2024-11-24
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
ランカウイの厳しいステージ
フィオレンツォ・マーニ他界
昨日、2013年のツール・ド・フランスのコースが発表になったけど、飛行機での移動が2度もあるのにびっくり。ジロをも凌ぐとんでもない設定だ。
ジロのモルティローロは激坂ブームの火付け役となったが、移動ブームがツールにまで飛び火するとは思わなかった。
まあ、こんな愚痴を言ってもしかたがないので、手分けしてやっているホテルの予約を淡々と進めている。
しかし昨日、ちょっと体調がすぐれないこともあって軽い気持ちで病院に行ったら、
「立派な病気ですよ」と言われた。
まあ、今のところ薬による治療だけなので、今日の夕方には自転車にも乗るし、サイクルモードでは人前でしゃべるし、そのあとの家族とのアメリカ旅行も計画通り実施の予定だ。
今の仕事をやるときにまっさきにやったことは、ちゃんとした保険に入ることだった。
幸か不幸かこの25年間で一度も使っていないし、今回もその対象にはならない。
とにかく、人間の身体はいつまでも元気なわけじゃないということを自覚した。
そういえば、数日前にファウスト・コッピ、ジーノ・バルタリと並ぶ「第三の男」と言われたフィオレンツォ・マーニが他界した。
現役時代はジロで3回優勝し、ツール・デ・フランドルでは3連勝した国民的スターだ。
ジロで鎖骨を折りながらも、上半身を起こしたとき痛みに襲われないように、ハンドルにくくりつけたバーテープを口でくわえてタイムトライアルを走った姿は、伝説中の伝説だ。
足が痛いだの、病気になっただのと言い訳してリタイアしていく今の選手とは根本的に違っていた。
引退後は僕のいるモンツァでオペルの販売を始めて大成功し、広く尊敬されて、住んでいた町では町長も務めた。
写真はマドンナ・デル・ギザッロの前で撮影したマーニ。隣にある自転車博物館の館長も務めた。現役時代は選手やスタッフたちが敬語を使うほどで(今の自転車界で敬語が使われることはあまりない)、エルネスト・コルナーゴもその一人だった。エルネストは今月末のサイクルモードで来日し、僕も3日間通訳をやったり夕食を食べたりするけど、当時のそういう話は僕にとってかけがえのない昔話なのだ。
ちなみにエルネストが
「うちの自転車は、チクリズモの一部だ」と言ったときには、心底しびれたものである。
マーニもそういう自転車競技の歴史の一角の人で、撮影のときはちょっと緊張したのを覚えている。
ジロのモルティローロは激坂ブームの火付け役となったが、移動ブームがツールにまで飛び火するとは思わなかった。
まあ、こんな愚痴を言ってもしかたがないので、手分けしてやっているホテルの予約を淡々と進めている。
しかし昨日、ちょっと体調がすぐれないこともあって軽い気持ちで病院に行ったら、
「立派な病気ですよ」と言われた。
まあ、今のところ薬による治療だけなので、今日の夕方には自転車にも乗るし、サイクルモードでは人前でしゃべるし、そのあとの家族とのアメリカ旅行も計画通り実施の予定だ。
今の仕事をやるときにまっさきにやったことは、ちゃんとした保険に入ることだった。
幸か不幸かこの25年間で一度も使っていないし、今回もその対象にはならない。
とにかく、人間の身体はいつまでも元気なわけじゃないということを自覚した。
そういえば、数日前にファウスト・コッピ、ジーノ・バルタリと並ぶ「第三の男」と言われたフィオレンツォ・マーニが他界した。
現役時代はジロで3回優勝し、ツール・デ・フランドルでは3連勝した国民的スターだ。
ジロで鎖骨を折りながらも、上半身を起こしたとき痛みに襲われないように、ハンドルにくくりつけたバーテープを口でくわえてタイムトライアルを走った姿は、伝説中の伝説だ。
足が痛いだの、病気になっただのと言い訳してリタイアしていく今の選手とは根本的に違っていた。
引退後は僕のいるモンツァでオペルの販売を始めて大成功し、広く尊敬されて、住んでいた町では町長も務めた。
写真はマドンナ・デル・ギザッロの前で撮影したマーニ。隣にある自転車博物館の館長も務めた。現役時代は選手やスタッフたちが敬語を使うほどで(今の自転車界で敬語が使われることはあまりない)、エルネスト・コルナーゴもその一人だった。エルネストは今月末のサイクルモードで来日し、僕も3日間通訳をやったり夕食を食べたりするけど、当時のそういう話は僕にとってかけがえのない昔話なのだ。
ちなみにエルネストが
「うちの自転車は、チクリズモの一部だ」と言ったときには、心底しびれたものである。
マーニもそういう自転車競技の歴史の一角の人で、撮影のときはちょっと緊張したのを覚えている。