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ブリュージュ到着
ブリュージュ到着
朝4時に起きて、リナーテ空港7時発の飛行機に搭乗。
ブリュッセルに着いた後、電車でブルージュに移動しました。
明日はツール・デ・フランドル。
雨は降っていないけど、もう寒くて…。
まだチェックインするには時間が早すぎるので、ホテルで仕事してます。
町中の靴屋のショーウインドウに、エディ・メルクスの名前を冠したカジュアルシューズが置いてありました。
ヒールの525は、アマ・プロ通算の勝利数ですね。
写真展の準備
写真展の準備
また後日、正式に発表できると思うのですが、東京で写真展をやらせていただけることになって、今ミラノにいながらも、その準備に追われています。
写真展は、2年前の六本木ヒルズ以来です。

今回ポジフィルムはなく、全部デジタル画像なので、先方に送るのにサーバーへアップロードしました。
イタリアの遅いADSLで2T強の容量を送るのに夕方から始めたのですが、終わったのは翌日のお昼近くでした。
今は写真にキャプションをつけてます。

今ここにある写真は、写真展には使わなくなったものばかりです(笑)。
週末はツール・デ・フランドル
週末はツール・デ・フランドル
先日のヘント〜ウェヴェルヘムでは、持参したレース無線の受信機が壊れてしまったので、ミラノのオートバイの運転手から借りて来た。

今年のジロでは運転手を変える。
今までの人は、人柄がすごく良いのだけど、いかんせんオートバイがカワサキ。ツール・ド・フランスのオフィシャルオートバイとはいえ、タンデムするにはすごく辛い。もう我慢が出来なくなって、BMWを持っている人にお願いすることに。
その人を含め、今年はオートバイの運転手たちからの売り込みが激しく、ジロやツール、クラシックまで含めると、10人くらいから言われた。

ただ、その人の欠点は、フィレンツェに住んでいるだけに、トスカーナ弁がひどいこと。何度も聞き返さなければ理解できない。
イタリアの標準語はトスカーナだと本などにかいてあるけど、それはあくまでも言い方の話であって、発音となると、大違い。
ミラノ生まれの前の運転手などは「あいつとしゃべるときには通訳が必要だよ」と言うくらいだ。

今週末のツール・デ・フランドルは、オーガナイザーからすでにオートバイの許可をメールでもらっている。
国際自転車競技連合の規則で、レースでは最大12台のオートバイしか許されない。ツール・デ・フランドルは五大クラシックの一つであり、超有名レースなので当然リクエストが多い。
その12人の中に入っているフォトグラファーは、僕を除けば全員ヨーロッパ人。アメリカも北欧もオセアニアもいない。
ほんと、日本から出場する選手が一人か二人なのに、よくここまでたどり着いたものだと思っている。
ジノーリが倒産していることを知らなかった
日本の家の洋食器は、イタリアのジノーリで揃えています。
イタリアでは簡単に、しかも安価で手に入りますから。
毎日使っているので、当然、割れます。
今日、ミラノの家の近くの店に、割れてしまった肉用の皿を買いに行ったら
「ジノーリは閉業しているので、入荷の見込みはありません」と言われて驚きました。
今年1月に破産しているんですね。インターネットで調べたら、日本でも報道されてました。
昔、ジロで工場の前の道を通ったとき、従業員たちが仕事中にもかかわらず、会社の前に立って手を振ってくれたことが忘れられません。
サガンの時代到来
サガンの時代到来
ミラノに戻り、自転車界の重鎮の一人に会って来た。
いつもどおり、まずは自転車界や選手への批判もあった…というか、それがすべてだったかも。
たとえば、日本の女性ファンにとって選手の善し悪しは、まずはマスクがあり、そのあとに理由が肯定的にくっついて来るというのが多いけど、こういう重鎮クラスというのは、個人的感情がなくて、逆に歴史的な背景があるから、論拠は明確である。

僕はとにかくサガンをかなり買っている。
近年のクラシックハンターはカンチェッラーラ、ボーネン、ジルベールだけど、この3人の時代がいつまで続くかわからない。
キャリアとして、後年に入っているのはもう間違いのないところである。
ここに今、サガンが入って来た。
最初、彼にしびれたのは、2010年のツール・ダウンアンダーだった。
エヴァンス、バルベルデ、LLサンチェスと逃げたとき、ものすごい新人が現れたと思った。
そのあと、ジェイスポーツのパリ〜ニースの解説に出たとき、僕は
「サガンが将来、すごい選手になると思っている」と言ったことを覚えているけど、その予言は当たった。
ちなみに、我が友人で、超一流ジャーナリストのケネは、そのダウンアンダーの数日前のクリテリウムで彼が逃げたときから、これは大物になると思ったと言って、僕より優位に立とうとした(笑)。

