2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
ランカウイの厳しいステージ
2024-09-28
ゆいの壁
ゆいの壁
近況です
このホームページのリニューアルも終わりました。
写真も大きくなり、見やすくなったと思います。
腕と腰の擦過傷は、当初オマーンの医師から乾かした方が良いと言われたのですが、調べてみたら今の流行?は消毒液をつけずにサランラップで覆うやり方とのこと。
現在これでやっていて、順調に治ってきています。
今、デスクワークが超多忙です。
加えてこれまで予約・発券してあったJAL便が大幅なフライトスケジュール見直しとのことで、これまたてんやわんやの事態に発展しました。
このことも影響し、結局4月下旬に予定していた日本への1週間の帰国はなくなり、トルコ一周に行く事になりました。
先日、同業者で仲のいいワトソン(ツール33回取材)と、いつまでこの仕事をするか、話をしていたのだけど、僕よりもずっと年上の彼はまだまだやると言ったのに対し、僕はあと数年で終わりと言ったら、
「お前は自転車が好きだから、そんなに早くはやめられないよ」と言われました。
実際、こうして予定していなかったトルコ一周に行くなど、転戦の人生はますます過酷になってきてます。
物珍しさもあってか、今日、アメリカの雑誌からインタビューを申し込まれ、今度ベルギーに行くときに受ける事になりました。
きっと、愚痴とトラブルのことばかり話すと思います(笑)。
写真も大きくなり、見やすくなったと思います。
腕と腰の擦過傷は、当初オマーンの医師から乾かした方が良いと言われたのですが、調べてみたら今の流行?は消毒液をつけずにサランラップで覆うやり方とのこと。
現在これでやっていて、順調に治ってきています。
今、デスクワークが超多忙です。
加えてこれまで予約・発券してあったJAL便が大幅なフライトスケジュール見直しとのことで、これまたてんやわんやの事態に発展しました。
このことも影響し、結局4月下旬に予定していた日本への1週間の帰国はなくなり、トルコ一周に行く事になりました。
先日、同業者で仲のいいワトソン(ツール33回取材)と、いつまでこの仕事をするか、話をしていたのだけど、僕よりもずっと年上の彼はまだまだやると言ったのに対し、僕はあと数年で終わりと言ったら、
「お前は自転車が好きだから、そんなに早くはやめられないよ」と言われました。
実際、こうして予定していなかったトルコ一周に行くなど、転戦の人生はますます過酷になってきてます。
物珍しさもあってか、今日、アメリカの雑誌からインタビューを申し込まれ、今度ベルギーに行くときに受ける事になりました。
きっと、愚痴とトラブルのことばかり話すと思います(笑)。
補給食が守ってくれた?
昨日のグリーンマウンテンのステージ、フルームがパンターニ並みの強烈なアタックを決めて優勝。
相変わらず、山の実力は世界一だと思いました。
ところで、昨日は大変な日でした。
集団を追い抜くときに、去年のジロで2位になったコロンビアのウランが、食べなかった補給食を手渡してきたのです。
僕は腹が減っていなかったので、それを左側のポケットに入れました。
しばらくして、僕はオートバイごと転倒しました。
運転していたカザール(ジロやツールでも活躍したフランスを代表する選手。去年引退)が道路にあったスピードを落とすための段差にハンドルを取られたのです。
普通だと、標識があったり、色が付けられたりしていて分かるのですが、田舎を走っていたせいか、なんのシグナルもなく、50km/hくらいでそのまま乗り上げたのです。
ちなみにあとから聞いたのですが、クルマに乗っていた人もそこに気づかず、もろにガツーンだったそうです。
カザールはなんともなかったのですが、僕は左腕と左の脇に擦過傷を負いました。
カメラも落としたのですが、写真はちゃんと撮れました。
ただ頭を打ったので多少ふらふらしていたし、夜も心配だったのですが、大丈夫でした。
擦過傷の痛みで眠れない事もなく、もちろん今もヒリヒリしますが、今日の最終ステージもオートバイに乗って撮影します。
