
行方不明 だった
レース終了後にものすごい雨と雹が降り出した。
それで、ホテルに行くのに僕はクルマに乗せてもらった。
オートバイがその後ろからついてくる予定だったが、プレスルームを出てすぐにはぐれてしまった。
そしてホテルで待てど暮らせど到着しない。
いちおうオーガナイザーから警察にも問い合わせてもらったが、事故はないと言う。
気が気でなかった。
心配で夕食もとらなかったが、朝になってオートバイのエンジンで目が覚めた。
無事帰って来た。
あの雨で携帯電話がダメになり、そしてホテルがどこにあるかわからなかったのだという。
フランス語も英語もまったくできないイタリア人だから、人に聞くこともできない。
そして何十軒もホテルを回り、ようやく泊まれるところを見つけ、そして朝になって僕が泊まっているところにたどりついたというわけだ。
長い自転車人生でこれが2回目の経験。最初は20年近く前にクルマの運転手がホテルに来なかったことがあって、やはり今回と同じパターンだった。
でも当時は携帯電話もGPSもなかった。
まあとにかく、今日もまた取材ができるので、本当に良かった。
写真は強烈な雨と雹がふった後のプレスルーム周辺。プールができました。
それで、ホテルに行くのに僕はクルマに乗せてもらった。
オートバイがその後ろからついてくる予定だったが、プレスルームを出てすぐにはぐれてしまった。
そしてホテルで待てど暮らせど到着しない。
いちおうオーガナイザーから警察にも問い合わせてもらったが、事故はないと言う。
気が気でなかった。
心配で夕食もとらなかったが、朝になってオートバイのエンジンで目が覚めた。
無事帰って来た。
あの雨で携帯電話がダメになり、そしてホテルがどこにあるかわからなかったのだという。
フランス語も英語もまったくできないイタリア人だから、人に聞くこともできない。
そして何十軒もホテルを回り、ようやく泊まれるところを見つけ、そして朝になって僕が泊まっているところにたどりついたというわけだ。
長い自転車人生でこれが2回目の経験。最初は20年近く前にクルマの運転手がホテルに来なかったことがあって、やはり今回と同じパターンだった。
でも当時は携帯電話もGPSもなかった。
まあとにかく、今日もまた取材ができるので、本当に良かった。
写真は強烈な雨と雹がふった後のプレスルーム周辺。プールができました。