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ミラノから
イタリアにいるのだけど、昨日今日と仕事先に挨拶などをしている。
コルナーゴでは新チーム・ティンコフの自転車の準備に追われていたし、リクイガスのスタッフは今日から合宿で、初日は写真撮影があると言っていた。
もう来シーズンの準備が始まっているのだ。
ガゼッタにも行ってきた。今週はジロ・ディ・イタリアのコース発表があるのだけど、僕は明日からドーハに入るので、参加できない。
どこもジェイスポーツとシマノのカレンダーを置いてきたけど、とても喜んでもらった。

12月は2日間だけスキーのワールドカップの撮影を予定しているが、ヨーロッパはまったく雪がなく、かなり異常気象らしい。
地球温暖化はもう明白になっていると思う(とはいえ、こちらは日本よりも寒い)。
明日ミラノからフランクフルト経由でドーハに入ってアジア大会の撮影だ。
マジソン世界チャンピオンのガルベスが事故死
マジソン世界チャンピオンのガルベスが事故死
ガルベスがヘントの6日間レースで死んだと、サイクリングニュースの速報に出ていてびっくりした。
ヘントの6日間レースと言えば、ベルギーのロード選手が集まって、シーズンオフを良いことに、酒をがんがん飲むことで(僕ら内輪の間では)有名だ。
しかも、土曜日から日曜日の深夜での事故で、いちばん盛り上がるときだったが、6日目はキャンセルされることになったと言う。

僕は先日、ベルベルデとロドリゲスについて東京を回っていたけど、ロドリゲスの去年までのチームメイトであるシモーニが、今度MTBからさらにトラックレースに挑戦することを話したとき(ロドリゲスはこのことを知らなかった)、彼らの今のチームメイトであるガルベスの話に及んだ。
僕自身、今年ボルドーで行われた世界選手権で、彼が世界チャンピオンになったときも撮っている。
ガルベスとは直接話したことはなかったけど、プロトンの仲間だった。

プロトンの仲間とは、つまりこういうことである。
バルベルデにしろ、ロドリゲスにしろ、僕はこれまで直接話をしたことがなかった。
だけど実際に会うと、「やあ、元気かい?」となる。つまり、レースでしょっちゅう顔を見ているから、しゃべったことはなくても、もう顔見知りの仲で、この世界でやっている仲間意識があるのだ。
ガルベスだってケルメ時代を含めてジロを2度走っているし、去年・今年はツールも走っている。もちろん他のレースでも僕らは何度も顔を合わせていた。
いつも近くにいる人が突然死ぬと言うのは、かなりショッキングなことである。しかも、3週間前に結婚したばかりというではないか…。

それにぶつかったもう一人の選手デファウだって、クイックステップで走っていた昨年は、ヘットニューズブラッド(ツール・デ・フランドルの主催社で、ベルギーではレキップやガゼッタに当る)の仕事で撮影しているし、今年も同様に同紙に出て、僕に個人的に写真をもらいにきている。
スポーツの上の事故とはいえ、彼だって一生重荷を背負って生きていくことになるかもしれない。

僕は明日からアジア大会に行くけど(イタリアに数日間滞在してからドーハに行く)、かなり心が重たくなった。
(写真は今年の世界選マジソンの表彰式。左がガルベス。ロード選手のトラック世界選での勝利は、そう数あることではない)
ポール・クラーク
ポール・クラーク
オーストラリアのポール・クラークという選手、ナトゥリーノで走っているのだけど、面白い経歴を持っている。エンパイア・ステートビルディングの階段上り競走で、1999年から5連勝しているのだ。しかも、1978年から始まったこの大会で、9分33秒という最高記録を2003年に樹立していて、これは今も破られていない。 
http://www.esbnyc.com/tourism/tourism_specialevents_runup_previous.cfm?CFID=14220&CFTOKEN=1408