擦過傷ですが、左腕よりも脇腹の方がダメージが少なかったのですが、それはウランからもらった食料がプロテクトしてくれたせいもあったのです。
袋が破れて中身が出ていたことが物語っていました。
夕食時にウランに事故の事を話したら(ウランはプロ1年目をイタリアで走ったせいもあり、イタリア語がうまいのです)、驚いていましたが、食料が思いがけず役立った事に喜んでいました。
カザールは何度もお詫びしてくれて、夕食時にも
「また僕のオートバイに乗ってくれる?」と言っていましたが、
「もちろんさ!来年のこのレースも予約するよ」と答えました。
彼に非はまったくなく、目印のない段差のせいです。
ただ、レースが終わってホテルにつき、クルマから降りて歩いているときに鞄を落としてその中に入っていた眼鏡を踏んでしまい、ぐちゃぐちゃになってしまいました。
まあ今日も仕事できるし、普通通りの生活ができるので、本当に良かったです。
相変わらず、山の実力は世界一だと思いました。
ところで、昨日は大変な日でした。
集団を追い抜くときに、去年のジロで2位になったコロンビアのウランが、食べなかった補給食を手渡してきたのです。
僕は腹が減っていなかったので、それを左側のポケットに入れました。
しばらくして、僕はオートバイごと転倒しました。
運転していたカザール(ジロやツールでも活躍したフランスを代表する選手。去年引退)が道路にあったスピードを落とすための段差にハンドルを取られたのです。
普通だと、標識があったり、色が付けられたりしていて分かるのですが、田舎を走っていたせいか、なんのシグナルもなく、50km/hくらいでそのまま乗り上げたのです。
ちなみにあとから聞いたのですが、クルマに乗っていた人もそこに気づかず、もろにガツーンだったそうです。
カザールはなんともなかったのですが、僕は左腕と左の脇に擦過傷を負いました。
カメラも落としたのですが、写真はちゃんと撮れました。
ただ頭を打ったので多少ふらふらしていたし、夜も心配だったのですが、大丈夫でした。
擦過傷の痛みで眠れない事もなく、もちろん今もヒリヒリしますが、今日の最終ステージもオートバイに乗って撮影します。
擦過傷ですが、左腕よりも脇腹の方がダメージが少なかったのですが、それはウランからもらった食料がプロテクトしてくれたせいもあったのです。
袋が破れて中身が出ていたことが物語っていました。
夕食時にウランに事故の事を話したら(ウランはプロ1年目をイタリアで走ったせいもあり、イタリア語がうまいのです)、驚いていましたが、食料が思いがけず役立った事に喜んでいました。
カザールは何度もお詫びしてくれて、夕食時にも
「また僕のオートバイに乗ってくれる?」と言っていましたが、
「もちろんさ!来年のこのレースも予約するよ」と答えました。
彼に非はまったくなく、目印のない段差のせいです。
ただ、レースが終わってホテルにつき、クルマから降りて歩いているときに鞄を落としてその中に入っていた眼鏡を踏んでしまい、ぐちゃぐちゃになってしまいました。
まあ今日も仕事できるし、普通通りの生活ができるので、本当に良かったです。
明後日帰国します
今日がオマーンの最難関ステージ。
接戦状態も、今日でけりがつくだろう。
そして明後日が最終ステージ。
ところが昨夜初めて渡されたスケジュールを見ると、表彰式終了後、すぐに出発する事になっている。
たぶん写真も送る事ができないし、ましてシャワーを浴びる事もできないだろう。
これはかなり辛い。
日本に戻るのは月曜日で、そのまま都内に宿泊し、夜に打ち合わせ。
火曜日に家に戻るが、やることが山積み。
次の出発は3月11日で、そのままヨーロッパにリエージュが終わるまで滞在だ。
接戦状態も、今日でけりがつくだろう。
そして明後日が最終ステージ。
ところが昨夜初めて渡されたスケジュールを見ると、表彰式終了後、すぐに出発する事になっている。
たぶん写真も送る事ができないし、ましてシャワーを浴びる事もできないだろう。
これはかなり辛い。
日本に戻るのは月曜日で、そのまま都内に宿泊し、夜に打ち合わせ。
火曜日に家に戻るが、やることが山積み。
次の出発は3月11日で、そのままヨーロッパにリエージュが終わるまで滞在だ。
