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競輪グランプリ見た
競輪グランプリ見た
1月下旬のツアー・オブ・カタールでは、1日だけヘリコプターに搭乗して写真を撮ることになりそうなのだけど、アメリカ軍が制空権をもっているので、顔写真を送る必要が出てきた。
しかもテロ対策のため、パソコンを通したものは認めないという。
というわけで、今日は久しぶりに顔写真を撮りに行ってきた。
機械の進歩は日進月歩で、撮ってから位置を調整できるなど、昔とはずいぶん違っているのに驚いた。

夕方から、床屋に行ってきた。
ちょうど競輪グランプリがある時間を予約したので、これを観戦しながらの散髪。床屋の親父も好きで、ときどき手が止まるのは、なんともイタリアチック。
しかし、一発勝負で1億円はすごい。普通の人が10年から20年かけて稼ぐ金を、数分で手に入れるのだ(まあ、そこにたどり着くのは並大抵ではないけど)。
あれを外人にも開放したら、ペタッキやツァベルなんかが来るかも。チポッリーニの現役復帰あるか?
もし競輪に出てめちゃくちゃ長い先行でかましたら、もしかした勝機があるのでは。

ところで、ヨーロッパの自転車レースに百戦錬磨のジャーナリストばかり来るかと言ったらそうでもなく、中にはまるで分かってないのもいる。
今年のヘント〜ウェヴェルヘムのボーネンの記者会見では、見かけない記者が
「あのツール・ド・フランスではどう走りますか」みたいな質問をして、ボーネンが
「あの…、僕が明日走るのはヘント〜ウェヴェルヘムなんですけど…」と答えて、失笑を買った。
同じように、ミナーリがツールで区間優勝したとき、
「スプリントする準備は何メートル手前からやるのですか?」とこれまた見かけない記者が質問したら、
「うーん、準備は50km手前からですね」と答えて、笑いが起きた。

先日、オランダのテオ・ボスが200mのハロンで9.77秒の世界記録を出した。今、いちばん勢いのあるトラック選手です。
(写真は近年無敵のテオ・ボス。昨年は「トラック界のトム・ボーネン」とガゼッタが書いた。)
シーズンイン間近
シーズンイン間近
イタリアは何日もジャーナリストのストライキが続いた上にクリスマス休暇も重なり、6日間も新聞が休みという信じられない事態に。
僕が毎日読んでいるガゼッタが昨日久しぶりに出たが、主要選手の活動ぶりが出ていた。
それによると、クネゴは5時間半(160Km)、バッソはジロ・ディ・イタリアの上りの下見(9kmの上り)、ベッティーニは3時間、ペタッキは5時間と、どの選手もすでにかなり乗り込んでいる。
かつて、選手がこんなに早くトレーニングすることはなかった。
僕自身、1月からオーストラリア、カタール、マレーシアとレースの取材が続くことからも分かる通り、近年はシーズンインがずいぶん早まった。
先日デローザでの撮影のとき、ウーゴから教えてもらったのは
「コッピの時代のシーズン最初のレースはミラノ〜サンレモだった」という驚愕の事実。
ドーピング問題が起きると、誰もが口を揃えていうのは「近年、レースが多すぎる」ということだ。
実際、僕が10年以上取材してきたジロ・デル・トレンティーノは、今や北のクラシック後半戦と重なるので、取材に行くことができない。
さらに輪をかけてプロツールが始まり、ブエルタとポーランド一周が重なるなど、チーム内でのやりくりも大変なようだ。
ウルリヒの去就、確定していないツールの優勝者、もめ続けるプロツール…。世界の自転車界は問題が山積みだ。
とはいえ僕はあと2週間後のシーズンインを前に、着々と準備を進めている。(写真はオーストラリアで行われるシーズン最初のレース、ツール・ダウンアンダー)
名前の話
名前の話
「レースのときは、1日をどのように過ごされているのですか」とインタビューを受けて、
「食事して、寝る以外は全部仕事です」と答えたけど、本当に朝から深夜までずっと仕事している。
というのは、撮った写真に全部名前を付けていかなければならないからだ。名前だけではなく、大会名、ステージ名、選手名、峠の名前などもキャプションとしてつけておく。これがもうひどく大変な作業で、その日のうちに終わることは少なく(クルマでの取材は写真がなかなか撮れないけど、オートバイに乗るとその何倍も撮る)、たいてい次の日の朝早くにやる。
特にステージレースは毎日続くから、これをやり残すと仕事が進まない。
日本の雑誌の写真の値段は海外に比べるとずっと安いのだけど、仕事を現場で見てもらえれば、それがいかに不当なものかはよく分かると思う(逆に言うと、仕事を見たことがある編集者がほとんどいないので、こうなってしまうとも言える)。