今年のツール・ダウン・アンダーでは、昨年限りでセッレ・イタリアを離れて今は母国オーストラリアで配管屋をやっているルッセル・ヴァンホートといっしょにワン・ツー・フィニッシュを決めているし、その後、ティレノ〜アドリアティコも走っている。
だから、しゃべったことはなかったけど、“プロトンの中の仲間”だった。
ところが11月10日、ニュージーランドのレースで、突風が原因で落車し、打ち所が悪かったため、下半身不随になってしまった。
29歳でこんなことになってしまって、もうかわいそうでたまらない。
(写真は今年のダウン・アンダーでのクラーク(左))
移籍情報
移籍情報
選手の移籍の契約の時期が昔と比べてすっかり遅くなってしまったことと、フォナックの消滅やオペラシオン・プエルトに巻き込まれた選手やチームの処遇もあって、自転車界は混乱している。
あのウルリヒの行方がいまだに発表されていないと言うのは、その象徴であろう。
オペラシオン・プエルトが白紙に戻った今、マノロ・サイス(アスタナの前身であるリベルティ・セグロスのオーナー)のプロツールへの復帰が許されることになるだろう。
今日のガゼッタは、ジロ・ディ・イタリアを2度とったサヴォルデッリのことを報じた(ちなみに写真は僕のもの)。それによるとサヴォルデッリはアスタナと契約したが、この混乱のために(先日来日したロドリゲスから聞いたのだけど、サイスとアスタナの二重契約となっている選手がいる。そもそもヴィノクロフがブエルタで優勝したときのパーティーにサイスが駆けつけていることに驚いた私)、ボイファーヴァのチームに行く可能性があるというのだ。
ボイファーヴァはフレームのカレーラのパトロンなんだけど、現役のときにはマリア・ローザを着たこともある。
話はそれるが、イタリアのベテランカメラマンに聞いたのだけど、そのとき走りの写真が撮れなかったので、レースが終わってからホテルに行って、マリア・ローザを着てもう一回走ってもらったという。古き良き時代の信じられないような話である。
ボイファーヴァはイノックスプランやカレーラという強豪チームを編成し、ヴィゼンティーニ、ローチェ、キャプーチ、そしてパンターニらを輩出した。
だけどここ数年は大きなスポンサーを見つけられず、今はアンドローニという小さなチームに甘んじている。
ところが、来年はこのアンドローニとLPRが合併して大きくなるのだ。ここにナルデッロが加わったことが数日前に発表されたし(それまではバッソが同じチームに連れて行く可能性があると報じられていた)、今はセビリャやジロ2位のグティエレスを勧誘していると言う。

ちなみにこれまでLPRを仕切ってきたピシーナは、ロシアの企業ティンコフ(ビール会社も傘下に持っている)をスポンサーにハミルトン(まだ正式発表はされていない)やホンドといった脛に傷持つ選手を加入させて、一癖あるチームを作る。
サントーニはスポンサーを代え、ナトゥリーノからアウルム・ホテルズとなる。
ランプレのテスト生で走った中国の選手は、最初のレースではちょっと走っただけでリタイアした。来年のチームメンバーに入っていないのは当然か。香港の選手も入っていない。
また、サンマリノにチネッリ・エンデカというチームが誕生し、ここにイランのミズバニが加入する。
このイランの選手は、今年のアジアツールで1位となっている。数年前にランカウイで見ただけだが、まさにアジア最強だろう。(写真はミズバニ)
デジカメ欲しいなあ
週末は東京にいたのだけど、いつものようにヨドバシカメラに行ってきた。
最近は新宿よりも、秋葉原の方によく行く。
気になるのは、コンパクトなデジカメ。
やっぱり一個もっているととても便利なはず。
世界選手権では、ベッティーニが表彰台から降りてきて両親と抱擁したのだけど、2台のカメラとも望遠レンズがついていたために、僕のちょうど目の前で起きたこのシーンが近過ぎて撮れなかった。
こんなときは、さっとポケットからコンパクトカメラを出して撮ればいいのだ。