これほど、インプレッションを与えてくれる若手選手はクネゴ以来である。
クネゴが2004年に22歳と9ヶ月でジロを制したときは、頭がくらくらした。
だけど、その後クネゴは伸び悩んだ。
たしかにロンバルディーアで3回勝ったけど、僕らはそれ以上の期待をしていた。
そしてクネゴは、しゃべっていてもなんか優しすぎるのだ。

サガンは、たとえば昨年の世界選で、彼の代理人であるロンバルディと3人でちょっとした会話をしたけど、そんな一瞬でも成長を感じた。
走りだけではなく、そんなところにたくましさがあるのは、彼の大きな魅力の一つである。
ヘント〜ウェヴェルヘム終了
昨日、すごく寒いヘント〜ウェヴェルヘムが終了し、コルトレイクに一泊。
今日はお昼の電車でブリュッセル空港に来て、今、ミラノ行きを待っているところです。

来週のツール・デ・フランドル、再来週のパリ〜ルーベはミラノから週末だけ飛行機で往復。
アムステル・ゴールドレース、フレーシュ・ワロンヌ、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュのアルデンヌ3連戦はベルギーの定宿に滞在。
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュが終わったら、次の日、帰国便に乗ります。
書斎のリフォームの最終打ち合わせ、それから写真展の準備等もあり、帰国が待ち遠しいです。
また雪かも
マルペンサ空港でランプレのヴィガノとマッサージ師がいて
「ミラノ〜サンレモでオートバイに乗っていたんだろ。オヴァーダから選手たちがチームバスで移動したけど、オートバイに乗っているフォトグラファーもバスで移動したの?」と聞かれましたよ。
そんなバス、どこにあるの?

昨日のE3ハーレルベーケも寒くて寒くて。
今日土曜日はレースがないのだけど、外は雪まじりの雨。
ところが明日も雪マークで、気温が最高1度、最低−3度の予定。
明日のヘント〜ウェヴェルヘム、早くも気が滅入ってます。
断腸の思いでミラノ〜サンレモの連載とりやめ
なんか、日記をノンフィションライター風に書き始めて、気分が乗ってきました。
これから雪が降り出し、レースは混乱して行く…というふうに書いて行く予定だったのに、ここで連載打ち切りです。
なぜかというと、チクリッシモでこのときのレポートを書くことになってしまって…。

明日からコルトレイクに4連泊しつつ、ハーレルベーケとヘント〜ウェヴェルヘムを取材します。
当初は日曜日のヘント〜ウェヴェルヘムが終わったら電車に乗ってブリュッセルに行き、その日のうちにイタリアに戻る予定にしていたのですが、タイムスケジュールをよく見るとどうも厳しい。
ちょっと困っているときにフライトを確認したら、ミラノのマルペンサ発、マルペンサ戻りがいつのまにかマルペンサ発のリナーテ着になっているではありませんか。
フライト変更のメールをもらっていたようだけど全然気づかなくて、明日の出発を前に気づいた次第です。
しかし、これってもしかしてチャンスかもと考え、ブリュッセルエアーラインに電話して
「いつのまにかフライトが勝手に変更されていて困ってます。ミラノ戻りの便を翌日月曜日にしてもらえませんか」と言ったら、あっさり何の問題もなくOKに。
安売りチケットが無料で変更できて、得した気持ちです。
ミラノ〜サンレモ その2
ミラノ〜サンレモ その2
オートバイは思いがけず、すーっと止まった。
なんか、いつも以上にスムースな停止だった。
だけど、とっさに後ろから他のオートバイに突っ込まれる恐怖を感じた。
2年前のツール・ド・フランスでも、ベルギー国営通信のオートバイのミスで玉突き衝突が起き、僕はワトソンのオートバイに突っ込まれたのだ。
また、若いときに日本で走ったロードレースでも、目の前の落車に突っ込まずに止まることが出来たのに、後ろから突っ込まれて落車の山の下敷きとなった。
フレームのバックステーが折れ、そして太ももが痛くてリタイア。医者に行ったら
「ステーキを焼く前に肉を叩くことがあるけど、あれと同じような状態」とすごく分かりやすい説明を受けた。
おかげで、数週間自転車に乗れなかった。

そういう悪い思い出が一瞬にして蘇った。
だけど、何も起きなかった。
後ろを振り返ると、ツール・ド・フランスで僕と2回組んだ運転手がビチスポルトのフォトグラファーを乗せていたが、顔が青ざめていた。

