2024-11-24
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
フランスはあと1年はトマ・ヴォクレールが継続
2024-11-20
イタリアは名将マルティネッリが立候補
イタリアは名将マルティネッリが立候補
2024-11-17
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
セルジュ・パウェルスがベルギー・ナショナルチーム監督に
2024-10-18
東京での写真展
東京での写真展
2024-10-02
ランカウイの厳しいステージ
ランカウイの厳しいステージ
僕がミラノに来たわけ
昨日、ウチから20kmくらいのところで生まれ、五輪を含め、トラックでいくつものタイトルを取ったフェルディナンド・テルッツィが亡くなった。90歳だった。
40年代から50年代にかけて、トラック界のコッピだったという。
今日、用事があってコルナーゴに行ったら、エルネストの弟のパオロが「友人だったんだよ」と、寂しそうだった。
そしてトラックの話になって、僕は初めて知ったのだけど、当時のタイヤにはクレメンやピレッリ、それから職人が造る良いタイヤもあったが、コンチネンタルがいちばんだったそうだ。
僕はこれまでクレメンが圧倒的に良かったのだとばかり思っていた。
また隣の部屋に行くと、エルネストがある整体師から治療を受けていた。
イギリスの有名サッカーチームも診ていると言う。
その整体師は自転車が大好きで、年末にはフィリップ・ジルベールとモンテカルロでいっしょに走ったそうだ。
ジルベールの事でも大いに盛り上がった。
そのあとエルネストの昔話になり、パリ〜ニースでもう一人のメカニックとクルマの中で寝る事になったと言う。
寒さにふるえ、一晩中、暖房をつけたそうだ。
よく当時のメカニックの処遇はひどかったと聞かされているが、さすがに絶句である。
先日、アメリカの雑誌からインタビューを受けてイタリアに来た理由を尋ねられたが、とにかくこういう話を自転車界の重鎮たちから直接聞く事ができるだけでも、ミラノに来て良かったと思っている。
40年代から50年代にかけて、トラック界のコッピだったという。
今日、用事があってコルナーゴに行ったら、エルネストの弟のパオロが「友人だったんだよ」と、寂しそうだった。
そしてトラックの話になって、僕は初めて知ったのだけど、当時のタイヤにはクレメンやピレッリ、それから職人が造る良いタイヤもあったが、コンチネンタルがいちばんだったそうだ。
僕はこれまでクレメンが圧倒的に良かったのだとばかり思っていた。
また隣の部屋に行くと、エルネストがある整体師から治療を受けていた。
イギリスの有名サッカーチームも診ていると言う。
その整体師は自転車が大好きで、年末にはフィリップ・ジルベールとモンテカルロでいっしょに走ったそうだ。
ジルベールの事でも大いに盛り上がった。
そのあとエルネストの昔話になり、パリ〜ニースでもう一人のメカニックとクルマの中で寝る事になったと言う。
寒さにふるえ、一晩中、暖房をつけたそうだ。
よく当時のメカニックの処遇はひどかったと聞かされているが、さすがに絶句である。
先日、アメリカの雑誌からインタビューを受けてイタリアに来た理由を尋ねられたが、とにかくこういう話を自転車界の重鎮たちから直接聞く事ができるだけでも、ミラノに来て良かったと思っている。