした記録なんです。
そうしたことがちゃんとできてる本は、時が経つにつれてより貴重になると思う。
早い話が、みなさんの本箱にいつまでも収めていただけるようなものを作りたいと思っているわけです。
自分には関係のない世界から
ドルチェ&ガッバーナって知ってますか?
イタリアの有名ファッションブランドというのは僕も知っていますが、ミラノのモンテ・ナポレオーネ通りを歩くのも苦痛な自分にとってはまったく関係のない会社です。

ところが今日、イタリア本社から連絡が入って、本に使いたいから写真が欲しいと。
しかも、イタリアだけでなく、世界に行くとか。
すでにダウンロードも始まっています。
今年そういえば、本人たちがヴェネツィアのリードのチームTTに来ていました。
マリア・ローザをデザインしただか、スポンサーしたとか...(良く知りません)。

これまでいろんな会社の仕事をして来ましたが、これほど自分と関係のない所は初めてです。
自分の写真だけで構成されるのか、あるいは他の人のも使うのか知りませんが、ギャラ+服なんてなったら、どうしよう...(なんてあり得んな)

担当者が「会いたい」なんて言ってきたら、着ていく服ありません。
いっそのこと、自転車に乗ってパールイズミを着ていくか。
ジャパンカップ終了
今、まだ宇都宮にいます。
時差ぼけがまだ治らないので、今日も3時前に起きて、これを書いています。

ジャパンカップ、すごい人出でした。これまでの最高記録でしょうね。
僕はオートバイに乗って撮っていましたが、ヨーロッパのクラシックレース並みに観客がいました。

大会運営も良くできていて、取材しやすかったです。スタッフの皆様、おつかれさまでした。
一つ要望としては、ラジオツールで逃げた選手のゼッケンと名前が瞬間的に入ってくれば、なお良かったです。
僕は経験から選手を後ろから見ても誰か分かりますから、個人的には問題ないのですが、クルマに乗っていて前方がよく見えない監督たち、それからラジオツールを聞いて場内アナウンスをする人は、瞬時の情報が必要だからです。
ヨーロッパのレースでは、アタックや逃げた選手のゼッケンを知らせるだけのオートバイがいますから(大きなレースでは数台。しかも一人乗車なので、小回りが利く)、アタックした瞬間でも、すぐにそれがラジオツールに反映されるのです。
僕が大会のオートバイを1台使わせてもらったのでスタッフが不足してしまったのが原因かもしれません(すみません)。
これがあれば、ジャパンカップのレース運営は、本当に100点満点でした。

今日の展開は、まずフォイクトのアタックで火がついて集団が分解。後ろから新城とヴィスコンティが追いついたけど、その瞬間にラストラスがアタックしたので、これで新城が力つきました。
ホテルで今中君といっしょに食事していたのですが、そこに入って来たラストラスに
「今日はがんばったじゃないか」と言ったら
「でも後ろを見ながら走ったから、結果はなしだよ(つまり彼のアタックは、おとり)俺のことを見ていたのは君しかいないよ」と、アシスト役の辛さをポロリ。
でもそのあと、スペインから持参して来たおいしいワインをラストラスから奢られ、さらにロドリゲスからはスペイン名物のチョリソが差し入れられ、夕食をエンジョイしてきました。
宇都宮のジャパンカップから
ジャパンカップで宇都宮に来ています。
もう時差ぼけの真っ最中で、苦しいです。
自分の場合、今ヨーロッパとの時差が7時間なので、回復までに7日間かかりそうです。
夜中に目が覚めて朝まで寝られないというのが7日間続き、その後いきなり朝まで熟睡する日がやってくるのです。
今も、夜の2時半ですが、目が覚めたのでパソコンの前です。

昨日は昼寝して、目が覚めた後にどうしてもエスプレッソコーヒーを飲みたくなり、スターバックスに行きました。
考えることは同じだったのか、フジ・セルヴェットのスタッッフも3人いました。
(選手のカペッキが来なかったのは、ボローニャでクルマを荒らされてパスポートを盗まれ、再発行が間に合わなかったのだそうです。)
その中の1人は今年でチームを離れるのですが、ヴァンデンブルックとマペイで3年間いっしょで、いろいろと昔話に花を咲かせました。
僕らの中ではリエージュ〜バストーニュ〜リエージュが有名だけど、スペイン人にとっては99年のブエルタ・ア・エスパーニャのアビラのステージです。
ウルリヒ、ヒメネス、エレラ、トンコフ、ブランコらの前に立って上りをずっと一人で引き続けて、集団をずたずたにしたステージです。YouTubeにもそのシーンがいっぱい出ています(オートバイも転んでいますから見てください)。ずーーーーっとひきっぱなしで、圧巻です。
当時のレースは誰もヘルメットをつけていないので、本当の選手が走っている感じです。

