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ツール・デ・フランドル
ツール・デ・フランドル
最近、自転車に興味を持った人は、自分を日本からレースの取材に来る何人かの一人に過ぎないと思うかもしれない。
僕は80年代後半からヨーロッパに渡ってレースを取材してきた。
それまでにも日本人の何人かは、ジロやツールには来ていた。
だけど、クラシックレースは僕一人だった。
僕は今年でジロが29回目、ツールも29回目だけど、たとえばミラノ~サンレモは28回、ツール・デ・フランドルはよく覚えていないがおそらく26,7回、パリ〜ルーベは今年で28回目となる。

僕は最初、日本の雑誌から仕事を始めた。
当時、一番大事な任務は、選手の自転車を撮ることだった。
サッカーボールを撮るために、ワールドカップに行くようなものである。
しかも、選手と会話の一つもせずに日本に帰っていく人たちがほとんどだった。
こうした日本の嘆かわしい状況を変えて来たのは、自分であると思っている。

そのうち、日本でもNHKやジェイ・スポーツがレースを流し出し、状況は大きく変わった。
やっぱりテレビの影響は大きいのだ。

ところが今年、ツール・デ・フランドルが日本で放映されないという声を耳にした。
「スタートにつくと、鳥肌が立つ」
「ベルギーではツール・ド・フランスと同じ」と選手が言う。
そういうクラシックレースが日本で放送されないというのは、看過できなことである。
とても残念だし、自分で築き上げて来たものが崩されそうな気持ちになる。
食料補給の新しいやり方
食料補給の新しいやり方
今回のヘント〜ウェヴェルヘムで初めて見たのだけど、食料補給地点でチームの居場所が大まかに定められていた。
コロンブスのたまご的発想。
これだと走っている選手も、チームの服を着たマッサージ師を探さなくてもだいたい分かるので便利だ。
E3・ハーレルベーケ
E3・ハーレルベーケ
E3・ハーレルベーケが終了。
道が狭くて石畳が多い。
ツール・デ・フランドルみたいに柵が多くないから、観客も前に出てくる。
世界でいちばん危険なレースだと思っている。
天気良好
ア・トラヴェール・レ・フランドル、ハーレルベーケ、ヘント〜ウェヴェルヘムの取材でベルギーに1週間滞在しているけど、奇跡的に雨が一度も降っていない。
ティレーノ〜アドリアティコもミラノ~サンレモも天気は良かった。
その分、ツール・デ・フランドルやパリ〜ルーベで雨がj降るんじゃないか、ちょっと心配だ。
ただですら石畳のレースは危ないのだから、雨が降ったら危険度は倍増する。
ミラノ~サンレモまであと2日
ミラノ~サンレモまであと2日
この時期、世界の自転車界のベクトルはミラノ~サンレモに向かう。
僕は自転車のイロハをイタリアで学んだ。
だから、このレースにはそれなりの思い入れがある。

今日、ガゼッタから電話があり、チプレッサでの代表撮影を任されることになった。
チプレッサでの代表撮影は3年ぶりである。

写真は3年前のチプレッサでの撮影
帰宅
ティレーノ〜アドリアティコが終わり、500km強をクルマで走って帰宅。
大会で、観客から声を変えられたことが数回あった。
「レース会場にいつもいるけど、何年やってるの?」
「昨日、テレビに映っていたよ」などだ。
僕もすっかりベテラン。
次の土曜日には、28回目のミラノ~サンレモだ。
そのほとんどをオートバイから撮影している。

しかし、救急隊員で、僕の15年以上前のジロ・ディ・イタリアでの転倒事故を覚えている人がいてびっくりした。
僕を救急車で運んだそうだ。
プロレース
プロレース
ティレーノ〜アドリアティコの第1ステージで、後ろからいたずらをしてくるやつがいたので、誰かと思ったらアンドレーア・ターフィだった。
娘を連れてきていたのだけど、レース終了後にバルディアーニの選手といっしょに帰っていった。

今日、ホテルでいっしょだった老夫婦が、
「息子がこのティレーノ〜アドリアティコを走っているんだけど、ターフィの娘と婚約しているんです」と。
ターフィがプロ入りした頃、僕はすでにこの仕事を始めていた。
それが今や、娘が選手と婚約。
時の流れを痛感した。

その婚約者の選手、今年プロ一年目なんだけど、昨日のアップダウンレースを
「みんな、狂っている」と言っていたと、両親が語った。
プロのスピードはアマのレースとは桁が違う。
あのダニーロ・ディルーカだって、プロのレースをテスト生として走り、自分の未熟さを感じてプロ入りを遅らせたほどだ。
日本の選手たちにも言っておくけど、もしプロになりたいのなら、相当な覚悟がないとついていけない。
UCIの写真集
UCIの写真集
UCIから大きな郵便が来たので、何かと思ったら、分厚い写真集だった。
僕の写真も使われてたから、送ってくれたのだろう。
写真にある、この見開きもその一枚。