残念なニュース
バスの中でレースの最前線で仕事している有名ジャーナリスト2人と話が弾んだ。
ツイッターについてである。
一人はすごく活用し、仕事に欠かせないと言う。
もう一人はまったく見ていない(にもかかわらず、ものすごく物知り)。
活用者の言い分はこうだった。
今取材しているツアー・オブ・オマーンでティボー・ピノが現地入りしながら出走しなかったのは、本人が発熱で出走取りやめをツイッターで書いたことで知ったと。
さらに、クリストフ・ゴッダールトの練習中の死去も、最初はツイッターで知ったと言う。
中毒みたいになって、道を歩きながらですらやってしまうのもたしかだが、取材には役立っていると言う。
一方、活用していない側は、役立つ情報を拾うまで、ゴミ情報も読まなくてはならず、そこまでして使う気にはならないと言う。
僕自身はまったくやっていない。たしかに役立つものもあるのだろうけど、たとえば選手が今日何を食ったみたいなものを読んだところで、さっきまでオートバイの横で走っていた普通の人間の食べ物に興味なんかまったくない。
いずれにせよ、僕の中で、自転車ジャーナリストの分岐点はこうだ。
レース展開を自分で考え、自分の言葉で書ける人。これが基本だ。まずはこれができなければ、内容のあるものを書くことはまず無理である。レースあっての選手なんだから。
この有名なジャーナリスト二人とも、そのあたりは一般のレベルを遥かに超えている。
僕自身、ツイッターはやらないけど、フェイスブックはやっている。
写真を掲載できるのと、実名というところが好きだ。
昨日、友人がブーニョのお父さんが他界した事を書いていた。
愛想のいい人で、気前よくコーヒーをおごってくれる人だった。息子もお父さんの良いところを受け継いでいた。
つい先日のカタールのレースを走っていたゴッダールトに続いての訃報はとても残念なニュースだった。
ツイッターについてである。
一人はすごく活用し、仕事に欠かせないと言う。
もう一人はまったく見ていない(にもかかわらず、ものすごく物知り)。
活用者の言い分はこうだった。
今取材しているツアー・オブ・オマーンでティボー・ピノが現地入りしながら出走しなかったのは、本人が発熱で出走取りやめをツイッターで書いたことで知ったと。
さらに、クリストフ・ゴッダールトの練習中の死去も、最初はツイッターで知ったと言う。
中毒みたいになって、道を歩きながらですらやってしまうのもたしかだが、取材には役立っていると言う。
一方、活用していない側は、役立つ情報を拾うまで、ゴミ情報も読まなくてはならず、そこまでして使う気にはならないと言う。
僕自身はまったくやっていない。たしかに役立つものもあるのだろうけど、たとえば選手が今日何を食ったみたいなものを読んだところで、さっきまでオートバイの横で走っていた普通の人間の食べ物に興味なんかまったくない。
いずれにせよ、僕の中で、自転車ジャーナリストの分岐点はこうだ。
レース展開を自分で考え、自分の言葉で書ける人。これが基本だ。まずはこれができなければ、内容のあるものを書くことはまず無理である。レースあっての選手なんだから。
この有名なジャーナリスト二人とも、そのあたりは一般のレベルを遥かに超えている。
僕自身、ツイッターはやらないけど、フェイスブックはやっている。
写真を掲載できるのと、実名というところが好きだ。
昨日、友人がブーニョのお父さんが他界した事を書いていた。
愛想のいい人で、気前よくコーヒーをおごってくれる人だった。息子もお父さんの良いところを受け継いでいた。
つい先日のカタールのレースを走っていたゴッダールトに続いての訃報はとても残念なニュースだった。
バンダナを巻いて走るブロシャール
今日は一日中、ホテルの部屋に閉じこもって仕事をしていたけど、夕方、散歩に行ったら、ジョギングしているローラン・ブロシャールとばったり出会った。
ご存知、1997年のサンセバスティアンの世界選でジャラベールのアシストとして走り、そのまま優勝した選手である。
現役時代と同じく、頭にバンダナを巻いて走っているのには笑ってしまった。
鉢巻きをしないと気合いが入らないのかなあ?