話がアームストロングのことになってびっくりしたのは、今年の3月23日、ブエルタ・カスティーリャ・イ・レオン第1ステージで右鎖骨骨折したことを覚えていますよね。
あそこに記念碑みたいたものができたそうです。
来年はパンクした地点にできるかも...。

今回のジャパンカップはオフィシャル・カメラマンの役を仰せつかっているので、もうベッドに戻ります。
チクリッシモ第16号発売のお知らせ
チクリッシモ第16号発売のお知らせ
砂田弓弦監修の自転車ロードレースマガジン『CICLISSIMO』(チクリッシモ)第16号が発売になります。

グランツールの最後を飾るブエルタ・ア・エスパーニャとロード世界選手権の完全レポート号です。地元スペインのバルベルデが念願の初優勝を遂げたブエルタと、予想外の展開でエヴァンスが優勝した世界選を、砂田弓弦撮影の迫力写真を掲載したグラフィックな誌面でレポート。

巻頭特集は、全14ページの「レースは“旅”だ!」。J・ロドリゲス、D・クネゴ、D・ベンナーティの旅道具を大公開! 
またブエルタに30回(!)帯同した名メカニック、A・タルボが人生の旅を語ります。レース関係者に、旅に関するインタビューも実施。携行するパンツの数まで明らかになりました。

10月25日に、いよいよジャパンカップが開催されます。そこで、参戦する海外有力プロ選手のバックグラウンドや戦績、脚質が分かるようにプロフィールを掲載。
さらに、昨年大好評だった参戦海外プロチームサイン帳を綴じ込み付録としました。今年は、取り外して観戦時に携行できるようミシン目加工を施しました。

●チクリッシモ第16号、サイクルスポーツ臨時増刊、八重洲出版発行、10月20日(火)発売、税込み定価1,575円、A4ワイド判120ページ、とじ込み付録:2009ジャパンカップ参戦海外プロチームサイン帳
帰国
今日の夜のJAL便で帰国するけど、ミラノ〜東京間が将来は廃止の方向というニュースがブエルタ期間中に流されたときはショックだった。
フランクフルト経由のANA便もあるけど、空港での乗り継ぎが何時間もあったりして、現実的でない。
なにがあってもアリタリアには乗りたくないし。

アリタリアには関係ないけど、何年か前のあのマルペンサ空港の荷物係たちの集団泥棒事件。組合の力で免職にならなかったというから驚きである。
今日、許されている荷物の重量は70kg。さっき計ったら、なんとちょうど70kg。ちょっと心配である。

ロンバルディーアにイギリスのプロモーターが来ていて、来年アブダビでレースを開催するという。
ジャパンカップと同じ日である。
「もしジャパンカップにいかないのなら、招待するよ」と言われた。
困った。

とにかく、日本に戻ってやることが山積みである。
ロンバルディーア終了
家から日帰りで行けるクラシック。すべてのレースがこうだったらどんなにいいだろうとよく考える。
でもシーズン最後のレースだから、もうムードとしてはリラックス。
ガゼッタのチーフは子供を連れて来た。
ジャンネッリ(キャプーチのアシストを務め、今はゾメニャーンの運転手)はその子供に「学校の成績はどう?」
子供「うん、10もいっぱいあるけど、7もあるよ」
ジャンネッリ「お父さんは選手に点数をつけるよ」
砂田「世界選のときはクネゴに5とか...(笑)」

代理人連中も最後の追い込みなのか、営業に急がしそう。
自転車メーカーとしては、今のCSFがコルナーゴ・CSFとなり、そしてブイグもコルナーゴになる。
アスタナの監督はどうやらマルティネッリになりそうで、自転車は模索中なのかなあ。数日前、エルネストにヴィノクロフから電話もあったらしい。
スカイは、いろんな話があった末に、結局ピナレッロを使うことになった。
セッラの入ったカルミオオーロに1年間走っていなかったグリッロが入ることになり、またチームもコンチネンタルからプロフェッショナルに格上げになることを、チームを経営するディシルヴェストロから聞いた。