僕の運転手は
「俺たちは何もこの落車の原因になることはしていないから」と言った。
無線機の拡声器からは落車した選手のナンバーが叫ばれていて、
「オートバイがどうのこうの...」とは言っていない。
10年ほど前だったか、ジロ・ディ・ロンバルディーアで、クリス・ホーナーが僕のオートバイの前輪に接触して、彼も僕も転んだ。
そのときはご丁寧にレース無線で
「砂田のオートバイが転んだ」と叫ばれた。
そういうことも頭をよぎった。

地面には転がっている選手がいた。僕はその瞬間に仕事モードとなり、オートバイから降りてシャッターを押した。(続く)
ミラノ〜サンレモ その1
ミラノ〜サンレモ その1
そもそも、朝、クルマに機材を積んで出かけるときに目の前に雨粒ではなく、もっと大きな白っぽいものが落ちて来た。
「雪かよ〜」
前日、大会受付でプレス担当者が
「大会当日は寒いけど、雪は降らないはず」と言っていたのだが。
クルマでミラノに向かっているときも、みぞれだった。

レースはそれでもいつも通り、淡々と進行した。
「しばらく集団の後ろについていたが、レースディレクターの許可を取って集団を左側から追い抜くことに。他のオートバイも僕の後ろから着いて来ているようだ。
そのとき、集団を走っている選手がいきなりオートバイの前に入って来た。右側で集団落車が起きたのだ。
オートバイの足下に選手から離れた自転車が1台入って来て、引きずっている感覚を覚えた。
このとき、すごく落ち着いていたのだけど、
「ああ、選手といっしょに落車するんだ」と冷静に思って、覚悟を決めた。(続く)
昨日のミラノ〜サンレモだけで一冊の本が書ける
昨日のミラノ〜サンレモだけで一冊の本が書ける
昨日のミラノ〜サンレモ、1日の撮影だけで1冊の本が出来るくらい。
今日、無事にミラノの家のベッドで寝られて幸せを感じています。
ただ、外は雪で真っ白です。
写真の整理が全然終わっていないので、今日はその仕事をするけど、また時間があればここに書いて行きます。

写真は昨日のミラノ〜サンレモのパス。一度も首からぶら下げず、ポケットに入れていたにもかかわらずこの状態。大変な天気でした。
CICLISSIMOチクリッシモNO.32
CICLISSIMOチクリッシモNO.32
砂田弓弦監修 ロードレースマガジン
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「プロチームガイド&選手名鑑」号

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特集 インタビュー“プロトンの楽屋裏”
トザット/サガン/ロウ/別府/新城/佐野/西薗

“ツール100回大会あと100日!”カウントダウン企画
新連載 ツール・ド・フランス 記憶に刻まれたドラマ

新連載 ミラノで自転車を作る SANO’S佐野貴昭

2013シーズン この選手に注目!
アームストロングのTVショー
宮澤崇に聞くプロチームの合宿

日本選手出場レース
 ツール・ダウンアンダー
 ツアー・オブ・カタール
 ツアー・オブ・オマーン
 ツール・ド・ランカウイ
速報! パリ〜ニース

 ・A4ワイド判・本誌:100ページ/別冊付録:オールカラー52ページ
・ 2013年3月21日(木)発売 
・ 付録とも定価1,575円(本体1,500円) 
 ・八重洲出版発行 4910041380534
ジルベールとボーネン
夕方になってベルギーから、明日のオメガファルマとBMCの記者会見とトレーニングの写真を撮ってくれというオーダーがきた。
ミラノ〜サンレモでボーネンもジルベールも優勝候補に挙っており、ベルギーはすでに血が沸いている状態。
幸いBMCのホテルはウチの近所。
一方、オメガファルマの担当者にすぐ電話したら、トレーニングの撮影は明日禁止。もうかなりナーバスになっている。
ティレーノ〜アドリアティコ終了
昨日はティレーノ〜アドリアティコの最終ステージ。
いつもどおり、サンベネデット・デル・トロントでのTTだった。
レース前にプレスルームで仕事をしていると、ASOからメールが。
UCIの新しい規則通り、レースを運営するとの内容だった。
驚きの内容に僕が声をあげたら同業者がみんな集まって来て、「やってられねえ」となった。
RCSのプレス担当者や、UCIの審判まで集まり、UCIのやり方に批難の声が。
オランダ人で、国際自転車競技ジャーナリスト協会の新しい会長がこのレースに来ていたからすぐに呼び、UCIの会長宛にメールを送ることで意見が一致。
今朝、すでに解決に向かっているとのメールをもらった。

