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キャノンデールチーム消滅
今、ブエルタ・ア・エスパーニャに来ているのだけど、なんといってもショッキングなのはキャノンデールチームが消滅すること。
10年ほど前まで、イタリアはおそらく世界でいちばんプロチームの数が多かったと思う。
ところが不況だとか、高い税率などもあって、チームがどんどん少なくなり、プロツールはついにランプレしかなくなる。
チームのスタッフは教育が行き届いていて、プロチームのお手本だった。
スタッフに聞いたら、今のところ40人が失業すると言う。
優秀な監督たちも、行き先はまだ決まっていない。
僕と仲の良いスタッフ2人とも、他のチームから誘われたけど、これで自転車から離れるという。
すごく寂しい気分だ。
アルフレード・マルティーニのこと
アルフレード・マルティーニのこと
昨日のステージのスタートで、イタリアの元コミッサーリオ・テクニコ(いわゆるナショナルチームの監督。直訳すればテクニカル・コミッション。こういう言い方をするのはイタリアしかない)、アルフレード・マルティーニに黙祷が捧げられた。
カリスマ戦術師として世界の自転車界の超有名人だった。

僕とマルティーニの初めての出会いは1989年、しかも日本だった。
当時ガゼッタの自転車記者で、その後ジロのボスとなったゾメニャーンから紹介され、翌年の宇都宮での世界選で力になることを約束したのだ。
しかし、ゾメニャーンがマルティーニに敬語を使ったのには心底驚かされた。普通の自転車界でまずありえないことだった。

この写真は2011年にツール・ド・フランスがイタリアに入ったとき。カヴェンディッシュと話をしているところだ。
そのときも僕はマルティーニから、
「よお、お前の顔はガキの頃から見てるよ」とからかわれた。

なにしろ、以前監督をやっていたジャンカルロ・フェレッティがレースでチームカーを後ろから追突されたとき、やったクルマから降りてきたのはこのマルティーニで(当時はプロチームの監督だった)、
「おお、ジャンカルロちゃんだったか」と子供扱いされたと言うのを本で読んだことがある。

とにかく人柄も良く、本当に周囲から尊敬され、愛された人だった。
昔話
今、IAMといっしょのホテルに連泊しているのだけど、そこの監督が夕食のときにいつも僕のテーブルにやってきて話をしている。
彼はキャプーチやパンターニのアシストをやるなど、なかなか良い選手だった。
「最近の選手はエゴイストだから、俺たちの時代の自転車とは違うんだよ」と、残念そうに言っていた。

彼が言うのは、昔ベルノッキでデルトンゴがずっと引きまくっていたのだけど、エースのサロンニがあっさりとリタイア。アシストたちは言葉がなかったという話をしてくれた。
アシストに人権なんかなかった時代だ。

僕の仕事も同じで、自分が駆け出しの頃、レキップのフォトグラファーたちは目も合わせてくれなかった。
それが良いことか悪いことかは分からないけど、まあ僕らの仕事、さらにはこの自転車の世界のことを勘違いしている人はたしかに少なくない。それは確かである。

シティバンク、個人業務から撤退かぁ
シティバンクが個人向けの業務から撤退するという報道が流れた。
僕も海外からの支払い等はこの銀行を使っていて、とても残念だ。
特にイギリスの雑誌からの支払いは毎月、小切手が送られてくのだけど、換金に手数料がいらないので、銀座支店にはよく行っている。

日経新聞にはその理由がいくつか挙げられていたけど、早い話が日本は魅力がないと言うことだ。
何年も前に日本の通信社の人が「東京の事務所をたたんでいく外国の通信社が多い。理由は日本にニュースがないから」と言っていたのを思い出した。
日本は戦後ずっと突き進んできたけど、デフレで成長が止まってしまった。にもかかわらず、例えば教育システムなどは昔のまま。勉強ができる奴は普通科に、出来ない奴は商業科にということをずっとやってきて、今でも変化の兆しすらない。これじゃ、成長があるわけがないと、外野から見てていつも思っていた。
それから日経新聞が日本の金融ビジネスの特殊性も挙げていたけど、これも改革が行われていない証拠。

今、自転車レースがオーストラリアや中東に広がり、日本にもA.S.O.が進出してきた。RCSも興味を持っているみたいで、よく電話がかかってきた(ただし、イタリアのあの旧態依然としたシステムでは無理。イタリアはファミリーでやっている小さな会社じゃない限り、組織はまとまらないのだと思う)。
だけど警察が強大な権力を握って道路を支配しているので、自転車の未来は明るくない。
そうしたら、今回のシティバンクと同じことが起きるだろう。
チクリッシモ No.41
チクリッシモ No.41
砂田弓弦監修 自転車ロードレース・マガジン
CICLISSIMO チクリッシモ
2014 No.41

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101回ツール・ド・フランス完全レポート
ニバリが3大ツールを制覇!