まあ、他にもいろいろあるけど、省略。
レースが終わって、
「良いクリスマスを。ア・ハピー・ニューイヤー」という挨拶を交わし合って帰宅した。
早い挨拶だけど、次のレースは1月だから、それまで会わない。
そういえば、来年のダウン・アンダーの招待が昨日来た。
今日はロンバルディーア
昨日、ガゼッタ本社のマーケティング部に用事があっていってきた。
そして、写真が使われたジロ100年記念のDVD16巻セットと写真集をもらってきた。
お土産にジェイスポーツのカレンダーを1部置いて来た。

ミラノの旅行代理店に寄ったあと、ヴァレーゼにロンバルディーアの大会受付に行った。
そうしたら、プレス担当者が
「お前の名前なんか、オートバイリストに入っていないよ」という。
「確認のメールももらったよ」と言うと、睨みつけるように
「さっき、本社のマーケティングにカレンダー置いて来ただろう。なぜおれのところにも持ってこないんだ」と、恐喝するではないか!

「ああ、分かった、分かった。今度送るから」と愛想笑いをし、そのあとつまんないカメラマン会議に出席し、自宅に戻った。

もう朝の冷え込みは厳しく、オートバイはかなり寒いだろうなあと思っている。
優勝候補筆頭はジルベール。すごい勢いで勝っている。
クネゴやバッソはどうだろうか?
パリのホテルで
パリのホテルで
昨日、友人とおいしいフランス料理を食べていい気分でホテルに戻ってパソコンを開いたら、ヴァンデンブルックが亡くなったと出ていてびっくりした。
つい先日の世界選ではトザットと一緒に歩いていたので、写真を撮らせてもらった。
昨年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュでラ・ルドゥットの壁に行ったら彼がいたのでしばらくしゃべったのだけど(イタリア語がとてもうまい)、ちょっとしたらまた復帰するからと言っていた。
次の日のガゼッタは、VDBリエージュに現れるとして、ちょっとしたスクープみたいにここでの僕の写真を使った。

彼の行動は全部伝説だった。
ブエルタ・ア・エスパーニャで毎晩朝帰りを続けたのに強かったなんてのは有名で、ペタッキの家にいったとき、当時ガールフレンドのキアーラに
「今度ファッサにVDBが来るんだ。すごい選手だよ」と、例のブエルタでの逸話をペタッキがたんたんと話したのがつい最近のように思い出される。

レースで有名なのは、なんといっても99年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ。歴代最速記録での優勝だった。
でも自分の中では、その前の年のヘント〜ウェヴェルヘム。後ろでチポッリーニのためにシレーアやカルカテッラら大男たちが死にものぐるいで列車を作って追ったけど、マペイのチームメイト・マッタンらと逃げ切ったとき。僕のオートバイのスピードメーターはずっと60キロだった。あのときは本当にしびれた。

うーん、滅多に出てくることのない天才選手だった。

(写真は9月27日、メンドリジオで撮ったもの)
パリから
昨日、パリ〜トゥールが終了。
前夜、同業のカメラマンたちと酒を飲んだり、食事をしたりしながら情報交換をして楽しかった。
まあ、この仕事を長くやっているのばかりで、インターネットなんかではとても知り得ないディープな内容ばかりで、楽しかった。
夕食は、イギリスのカメラマンに「今度ダウン・アンダー(来年1月開催)で返してもらうから」ということで、おごってもらった。
器が大きい!(おごってくれる人だけにこの言葉を用います)。

今朝、トゥールからTGVに乗ってパリに移動してきた。
明後日、ツール・ド・フランス2010のコース発表があるのだけど、それが終わったらミラノに戻る。
だけど、もうルートの一部を例のカメラマンから聞いて知ってしまった。
ホテルの予約をやってみたけど、やっぱりとれなかったそうだ。
ジロも一部聞いたけど、また例のとんでもない移動があるそうで、倒れそうになった。
明後日からフランス
パリ〜トゥールと、ツールのコース発表の取材です。
その間、フランス人の友人とパリで食事することも約束しました。
「フランスにはあり得ない」なんて昨日の日記に書いたけど、フランス料理を食べたいとオーダーしておきました。本当は大好きなんです。値段が釣り合わないくらい高いのがいやなだけで。
日本食に行くかとも言われたけど、ヨーロッパにいるとき、まず日本食屋に行くことはありません。別に恋しくないし、日本に行けば、毎日日本食だから。

