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ロードレースの基本構造が分かっていればツール・ド・北海道は違った
ロードレースの基本構造が分かっていればツール・ド・北海道は違った
先日、北海道新聞のインタビューを受け、それが記事になったけど、大きな反響があったと今日、連絡があった。
一方で、記事にも書いたけど、審判(=コミッセール)と主催者の分業制がわかっていない人が非常に多いのがとても残念だ。
この概念が日本のレースに欠如してしまっているとも言える。

まずプロトンがあると、その前を走る車に主催者側の代表であるレースディレクターが乗る。レースのボスであり、レースの顔だ。もっとも目立つので、たとえばツール・ド・フランスで大臣が訪れるとその車に同乗する。普段はプロトンの前に位置し、逃げグループができるとその真後ろにつく。
それからプロトンの後ろを走るのが副レースディレクターとチーフコミッセールだ。共に後部座席に乗る。レース運営でもっとも大事な車だ。ツール・ド・フランスの場合、ここにラジオツールを喋る人が助手席に座る。ジロのラジオツールの車は集団のずっと前を走るところが異なっているが、こうした基本的な人員配置は同じだ。
この写真は集団の後ろを走る副レースディレクターとチーフコミッセールの車だ。
日本のレースの場合、レースディレクターというものがほぼ存在しない。前にも後ろにも乗っておらず、コミッセールしかいないのだ。レースの主催者がレースの中にいないというのはちょっと考えられないことなのだ。
僕が思うに、1990年の宇都宮での世界選手権が我が国での本格的なレース第1号となった。世界のビッグレースで唯一コミッセールしか乗り込まないのが世界選であり、そのときのことを覚えてしまったのが今に続いているのだと考える。

写真だが、世界チャンピオンのベッティーニはこのとき副レースディレクターに「コースが狭い」と文句を言っており、隣のコミッセールには言っていない。なぜならコースの設定というのは主催者、つまりディレクターの所属会社が決めることだからだ。たとえコミッセールに言っても、そもそも前日についたばかりで、コースの設定には全く関わっていないから話が通じないだろう。
北海道のレース、僕は現場に行っていないけど、おそらくレースディレクターが無線で指示を出してエスコートオートバイをうまく回していたならば、結果は違っていたと思う。

こうした分業が日本ではできておらず、これが今後の大きな改善点だ。こうしたレースの基本構造をほとんどの人がわかっていないのだ。
ロードレースというのは主催者=オーガナイザーが仕切るものなのだ。
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