 特集=解剖! ツールでデビューしたチーム機材

 特別付録=新城幸也/マルセル・キッテル
      A2判両面刷りポスター
  
 強いフランスがツールに帰ってきた
 ブライアン・コカールの初出場ツール23日間
 オレンジ軍団のいない夏 
 大盛況の英国3ステージ
 小河原政男のツール2014スケッチブック
 インタビュー=ラルス・ボーム/サイモン・イェーツ
 女子レース“ラ・クルス”
 
秋のメジャーレースガイド
  ブエルタ・ア・エスパーニャ/ロード世界選手権/
  ジャパンカップ/ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム

好評連載 ロードレース界のスペシャリストたち
パリ〜ルーベ 2014のDVD
パリ〜ルーベ 2014のDVD
ツール・ド・フランスを終えて帰国したら、自宅にジェイスポーツからパリ〜ルーベ2014のDVDが届いていました。

そういえば、ツール・ド・フランス最終ステージで、このパリ〜ルーベで優勝したニキ・テルプストラと走りながら話をしました。
そのレースで僕の撮った写真がアメリカのスペシャライズド本社に飾られているのですが、彼もそのことを知っていて、写真を褒めてもらいました。

このあと、ツール・デ・フランドルのDVDも発売予定となっていますね。

マイカに期待
マイカに期待
今年のツール・ド・フランスで大活躍したマイカ、昨日もポーランド一周で区間をとった。
今、フランスの選手たちがツールの表彰台に上って、将来は優勝も…と言っているけど、僕はこのマイカが持っている可能性の方がずっと高いと思う。

印象に残っているのはこの写真にある2012年のジャパンカップ。
アレドンドがまだニッポで走っているときで、彼の登坂力はプロに行っても通用するとは思っていた。
走りがいちばん巧妙なのはマーティン。とにかくレースをうまく運ぶ。
この2人、それからこのとき優勝したバッソを相手に、マイカは鋭いアタックを繰り返した。
レース後のパーティーで、ダメだったと頭をかいていたけど、「すごい選手が出てきた」と思った。
まあ、僕の目もけっこう確かと言うことかな(笑)。

ジョヴァンニ・ロンバルディは、バルセロナ五輪ポイントで優勝したり、チポッリーニのアシストも務めた良い選手で、今は代理人業をやっている。
サガンやバッソ、クロイツィゲルらで大もうけしているのだけど、彼が抱えるこのマイカにも大きな期待を持っていて、すでにそれが実現しそうだ...というか、半分実現した。

僕を含め、この世界にいる人間の共通の野望というのは、若い選手を育て上げること。
そういう点でも、アマチュアのレースを見たこともないような代理人や監督は使えないと思う。
名もない会社のものを買っておいて、将来にかけるという点で株の世界に似ている。
今年のツール・ド・フランスで物足りなかったもの
今年のツール・ド・フランスで物足りなかったもの
しかし、人間というのは勝手なもので、自分もそのうちの一人ですが…。
今年のツール・ド・フランスからレースディレクターのジャンフランソワ・ペシューがいなくなり、代わってティエーリー・グヴヌーがそのポストに就きました。
グヴヌーも神経質で怒りっぽいのだけど、それでもペシューとは比べ物にならないくらい穏やかです。
ペシューのあの
「フォトのオートバイ、すぐに下がれ!」と怒鳴りつける声が無線機から聞こえなくなりました(しかも、2012年のツール・ド・フランスの最終ステージなんて、お祭りレースにもかかわらず、APが集団の中で写真を撮りすぎたということで、その場で即刻レースから除外するという処罰を下した。ぶるぶる...)

正直、早く引退してくれと思っていたのですが、今回のツール・ド・フランスではあの怒鳴り声が聞かれず、ちょっと物足りなく感じたのです。
自分はしかられたくないけど、他人のは笑いたい…。そこなんですね。
パンターニは殺害された?
パンターニは殺害された?
今年のツール・ド・フランスは、ニバリがイタリア選手としてマルコ・パンターニ以来16年ぶりに勝者となったのだけど、昨日のガゼッタ・デッロ・スポルト紙は、パンターニが殺されたのではないかというセンセーショナルな見出しで大々的に報じた。
コカインの入った水を強制的に飲まされたのではないかというのだ。

亡くなったのは10年前の2004年2月。
そのとき僕はイタリアにはいなかったのだけど、あとから聞いたら1週間ずっとそのニュースをやっていたそうだ。
世界のサイクリストのアイドルの死は本当に衝撃だった。
今回のこのニュースで、また衝撃を受けている。