でも、洋食を日本人風に食べることはもうできなくなりました。
具体的に言うと、たとえば飛行機の機内食をどのお皿からもまんべんなくとって食べるやり方です。
欧米の人だったら、ひとつずつ終えて行くのです。
日本人か外人かを飛行機の中で見分けるのは簡単です(笑)。

フランス人の家庭に招かれたとき、なんだったか忘れたけど、袋を出されました。
僕はどこから破れば良いのか手に取って見たら、
「さすが日本人!フランス人だったら見ないで噛み破るよ」と言われました。
たしかにその通り。
ホテルについている袋入りのシャンプーなんて、切れ目が入っていないのが多く、手で破れないことが良くあります。
噛みつくしかないんです。
ヨーロッパの七不思議の一つです。
あんな製品を日本で作ったら、すぐ倒産するはず。

夜、テレビのニュース見ていたら、来年のジロの最終ゴールはまたミラノではないとのこと。
がっくりきました。
レストランでエルネストと遭遇
数日前、ミラノの家にエルネスト・コルナーゴから電話があった。
「今どこにいるんだ?日本か、レズモか?(僕の住んでいる町)。レズモだったらいつここに寄れる?」
家の固定電話に掛けているのに、日本はないだろうと思うが、秘書にダイヤルさせているから分からないのだ。
世界選が終わって疲れきっていて、どこにも行きたくないのに、相手が相手だから
「午後に伺います」と、まるで酒屋のお兄さんみたいな返事をしてしまった。まあ、家からクルマで15分ほどだが。

仕事の話だったけど、そのあと近くのレストランに、イタリアで働く日本の友達と待ち合わせて行ってきた。
値段の割に味のレベルはすごく高く、これがイタリアのいいところ。フランスではあり得ない話だ。
そこのオーナーたちも自転車が好きで、フレイレの世界チャンピオンジャージが壁にかけてあったりする。
僕が頼んだのは、まずパスタが、イカスミが練り込んである黒いタリアテッレで、そこに小さなエビが入っているが、これがほのかなカレー味。絶品でした。
メインがアンコウの白身のフライ。
「おお、うめえ」なんてワインを飲みながら2人で食べていると、なんとそこに、別れたばかりのエルネストがクライアントら数人と入ってきた。
彼もそこの常連なのだ。

で、コーヒーを飲み終えてお勘定しようとすると、お店の人が
「エルネストに回すようにとの指示がありました」
うーん、巨匠は器が違う!
遠くからお礼を言うと
「次は写真を無料にしろよ」と笑っていた。
写真集出します
写真集出します
今イタリアにいるのだから、バールに行ったり友人と会ったりしたいところなんだけど、仕事に追われているため、ずっと家に閉じこもっています。

10月20日に出るチクリッシモ16号の方は片付いたけど、今やっているのは年内に出す予定の写真集の準備です。
以前、日本の月刊誌で10年間ほどフォトエッセイの連載をやっていたことがあります。
今は、日本の月刊誌の仕事からは手を引いているのですが、やめた当初はそれをまとめたものが読みたいというご要望のメールを本当にしょっちゅういただきました。
その後はチクリッシモに集中していたのですが、ここにきて写真集のチャンスをいただいたので、過去のこれらのフォトエッセイも中に加えたスタイルで行くことにする予定です。
今回はツール・ド・フランス一本で行くのですが、将来はジロや他のワンデーレースのものも出せれば良いなあと思っています。

10月下旬からしばらく日本にいるのですが、写真を使った講演会などもいくつか予定されているみたいなので、そうしたところでパンフレット、あるいは完成したものをお見せできるかもしれません。

それからジェイスポーツから来年のカレンダーが発売になっています。こちらの方も、ぜひよろしくお願いします。
F1見てました
昔だったらチューリヒ選手権の日なんだけど、数年前にレースがなくなって以来、自宅にいるようになりました。
日曜日にミラノの自宅にいるのは、年間でたぶん今日ぐらい。