というわけで、カメラ売り場でいろいろ見てきたけど、いちばん気に入ったのは、やっぱりリコーGR。
キャノンのPowerShot G7という新しい機種も使いやすそうで気に入ったけど、乾電池が使えない。
僕は普段オートバイからの撮影が多いため、機材を多く持ち歩けない。
だから、専用の充電器を使うものはダメなのだ。充電器が邪魔なのである。
その点、リコーのGRは乾電池が使えるし、ズームがない分、故障も少ないことが期待できる。なにより小さくできている。リコーのフィルムのGRを持っているけど、レンズがいいのは周知の通り。
でも、そろそろ新しい型が出る噂もあり、今回はかろうじて購入を思いとどまった。
東京から戻る
週末はまた東京で過ごした。金曜日から土曜日にかけてサイクルショーに行って、バルベルデとロドリゲスについていた。土曜の夜は下北沢のストンプという近藤房之助さんのバーに行ってきた。
日曜日は自由が丘でポジティーボというお店をやっている元ファッサのメカニック永井君のところに寄った後、チクリッシモの打ち上げに行った。自由が丘のイタリア料理の店ラ・ガレリア・ビアンキというお店で、オーナーの手島さんに腕を振るっていただいたおかげで、おいしいごちそうをお腹いっぱい食べてきた。

帰宅は今朝。今日は雨だったけど、明日は天気がいいみたいだから、自転車に乗ろう。
来週からアジア大会に向けて出発する。これを皮切りに今後は海外取材が毎月あるので、実際のところシーズンインという感じ。短いオフシーズンともうすぐおさらばで、ちょっと悲しい。
じょーしき
じょーしき
来シーズンの契約の話なんかをしたり、仕事の打ち合わせがあったりするけど、自由時間が唯一とれる時期。
アマゾンで本を買いまくっているけど、もうひとつやめられないのが、音楽をダウンロードして買うこと。
こうしたものがあることは知っていたけど、やり始めたのは数日前から。

恥ずかしい話なんだけど、レンタルCDというものがあるのを知ったのはつい数年前だった。
それまでCDってレコード屋さんで買うものだと思い込んでいた。
ジェイスポーツが、富山にある僕の家まではるばる取材に来た数年前、レコード屋に行ってCDを買ってから空港に迎えに行ったことを今でも覚えている。