レース終了後は500km走って家に戻った。
今は写真の整理に追われている。
トホホのガゼッタ
トホホのガゼッタ
フランスのジャーナリストから、
「昨日も今日も、レキップはお前の写真を使っている」と連絡が来た。
一方、今日のガゼッタは僕の写真を2点使っているのだけど、他のカメラマンの名前になっている。
この大会だけで、名前が間違っているのはこれが3枚目である。
一昨日、自転車部門のチーフを捕まえて注意したのだけど、やっぱりイタリア人には10回くらい言わないと分かってくれないみたいだ。
自転車界の2大新聞が、異国の人間の写真を使うのは自分以外にほぼ例のないことであり、それは光栄なことではあるけど、気持ち的には僕は完全にレキップに行っている。

写真は、問題のガゼッタ3枚目。こんなすごい写真を誰が撮れるのだろうか...(笑)。
(一眼レフを持ってオートバイに乗っていれば、誰でもとれます)
あり得ないと思った今日のコース
あり得ないと思った今日のコース
これまで10回以上20回未満、ティレーノ〜アドリアティコに来ているけど、今日のコースはこれまででいちばんすごいと思った。
アップダウンの連続で、30%という看板も生まれて初めて見た(実測は27%らしい)。
しかも途中から雨。
ツール・デ・フランドルやリエージュ〜バストーニュ〜リエージュもまっつぁおのレースとなった。

写真は30%の壁を歩いて登るデッケル。本人もあまりのすごさに笑っている。しかし、笑ったのは彼一人で、みんな地獄の形相だった。
雨でボロボロです
雨でボロボロです
いくら毎日雨だからって、このビブの色落ちはないでしょ! 
おいらのは赤字に白文字だけど、白の塗料が雨合羽やカメラにくっついて困ってます。イタリア・クオリティーなのか、ガゼッタ・クオリティーなのか…(ため息)。
まあ、ジェイスポーツでミラノ〜サンレモやジロをやってくれることが決まったのは大変ありがたいのだけど...。
アレッツォは今日も雨だった
アレッツォは今日も雨だった
前川清のように、タイトルを読んでくださいね。
最後は周回だったのだけど、もう土砂降り。
今週はずっとこんな感じらしいです。
だけど、今日の表彰台には、アルフレード・マルティーニ、フランチェスコ・モゼール、フランコ・ビトッシの3名の重鎮が壇上に立ちました。
ビトッシのことを知らない人は、これを見てください。
世界選手権史上、もっとも劇的なレースです。
http://www.youtube.com/watch?v=bwLM0EeRBOQ
ミケーレ・バルトリは、このビトッシに酷似していると言われました。
ティレーノ〜アドリアティコ現地入り
ティレーノ〜アドリアティコ現地入り。
前日のカメラマン会議欠席したけど、今年は事前の念入りな言い訳が功を奏し、レースディレクターからの小言はなし。
今日はチームタイムトライアル。
先にホテルにチェックインした。昨年と違うところをとったのに、今年も2年連続でBMCといっしょ。
またインターネットが遅くなるので、本当にいやだ。

で、今日のTTTは終日強い雨。
この雨は長く続くらしく、早くもうんざり。
時差ぼけしているときは熱が出やすいので、これにも注意が必要だ。
奇跡(ただし、なんのメリットもないのだが)
奇跡(ただし、なんのメリットもないのだが)
パリの空港でミラノ行きを待ってます。

先日、昔の選手のことをぼーっとしながら考えていて、そういえばスペインのフエンテスはどうしているんだろうと思った。
そうしたら、なんと本人から突然メールが来た。現役時代の写真をくれないかという。
虫の知らせとでもいうのか、奇跡的な出来事だ。
今はシドニーに住んでいると言う。

うーん、こんなときに宝くじでも買えば、当たるのだろうか。
奇跡なのかも
奇跡なのかも
昨日、自宅を出て東京に着きました。
ところがお台場に向かってゆりかもめに乗っているときに、イタリアの家の鍵を忘れて来たことに気づきました。
時は既に夕刻の19時時半。
もし鍵がなかったら、家に入れず、ティレーノ〜アドリアティコ初日に間に合わないこと必至。
家に電話したら、もう宅配業者は集荷に来ないけど、集荷センターまで1時間以内に持参すれば翌日には東京に到着するとのこと。
もう大至急持って行ってもらい、なんとか今日、無事に手元に届きました。
鍵には、ギザッロ教会のマドンナ(イタリアのコモ湖近郊にあるサイクリストの女神が奉られている教会)がついているので、そのご加護があったのかもしれません。
かれこれ、29年間も守ってくれています。