ご存知、1997年のサンセバスティアンの世界選でジャラベールのアシストとして走り、そのまま優勝した選手である。
現役時代と同じく、頭にバンダナを巻いて走っているのには笑ってしまった。
鉢巻きをしないと気合いが入らないのかなあ?
うれしい撮影用グッズ
交換レンズを持ち歩かず、携帯電話と財布、パスポートだけを持って出かけるときもけっこうあります。
そんなとき、カメラ用のバッグやウエストバッグはかえって邪魔なのですが、Stream TrailのこのCell Packは使いやすいです。
http://www.streamtrail.net/japan/products/land-bridge/bags/cell-pa/
ベルトの長さの調整がワンアクションで変えられるので、腰に回すだけでなく、肩に回すことも簡単。
欧米のフォトグラファーがうらやましそうに見てました。
そんなとき、カメラ用のバッグやウエストバッグはかえって邪魔なのですが、Stream TrailのこのCell Packは使いやすいです。
http://www.streamtrail.net/japan/products/land-bridge/bags/cell-pa/
ベルトの長さの調整がワンアクションで変えられるので、腰に回すだけでなく、肩に回すことも簡単。
欧米のフォトグラファーがうらやましそうに見てました。
第4ステージは記録的な平均速度だった
第4ステージが終わってホテルに戻り、エレベーターに乗ったら、ヴィヴィアーニ、ガット、グアルディーニ、グアルニエーリといった、今のイタリアを代表するスプリンターといっしょになったのだけど、グアルニエーリが
「オランダのデブに柵へ持っていかれてスプリントできなかった」と憤慨中。
笑いをこらえながら先におりたら、後ろからヴィヴィアーニが
「明日は写真を撮ってもらえるように走るから」との声が。
部屋で仕事を終えて食事に行くのにエレベーターに乗ったら、今度は正装したエディ・メルクスとばったり。
「今日のステージは速かった。56.8km/hだよ」と言う。
「エディのキャリアでいちばん速かったのは?」と聞くと、しばらく考えて
「パリ〜ブリュッセルだな。210kmで50km/hを超した」
「優勝したの?」
「いや、マールテンスが1位で俺は2位だった…」
レース後のエレベーターの中って、いろんな人生・いろんなストーリーがあるのです(笑)。
「オランダのデブに柵へ持っていかれてスプリントできなかった」と憤慨中。
笑いをこらえながら先におりたら、後ろからヴィヴィアーニが
「明日は写真を撮ってもらえるように走るから」との声が。
部屋で仕事を終えて食事に行くのにエレベーターに乗ったら、今度は正装したエディ・メルクスとばったり。
「今日のステージは速かった。56.8km/hだよ」と言う。
「エディのキャリアでいちばん速かったのは?」と聞くと、しばらく考えて
「パリ〜ブリュッセルだな。210kmで50km/hを超した」
「優勝したの?」
「いや、マールテンスが1位で俺は2位だった…」
レース後のエレベーターの中って、いろんな人生・いろんなストーリーがあるのです(笑)。
サンディ・カザールがドライバー
昨日の第2ステージで乗ったオートバイのドライバーは、昨年の9月に引退したサンディ・カザールだった。
ご存知、ずっとフランスを代表する選手だった。
いろんな話をしたけど、ストレスが強くかかるツール・ド・フランスよりも、逃げが決まって集団が追うという展開になるジロ・ディ・イタリアの方が好きだったという。
「チポッリーニがいたときは、もっと楽だっただろ?」というと、