でもこんな俺でも、バッソよりはまし(だと思う)。
先日、新宿の高層ビルで撮影中、俺がトイレに入ったら、彼が「じゃあ俺も」と言ってついてきた。
二人で並んで小便をしながらも、質問を考えるというプロ意識の高いこのアタシ。
とはいえ、臭いところでレースの話もなんだから
「飛行機はなにクラスで来たの?」とナイスな質問をした。
意外にも、
「クラスってなに?」とのたまう。
「だからファースト、ビジネス、エコノミーのどれで来たの?」
ところが、マリア・ローザをとったこの男、なんのことか知らないのよ。
たまたまそこに彼の弁護士もションベンしに入ってきて、この高尚な会話を聞き、バッソにクラスがあることを説明し出した。
「ふ〜ん」と言ってトイレから出ていくこの大物の後ろ姿に、来年はツールをとれると確信したぜ。
(写真はトイレの中ではありません)
フォトショップ勉強中
先日、早川廣行さんのフォトショップの講座に参加させてもらった。
この人の名前を知らない人はもぐりで、これまでフォトショップの本を28冊も書かれたという!
講座で開口一番、本を出すことがいかに大変なことかを話された。
のっけからこの話だったので驚いたけど、ぼくもこれまで本を何冊か出しているから、よく分かった。
ベストセラーになるような本は別として、一部の人を対象にした本なんて、最初から利益は度外視していかなくてはならないのだ。
たとえば僕はこれまでライフワークでイタリアの自転車工房の本を2冊出した。
とりわけ最初に出した「イタリアの自転車工房、栄光のストーリー」には2年かけたのだけど、原稿料はたしか数十万円だったと思う(もちろん取材にかかる費用はすべて自分持ち)。
僕はそのときすでに結婚していた。
家庭を持ってこんなことをやるのは、なかなかできないことだと思う。
早川さん自身、「本を出した人には一目置いています」ともおっしゃった。
というわけで、早川さんのフォトショップの本を買って一から勉強しているこの頃です。
行ったところ、行きたいところ
行ったところ、行きたいところ
ここんとこ暇だから、自由時間がとれてすごく快適。
今日はアマゾンにまとめて1万5千円分、欲しかった本を注文した。
昨日はスイッチをいう雑誌を買ってきた。ときどき読むのだけど、あんな雑誌を作ってみたいものだと思うときがある。
一昨日はMacPowerというパソコン雑誌を買った。コンピューターのことがほとんど出ていなくて、そこが逆に良かった。これもときどき買う。
今回はフォトグラファーなどが、行ったことのあるところを列挙していた。
僕も列挙してみることに。まじめに思い出すのは初めてのこと。
トランジットを含めないとして、
ポルトガル、スペイン、フランス、モナコ、アンドラ、イタリア、サンマリノ、バチカン、スイス、ドイツ、オーストリア、ルクセンブルク、ベルギー、オランダ、イギリス、アイルランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、スロベニア、クロアチア、ロシア、カタール、韓国、台湾、香港、マレーシア、オーストラリア、カナダ、アメリカ、メキシコ、コロンビア。32カ国と、思ったよりも少ないなあ。
ベネズエラやブラジル、それにウクライナに行って、ルハノやフィッシャー、ポポヴィッチといった選手のオフシーズンの取材をしてみたいものだ。
それから、日本でもいいけど、秘境と言われるような離れ島にも行ってみたい。
文明がなかった頃、僕らの住んでいるところでも、ものすごくきれいだったに違いない。
たとえば1931年に41メートルと世界一の透明度を記録した摩周湖も、最近は10メートルちょっとに落ちているという。
離れ島に、もしそんな自然が残っているとしたら、ぜひ体験してみたいものだ。(写真は今年のカタールで、友人のワトソンと)
サインを頼むなら、割りばしの袋じゃダメ
サインを頼むなら、割りばしの袋じゃダメ
昨日、バッソの写真をプリントした。
今度12月に彼の家に行くとき、プレゼントすることを約束したからだ。
彼にはこれまで何枚もあげているのだけど、ここまで自分の写真を欲しがるのは、選手としてはキャプーチ以来。写真が大好きみたい。ヴァレーゼに住んでいるとこうなるのかなあ(キャプーチもヴァレーゼ在住)。
ジェイスポーツのカレンダーにも彼が入っているのだけど、そのカレンダーをもらうだけでは満足できず、オリジナルの写真を欲しがる。
チクリッシモ第1号を渡すと、すごく喜んでくれたけど、オリジナルの写真も頼むと言う。
ここ数日のガゼッタはバッソの記事ばかりなんだけど、僕の写真を使ってくれているから、お互い様ではある。

彼が今回イタリアに持ち帰った雑誌はチクリッシモです。
外国のプロ選手が、たとえ文字が分からなくても喜んでくれる雑誌です(先日はブエルタのボス、コルデロから雑誌を誉めるメールが来た!)。
今度、バルベルデにショー会場でサインをお願いするなら、ぜひチクリッシモ第3号を持参してください。
表紙は違うけど、中に写真があったと思います(今、手元にないので確かめられませんが)。
バッソはディスカバリーに行く
バッソはディスカバリーに行く
いい天気になったし、風邪もほとんど治ったので、自転車に乗ってきた。
快晴で気持ちよかった。