それでも僕の仕事は、他のカメラマンよりも速いと思っている。
それは、選手名などのベースをシーズン前に作っていることにもある。
で、今はそれを毎日やっているところだ。

ところで、以前のフランスではキリスト教の聖人からしか名前をつけることができなかった。
ところが1993年に法律が改正され、自分の好きな名前をつけることができるようになった。
先日、イタリアの友人たちと食事中、
「母親が息子にケヴィンと呼んでいたぜ」という話題が出た。
フランス同様、イタリアにも外国の名前が急増中だ。
もしかして、日本にも出現するのだろうか。
ハーフでもないのに、「中村・ケヴィン」さん、「鈴木ジミー」さん。Oh、No!という感じだ。

今の選手ではあまりいないと思うけど、この先は増えてくるだろう。
イングリッシュネームを持つ代表的な選手は(もちろん英語圏以外で)、とりあえず今のところオランダのマイケル・ボーヘルトくらいだろうか。
(写真は、PUZZAVIVOという“臭い”という意味を持つ姓を捨てて改姓したPUZZOVIVO。イタリアでは改姓は非常に難しいが、こうした例では認められるらしい 。画像をクリックすると大きくなります)
イタリアから帰国
イタリアから帰国
スキーのワールドカップでは佐々木明君が7位入賞と健闘。その日の夜に5時間かけてミラノに戻った。
レンタカーはフィアットのパンダを借りたけど、これがまたずいぶん調子がいい。
いいクルマです。
すぐにバッソに電話して翌日に自宅を訪問取材しようと思ったのだけど、表彰式への出席だとか、ジロのコースの下見があるから、クリスマス明けにしてくれないかと言われて断念。まあ、いつでも行けるからいいけど。
その後、日本から来た人をマルペンサに迎えに行き、いっしょに3日間デローザの取材をやった。
撮影と合わせて通訳まであってクタクタだった(撮影と通訳をいっしょにやったのは初めて)。
そのときデローザから、「パッソーニが死去した」ということを聞かされて驚いた。昔、僕も1台作ってもらった。まだ35歳で、子供も小さかったという。

昨日、成田に着いてそのまま羽田に向かい、自宅に到着。普通は時差ボケで夜中に起きるのだけど、なぜか朝まで寝られて順調だ。
仕事場には郵便物が山積みで、今その整理をしている。
中にアメリカから大きな荷物が届いていて、何かと思ったらスペシャライズドがわざわざヘルメットを送ってくれていた。
ブエルタ優勝記念バージョンという金ぴかのもの。
僕はヘルメットをかぶって走ったことがないし、そもそも持っていなかった。
とりあえずこれで着用が義務の催し物があっても大丈夫かな。
カタールからイタリアへ移動
カタールからイタリアへ移動
昨日ミラノの家についたら、外壁の修復中で雨戸が全部取り外されていてびっくり。
部屋は外気温となんらかわらない寒さだった。
さらに洗濯機の蛇口からの水漏れが続いているが、2ヶ月経った今も配管屋は来ていない。

コルナーゴがクリスマス恒例のミサをやるからとカタールまで連絡があったのだけど、スキーの撮影の移動で行けなかった。昨日まで砂漠にいたのに、今日は雪山である。
これは自転車界の要人たちが集まるのだけど、僕はスキーの撮影に行くからと断りの電話を今朝になって入れた。
今朝、家の下のおじさんは
「カタールから帰ってきたら、今度はスキーか。まったくすごい(ひどい)人生だ」と言った。
コルナーゴは、
「金もうけのためにスキーも撮るか」と言った(笑)。