「うん、初めて出たジロの時は彼が走っていて、今日は100km地点までゆっくりだぞと、仕切っていたよ」と相づち。
そんな昔の自転車レースを知っている人間にとって、今のレースはある意味、ボス不在の運動会である。
「なにか足りないところがあったら、言ってくれ」と、謙虚なのも気に入った。
でも、集団の中に入って追い抜くときは、クラクションを鳴らしてくれ。動きが自転車選手と同じなんだもん。
ご存知、ずっとフランスを代表する選手だった。
いろんな話をしたけど、ストレスが強くかかるツール・ド・フランスよりも、逃げが決まって集団が追うという展開になるジロ・ディ・イタリアの方が好きだったという。
「チポッリーニがいたときは、もっと楽だっただろ?」というと、
「うん、初めて出たジロの時は彼が走っていて、今日は100km地点までゆっくりだぞと、仕切っていたよ」と相づち。
そんな昔の自転車レースを知っている人間にとって、今のレースはある意味、ボス不在の運動会である。
「なにか足りないところがあったら、言ってくれ」と、謙虚なのも気に入った。
でも、集団の中に入って追い抜くときは、クラクションを鳴らしてくれ。動きが自転車選手と同じなんだもん。
カタール到着
朝ご飯を食べにレストランに行ったら、今回のツアー・オブ・カタールで僕以外の唯一の日本人、藤森さんが来ていた。
コミッセールとしてである。
同じテーブルで一緒に食事していたら、今回のオートバイの運転手を紹介された。
つい先日まで選手をやっていたサンディ・カザールである。
さらに係員として、元世界チャンピオンのブロシャールも。
ところで、僕は日本からもっとプロの自転車界で食べていく人がいっぱい出てきてほしいと思っています。
本当にやる気のある人ならば、メールで連絡ください。
選手を追っかけたいという理由ならばお断りですが(笑)。
もう、追っかけ、グルーピーはいやになるほど見てきました。
まじめにこの世界で仕事をしたい人がいるなら、手助けしたいし、僕も助けられたい。
そんな気持ちです。
コミッセールとしてである。
同じテーブルで一緒に食事していたら、今回のオートバイの運転手を紹介された。
つい先日まで選手をやっていたサンディ・カザールである。
さらに係員として、元世界チャンピオンのブロシャールも。
ところで、僕は日本からもっとプロの自転車界で食べていく人がいっぱい出てきてほしいと思っています。
本当にやる気のある人ならば、メールで連絡ください。
選手を追っかけたいという理由ならばお断りですが(笑)。
もう、追っかけ、グルーピーはいやになるほど見てきました。
まじめにこの世界で仕事をしたい人がいるなら、手助けしたいし、僕も助けられたい。
そんな気持ちです。
カタールのレースへ移動します
ドバイのレースが終わり、すぐに荷物をまとめて飛行機で1時間のドーハに移動します。
ドバイのレース、はっきり言ってレース内容がぬるかった。
やっぱり風が弱いからかなあ?
その点、これから行くカタールのレースは風が猛烈に強く、いまや世界屈指の難レースだと思います。
そして、ときどきある砂嵐のすごいこと。
全身砂まみれになります。
僕の姓に砂がつくからなんとなく親近感がある…はずもなく、もう本当に嫌。
機材にとってもかなり厳しい環境です。
携帯電話もいまや日常の生活にも、仕事にも欠かせないものなのだけど、
Stream Trail(http://www.streamtrail.net/japan)さんからいただいたこのスマートフォンを入れるケース、本来は水から守るためのものなのだけど、砂地獄でも大活躍してくれそうです。
もちろん、ケースの上からも操作できます。
ドバイのレース、はっきり言ってレース内容がぬるかった。
やっぱり風が弱いからかなあ?