バッソがディスカバリーと3年契約を果たしたと今日付けのガゼッタが報じた。年俸は2億円あまりだ。
今回の同行で彼は何も言わなかったけど、側近の言葉で予想はしていた。
今のところ通信社の報道はないので、ガゼッタがすっぱ抜いた形だ。さすがである。
ディスカバリーには中国人選手も一人加わるらしい。

ところで、そのバッソから聞いた話だと、ラスムッセンのジロ・デ・レミリアでのケガが大変ひどいもので、もうちょっとで選手生命が絶たれるほどだったそうだ。
たしか、骨盤を骨折したのだと思うが、早く治ることを祈っている。
寿司・鮨・すし
寿司・鮨・すし
3泊した東京から帰ってきた。
初日に銀座の初音鮨に行き、その近くにあるマガジンハウスの友人を呼んで閉店までいた。
翌日からイヴァン・バッソの撮影とアテンドをやっていたのだけど、彼の素顔がより分かった。
ある有名な選手のことをすごく嫌っているのにもびっくりしたり…。
ピッツァが好きなのは知っていたけど、寿司が大好きなことは知らなかった。
だから日本ではずっと寿司で、3日は新宿ルミネの寿司屋、4日のお昼は京樽の寿司弁当、夜は築地の寿司屋…。しかも彼は初日の夜、幕張のニューオータニの寿司屋に行っているから、僕もイヴァンも今回4回も食べたことになる。

築地の寿司屋で食べ終わってから、イヴァンがタクシーの中にクレジットカードやらケータイやらヨドバシで買ったばかりのカメラが入っているかばんを忘れてきてしまったのに気付いた。
幸い、ジェイスポーツのプロデューサーのSさんの尽力で無事戻ったけど、ああオペラシオン・プエルト並の騒ぎだったよ(笑)。

12月にイヴァンの家に行く約束をした。
そのときは新しいチームのジャージといっしょに写真を撮ろうと思っている。
それに、アメリカのスポーツイラストレーティド誌に掲載された僕の写真を唯一額に入れて飾っているというから、それも確認したいし…。
バッソのことは、今度4月に出るチクリッシモ第4号で詳しく掲載する予定だ。もちろん寿司を食べている写真も。
パス
今月下旬から始まるアジア大会のパスがカタールより届いたと、日本オリンピック委員会から連絡があった。
取材申請はたしかツール・ド・フランス期間中で、しかも半年以上有効のパスポートのコピーが必要だった。
僕はフランスにいたし、パスポートの有効期間も半年以下だったので、とにかく帰国してから特別に対処してもらうことになった。
そのため、遅れてパスが来るかもしれないといわれていたのだけど、無事届いたようだ。
アジア大会の場合、この首からぶら下げるパスがパスポートがわりとなるので、郵送してもらうことはできない。幸い、代理の人が代々木まで行ってくれることになり、助かった。

毎月送られてくる国内外の雑誌だけど、どんなに自分の写真が出ていても気に入ったものだけしか保管しないし、興味がないものは封も開けずに捨てている。
保管してても読み返さないものも捨てるようにしていて、最近はWinningという長年購読していたアメリカの雑誌を整理しながら捨てている。

こんな自分でも、取材した大会のパスは保管している。
大きいレースだけでも世界選17枚、ツール18枚、ジロ18枚、ブエルタ7〜8枚、サンレモ16枚、フランドル約15枚、ルーベ17枚、リエージュ約15枚、ロンバルディーア16枚…(ちゃんと数えたことはない)。他のものを含めると、たぶん何百枚はあるはず。アジア大会は2枚目である。
95年のロードのワールドカップを全部取材したフォトグラファーは世界で自分一人だったけど、この年だけワールドカップとなったフランクフルト・グランプリのパスを紛失してしまった。大事な証拠がなくなった。
またある年のパリ〜ルーベでは、レース終了後に首に残ったのは紐だけだった。ちぎれて飛んでいってしまったのだ。
プレスルームに入るとき、検査官もこのときは笑って通してくれたのを覚えている。