途中オートバイの運転手と会い、カレンダーやチクリッシモを渡した。
これまで11年間も僕に付きあってくれたのだが、今年で引退する。
彼が経験した30回のジロのうちの10回を僕と回ってくれた。ジロのみならず、10回のサンレモと10回のロンバルディーアもだ。
抜けている1年は、彼が女子のレースの帰りに大事故に遭い、1年間休んだためだ。
僕の仕事には欠かせない大事な人だったけど、さすがに60歳になって年齢には勝てない。
近所のレースの手伝いはするけど、ジロのような厳しいレースはもうしないという。
もう本当に寂しい。
だけどみんなこの日をいつかは迎えるわけで、僕も同じだ。
(写真は30回のジロで引退したセルジョと)
皆川選手がケガ(スキーの話)
明日の早朝にホテルを出てミラノに向かい、翌日の土曜日からスキーの撮影に入る。
数日前、日本のスキー雑誌から「日本選手の優勝の写真を撮ってきてください」とメールが来たのだが、友人からメールが入って、日本期待の皆川選手が靭帯損傷したことを知った。
もう彼のシーズンは終わりだろうし、ああ残念。
日本のアルペン勢はけっこういい線に行っていて、うまくいけばスラロームで表彰台も狙える。実際皆川君はトリノ五輪で4位に入っている。

アジア大会では、日本の自転車チームもメダルを取るのは、力からいって決して驚きではない。
そして早く世界選でもこんな活躍をして欲しいものだ。
僕はイタリアにいるけど、イタリアの自転車(トラックはダメでロードなんだけど)は日本の柔道と同じで、もうメダルを取って当たり前。
ベッティーニの世界選優勝も、「よし、やっと取ってくれた」という感じ。
イタリアにおける自転車って国民的スポーツだからね。
今日は最後のレースで、ケイリンとマジソンがある。
毎日が合宿
五輪やアジア大会で選手村という言葉をよく聞くと思うけど、メディア村と言うのもあって、僕はそこに泊まっている。
朝、バスでメインプレスセンターに行き、そこからまたバスで各種目の会場に行く。各競技場にはすべて無線LANがあるけど、最初にカードを買わなくてはいけない。僕が購入したのは1GBの容量で3万円する。今年のツール・ド・フランス並の値段だが、ないと仕事ができない。
トラックレースはだいたい3時頃に終了し、そこから競技場、あるいはメインプレスセンターで写真の整理と電送を夕方まで行い、6時から7時頃に夕食をとる。
セルフサービスでいろんなものがあるけど、はっきり言ってもう飽きた。ビールもないし。
メディア村に戻ってシャワーを浴び、そしてテレビを見ても言葉が理解できないので夜9時か10時には寝る。
こんな合宿みたいな、おそろしく健康にいい生活をもう2週間続けている。
からだがすっかりクリーンになった感じ。2週間の禁酒生活は初めてだ。
だけど明後日にはミラノに戻り、すぐに2泊3日でワールドカップスキーの撮影に行く。
そのあとはまた自転車の仕事があって、帰国はちょうどクリスマスの頃だ。
来年は1月中旬にオーストラリアでレースがはじまり、その後ずっとカタールやマレーシアでレース取材が続く。
現場は違うのよ
世の中のデータ画像の教科書では、まずは環境光を整えることと、モニタ選びが論じられていて、当然ラップトップのコンピューターがそこに登場するはずもなく、だいたいナナオだとか、あるいはアップルのシネマ・ディスプレイなどの高級品が話題の中心となっている。
だけど、いざアジア大会みたいな巨大なスポーツのイベントに来てみるとよく分かるのだけど、データ画像の100%近くはラップトップで処理されて、しかも理想的な環境光なんかない。
ディスプレイを覆う器具も売られてはいるけど、使っている人はめったに見かけない。
僕も買ったものの、ほとんど使っていない。
しかもRAWで撮影する人はほとんどおらず、まずはJPEGでの撮影だ。
だけどこのように“いい加減に処理された”写真が、何もなかったように新聞だとか雑誌に掲載されていく。
世の中は商業写真だけじゃないわけで、こういう現実を踏まえての教科書を誰か書いてくれないものだろうか。

まあだけど、早川さんの書かれたフォトショップの本はやっぱり基本だから、読んで大変ためになってこのアジア大会でも役立っている。
晴天なれど、波高し
取材は順調なんだけど、みぞおち周辺が重たく、昨日はホテルに戻って倒れるように寝てしまった。
日本から審判で来ておられる林さんにパンシロンをもらって少しは良くなったけど、まだ食欲がない。
晩酌ナシでご飯を食べること、これで約1週間。
30年間でここまで禁酒したのは、数えるほどしかないが、いずれもイスラム圏ばかり。
1月にまたカタールに来るし、そのあとマレーシアに行く予定なので、体内を浄化するのに最適かも。
だけどここまでアルコールを飲まないのは、ふだんの自分にはあり得ない事態で、これで体調を崩しているのかもしれない。