その点、これから行くカタールのレースは風が猛烈に強く、いまや世界屈指の難レースだと思います。
そして、ときどきある砂嵐のすごいこと。
全身砂まみれになります。
僕の姓に砂がつくからなんとなく親近感がある…はずもなく、もう本当に嫌。
機材にとってもかなり厳しい環境です。
携帯電話もいまや日常の生活にも、仕事にも欠かせないものなのだけど、
Stream Trail(http://www.streamtrail.net/japan)さんからいただいたこのスマートフォンを入れるケース、本来は水から守るためのものなのだけど、砂地獄でも大活躍してくれそうです。
もちろん、ケースの上からも操作できます。
今日はドバイ・ツアー最終日
このドバイ・ツアーはRCS(ガゼッタ)の運営なのだけど、随行する車両はさすがにイタリアから持ってくるわけにはいかず、現地調達だ。
クルマはもうメルセデス・オンパレードですごいけど、オートバイはぼろぼろのスクーター。
一昨日だけで4台が立ち止まってしまったと言う。
僕は昨日のステージでオーガナイザーの用意したオートバイに乗ったけど、ハプニングが起きた。
まず事の始まりは、モトクロスのオートバイに乗ったファンがコース横の砂漠地帯をアスタナの旗を持って走り回ったときからだ。
みんなあっけにとられたし、見事な運転ぶりに選手たちも走りながら見ていた。
僕はちょうどプロトンのど真ん中に入っていたときで、その写真をニバリをはじめとするアスタナ勢を入れて撮っていた。
そのとき、後ろの方で「キーッ、ドカーン」というクルマの激しい衝突音が。
反対車線を走っていた女性の運転するジープタイプのクルマがレースに見とれてガードレールに衝突したのだ。
僕はレースが終わってから、集団の後ろにいた同業者のWにその事故の事を聞いたら、
「なにもなかったよ」と言う。
一方、もう一人の同業者のBに聞いたら
「ちょうど立ち止まって写真を撮っているところに反対車線から突っ込んできて、もう大変な事故だった」と、連写したその写真を見せてくれた。
スピンしながらガードレールに突っ込んでいた。
ちょうどWが選手の写真を撮っているのも映っていて、事故の方は見ていない。何もなかったと言うのはこのことか…。
ゴール2km手前で、僕のオートバイの運転手が
「ああ、止まっちゃうよ」と言う。
オートバイが壊れたのだ。
そのとき、ちょうどそこにスピードを落とす人工段差があって、オーガナイザーの一人が旗を持って立っていた。
僕の運転手はとっさにその仕事を引き受け、最初に旗を持っていた人が僕をゴールに運んでくれることに。
なんとかゴールには間に合ったけど、まあアクシデント満載の1日だった。
写真は止まったオートバイを道路のすみに寄せる運転手。残り2km地点。
クルマはもうメルセデス・オンパレードですごいけど、オートバイはぼろぼろのスクーター。
一昨日だけで4台が立ち止まってしまったと言う。
僕は昨日のステージでオーガナイザーの用意したオートバイに乗ったけど、ハプニングが起きた。
まず事の始まりは、モトクロスのオートバイに乗ったファンがコース横の砂漠地帯をアスタナの旗を持って走り回ったときからだ。
みんなあっけにとられたし、見事な運転ぶりに選手たちも走りながら見ていた。
僕はちょうどプロトンのど真ん中に入っていたときで、その写真をニバリをはじめとするアスタナ勢を入れて撮っていた。
そのとき、後ろの方で「キーッ、ドカーン」というクルマの激しい衝突音が。
反対車線を走っていた女性の運転するジープタイプのクルマがレースに見とれてガードレールに衝突したのだ。
僕はレースが終わってから、集団の後ろにいた同業者のWにその事故の事を聞いたら、
「なにもなかったよ」と言う。
一方、もう一人の同業者のBに聞いたら
「ちょうど立ち止まって写真を撮っているところに反対車線から突っ込んできて、もう大変な事故だった」と、連写したその写真を見せてくれた。
スピンしながらガードレールに突っ込んでいた。
ちょうどWが選手の写真を撮っているのも映っていて、事故の方は見ていない。何もなかったと言うのはこのことか…。
ゴール2km手前で、僕のオートバイの運転手が
「ああ、止まっちゃうよ」と言う。
オートバイが壊れたのだ。
そのとき、ちょうどそこにスピードを落とす人工段差があって、オーガナイザーの一人が旗を持って立っていた。
僕の運転手はとっさにその仕事を引き受け、最初に旗を持っていた人が僕をゴールに運んでくれることに。
なんとかゴールには間に合ったけど、まあアクシデント満載の1日だった。
写真は止まったオートバイを道路のすみに寄せる運転手。残り2km地点。
アロンソ登場
ドバイに家を持っているアロンソが会場に現れた。
ご存知、来年チーム創設を画策していると言われている。
会場にはカウッキオーリ(チポッリーニ)、モンディーニ(スペシャライズド)、サーヴェロらのチーム担当者が、そしてサガンの代理人をやっているロンバルディといった、元プロ選手も来ている。
数日前、ガゼッタはアロンソのチームについて大きく報道したが、「かなり違った話が書かれている。あの金額はウソだよ」とはこの中の一人。
報道と現状には大きなギャップがある。
レース終了後、ゴールでホアキン・ロドリゲスが息を切らしながらやってきて、「アロンソとのツーショットを送ってくれ」と…(笑)。
ご存知、来年チーム創設を画策していると言われている。
会場にはカウッキオーリ(チポッリーニ)、モンディーニ(スペシャライズド)、サーヴェロらのチーム担当者が、そしてサガンの代理人をやっているロンバルディといった、元プロ選手も来ている。
数日前、ガゼッタはアロンソのチームについて大きく報道したが、「かなり違った話が書かれている。あの金額はウソだよ」とはこの中の一人。
報道と現状には大きなギャップがある。
レース終了後、ゴールでホアキン・ロドリゲスが息を切らしながらやってきて、「アロンソとのツーショットを送ってくれ」と…(笑)。
早くも...