鈴鹿でF1があったのですね。テレビで観ましたけど、ここミラノと同じく快晴でした。
日本から後藤久美子を持って行ってしまったアレジがイタリアのF1テレビ番組に出ていたけど、さすが両親がイタリア人だけあって、イタリア語は完璧なんですね。
フランスなまりは当然あるとしても、会話のやり取りはきわめてうまい。

僕はモンツァにいて、一度はモンツァのサーキットの年間パスまでもらったことがあったけど、F1は興味がなかった。
でも、自転車を通して佐藤琢磨君や片山右京君というすばらしい男たちと知り合い、テレビでやっていれば必ず見るようになった。
佐藤君から「ぜひ写真を撮りに来て」と言われたことがあったけど、オートバイの乗りいれがどうやら禁止されているみたいなので、やめた(笑)。
本当は、申請すれば誰でも撮れる自転車とは違って、撮影の許可が絶望的に下りないと聞いたことがある。

テレビで「トヨタが来年も存続することを祈ります」と言っていた。
「えー、ホンダに続いてトヨタもかよ」と思ってインターネットで調べたら、やっぱりそういう噂があるようだ。

イタリアで取材のお手伝いをした片山右京君の自転車の番組(ジロが中心)が10月14日にあるようです。
ツール・ド・フランスのコース発表の日ですね。
僕はそれにも行くけど、イタリアでの最後のレース・ジロ・ディ・ロンバルディーアを取材し、いったん日本の自宅に戻ってから、宇都宮でのジャパンカップに向かいます。
こんなことがありまして...
これまでガゼッタやレキップ関係に写真を送るのは、ミラノの写真エージェントを通していた。こうした大手新聞社になると、通常は個人カメラマンは相手にせず、どうしてもエージェントが必要なのだ。
ところが、ブエルタ期間中の9月下旬、40年に渡ってやってきたこのミラノの有名エージェントが突然閉鎖した。すでにリストラを進めていて、何人も辞めていったのだけど、閉業は寝耳に水だった。そこの自転車の写真をもう十数年間に渡って一手に請け負って来たのだ。

このエージェントから、ジロでの写真のお金をまだもらっていなかった。ガゼッタ関係だけでも日刊紙、DVD16巻、ミラノのボッコーニ大学での写真展などに写真がたくさん使われていて、その額はクルマが買えるくらいにのぼる。

倒産ではなくて閉業なので、お金はもらえると言われているが、それが100%なのか50%なのか、そしていつになるかなどは清算が終わらないと分からない。
これはもう自分の力ではどうしようもないので、まずは今後の販売ルートを立て直さなければならない。

今朝はオーストラリアでエヴァンスの書籍を出すから写真を使いたいと言うメールがあり、商談は成立。これからはこうした細かな仕事も全部自分でやって行かなければならない。
まあ、マージンがとられないのでいいのだけど、請求書などはかなり面倒だ。

さて、レキップの写真担当者は幸いこちらのことを以前から評価してくれていたこともあり、話はすぐにまにまとまった。これからは直接送ることになった。
一方のガゼッタだけど、直接取引をしているイタリア人フォトグラファーに聞いたら、彼はサッカーやら自転車やらを長くやって来た末にやっと認めてもらえたそうで、サーバーに直接送るために必要なパスワードを手に入れるのは、イタリア人でもまず無理とのこと。
しかし、ガゼッタの自転車部門のチーフが会社に強くお願いしてくれた。事実、ブエルタ期間はほぼ毎日、僕の写真が使われていたのだ。
だけど10日が過ぎた今日も連絡がなく、もう不安が募るばかり。気分転換のためもあって、近くのスーパーマーケットに買い物に行った。
そこにちょうどガゼッタから電話があって、パスワードが出されることになったと言う。
災い転じて福となすとはこのことで、20年以上仕事をやって来たかいがあったと心底思った。
もちろん、写真を直接送ったからといってバンバン使われるわけではないけど、自転車競技とは無縁の国から出て行った一個人が、世界の二大スポーツ新聞と直接取引ができるのだ。自分の中では別府や新城以上の快挙(笑)!

だけどまあ、例のジロの売掛金が本当に回収できるのかどうか。良い正月が迎えられるのかどうかはこれからの展開次第。
ブエルタをパンクで失ったエヴァンスが世界選を制した例もあるし、僕も前に進むのみ。
ちなみにガゼッタからのパスワードはイタリア語で「子ネズミ」。子ネズミだって毎日柱を噛んでいれば、家をも倒す、よね(?)。