ところで今日、UCI会長のパット・マックエイド(僕は彼が会長になる前から、ランカウイのレースで知りあっている)に聞いたら、アスタナはたぶんプロツールに入るけど、サイスはスポンサーが見つかっていないので、たぶんダメだろうとのこと。
いずれにせよ、ここ数日のうちに決定されるようだ。
スペインで今スポンサーを見つけるのは超困難。世界選のスペインチームのシャツに入るスポンサーも(たしか3000万円くらいだったかな?)、昨年のエラスのブエルタ失格で逃げたくらいで、今回の一連の騒動の渦中のサイスがいくら自転車界の実力者でも、至難の業だろう。
一方、マックエイドはグランツールの謀反に怒っていて、こればかりは出口が見えていない。
だけど、僕個人の意見としては、プロツールはちょっと無理があると思っている。
それにジロ・ディ・イタリアなどにフランスのブイグテレコムあたりがきても、やる気は見られないので、それだったらもっとイタリアの小さなチームが出て欲しいと思っている。
ブイグなどから二線級が出てくるより(ブイグに恨みがあるわけじゃないけど)、たとえば来年はハミルトンのいるティンコフやガルゼッリのいるアックア・エ・サポーネ、クワランタが入るアモーレ・エ・ヴィータ、昨年のジロをかき回したセッレ・イタリア、エマヌエーレ・セッラのいるパナリア(後者の2つは毎年参加しているが、ワイルドカード)、こうしたところが走った方が、ずっと面白いだろう。
ドーハに到着
到着3日目にしてようやく快晴となったミラノをあとにして、アジア大会に向けて出発した。
ラジオで、どこのスキー場もまったく雪がなく、来週末の連休は残念なことになるだろうという。
これでスキーの取材もきっとキャンセルだな。

11月6日からEC内の移動で液体の持ち込みが規制されるなど、テロ対策が強化されたが、マルペンサは特に変わった様子はなかった。
カメラを詰めた重たいバッグと、大きな500mmのレンズの持ち込みもとくにお咎めナシ。
だけどチェックインで「カタールでのビザはどうなっているか」と問われ、すでに持っている取材パスを見せた。
これは現地でパスポート代わりになるもので、ちゃんとビザの番号も書かれている。
しかし、ミラノにはなんの連絡も入っていないと言うことで、フランクフルトからドーハまでのチケットはもらえず、「フランクフルトで手続きをして」といわれた。
もしかしたら足止めを食らうのかもしれないと、覚悟を決めてフランクフルトに到着。
頭の中は「日本大使館、日本オリンピック委員会、日本自転車振興会デュッセル事務所、空港の近くのホテル…」と、すでに最悪の事態を想定して、いろんなことが頭の中を駆け巡る。
そして急いでチェックインカウンターに行き(フランクフルト空港は巨大なので、この移動だけで息が切れた)、事情を説明したが、あっさりと「問題ありませんよ」とチケットをくれた。
カウンターのお姉さんもきれいだったし、これで一気にドイツ女性のファンになった。

飛行機に乗って分かったのだが、アジアからだけでなく、ヨーロッパのメディア関係者も来ていることが分かった。
しかも、僕の隣に座った人が、たまたまイタリアのテレビカメラマンで、僕の友人の友人だった。
彼はローマから来たが、ビザのことはいっさい聞かれず、そのままドーハまでのチケットももらってきたという。あのミラノでのやりとりはなんだったの?

深夜にメディアヴィレッジに到着。これは各国のジャーナリストらが宿泊しているところだ。
大急ぎで作ったからか、部屋はいいのだけど、ところどころちぐはぐで、バスタブには亀裂が入っている。
熱いシャワーも出ず、寝るときは寒くて寒くて。
ちょうど目の前には、今年のツアー・オブ・カタールで宿泊したフォーシーズンズホテルがあって、あの楽園が恋しい。
でも朝ご飯はおいしく、とくにスープには僕の大好きなパクチーが入れ放題なのでうれしい。
今、メディアセンターにいる。インターネットにつなぐのにはカードを購入しなくてはならないのだけど、すごく高い!
おっと、今パソコンの前をゴキブリが横断しやがった。