昨日、プレスルールで机の前部にある木製の覆いが突然落下し、パソコンの充電アダプターの一部が破損。
夜はレストランでパールイズミさんからいただいた新品の服を忘れてきてしまい、探したけど出てこなかった。
ドバイ、カタール、オマーンと、この先まだ3週間もあるのに、異常に悪運ペースが速すぎる。
早いところレースの生活リズムを取り戻したい。
夜はレストランでパールイズミさんからいただいた新品の服を忘れてきてしまい、探したけど出てこなかった。
ドバイ、カタール、オマーンと、この先まだ3週間もあるのに、異常に悪運ペースが速すぎる。
早いところレースの生活リズムを取り戻したい。
パソコンのバッグ
今回、パソコンを入れるのにStream Trailのバッグを使わせてもらっているのだけど、素材の防水性能がすごく良いので、今日のようなドバイの海岸での撮影でも平気で持ち歩けます。砂浜に直接おいてもOK。
それに雨の中でも使えるのは便利。プレスルームまでパソコンを濡らさないようにからだで覆って運ぶこともこれからは必要なくなります。
なかなか使い勝手の良いバッグです。
それに雨の中でも使えるのは便利。プレスルームまでパソコンを濡らさないようにからだで覆って運ぶこともこれからは必要なくなります。
なかなか使い勝手の良いバッグです。
サンソン死去
80年代、イタリアにサンソン・カンパニョーロというプロチームがあった。エースはご存知フランチェスコ・モゼール。
サンソンはヴェローナのアイスクリームメーカーで、社長のテオフィーロ・サンソンは自転車が大好きだった。
1990年の宇都宮での世界選手権に来たときに、僕は通訳として連れ回された。
当時のイタリア大使と友人だったのか、赤坂のグラナータというイタリアン・レストランに行ったときは、大使館の職員がアテンドしたほどだ(ああ、忙しいのに…とぶつぶつ言っていたけど)
そのあとの世界選手権で何度も会ったけど、僕をかわいがってくれた。
彼の取り巻きとは今でも親交がある。
そのテオフィーロが亡くなったことをガゼッタを読んで知った。
僕の「薔薇色の輪舞」というジロの写真集でアイスクリームを食べながら走っている選手の写真があるけど、あれはヴェローナを通るときにサンソン社が道路上で差し入れしてくれたもので、一回だけではなく、そこを通るたびにプレゼントされた。
あの時代の自転車が本当に懐かしい…。合掌。
サンソンはヴェローナのアイスクリームメーカーで、社長のテオフィーロ・サンソンは自転車が大好きだった。
1990年の宇都宮での世界選手権に来たときに、僕は通訳として連れ回された。
当時のイタリア大使と友人だったのか、赤坂のグラナータというイタリアン・レストランに行ったときは、大使館の職員がアテンドしたほどだ(ああ、忙しいのに…とぶつぶつ言っていたけど)
そのあとの世界選手権で何度も会ったけど、僕をかわいがってくれた。
彼の取り巻きとは今でも親交がある。
そのテオフィーロが亡くなったことをガゼッタを読んで知った。
僕の「薔薇色の輪舞」というジロの写真集でアイスクリームを食べながら走っている選手の写真があるけど、あれはヴェローナを通るときにサンソン社が道路上で差し入れしてくれたもので、一回だけではなく、そこを通るたびにプレゼントされた。
あの時代の自転車が本当に懐かしい…。合掌。